成果
ラザァの顔面に生暖かい息がかかる。それも血の匂いを含む嫌な息だ。
ラザァの目の前には大型のイタチのような魔獣がラザァの喉を食い破ろうと牙を剥いていた。長さ6センチほどのその牙ならばラザァを容易に八つ裂きにするだろう。
「ーくそっ!」
なんとか手で相手の胴体をつかんで牙やら爪やらを避けてはいるがそれも時間の問題だ。武器といえば鞄の中にナイフがあるはずだが取り出せなければ宝の持ち腐れだ。
「お前に構ってる暇は無いのっ!」
体をひねった反動で魔獣の横っ腹に膝蹴りをお見舞いして吹き飛ばすと素早く立ち上がり、鞄の中を探って目的のナイフを取り出す。
パイリア軍の正規のコンバットナイフではなく、一回り小さいものだが食事の準備などにも使い勝手がよくラザァが愛用している品だ。
魔獣の方も立ち上がり体勢を立て直していた。ラザァの手に武器が出現したことを理解したのか先ほどのようにいきなり襲いかかってくることはなく、こちらの様子をじっくりと伺っている。
改めて魔獣の見た目を観察すると体長2メートル弱の灰色のイタチのような見た目をしている。口からは牙をのぞかせ、手足には鋭い爪があることからも平和的に見逃してもらえることはなさそうだ。
落ち着け
いくら魔獣でも今までラザァが手合わせしてきた奴らよりは弱いと言い聞かせる。バザロフとその部下のテロリスト、そして稽古をつけてくれたダルク。それらよりもこの毛むくじゃらの大型イタチが強いとは思えない。
楽では無いが勝てない相手でもないはずだ。それこそこの1ヶ月ほどの成果を見せる時だ。
にらみ合いを続けながらジリジリと細かい移動を続ける。さっきの素早さを見る限り相手が動いたのを確認してからじゃ間に合わない。相手の手足や目のわずかな動きから次の行動を読まなければならない。
口の中が乾く、まばたきすらも怖い時間が流れる。ラザァとイタチの睨み合いは続く。
先に動いたのはまたしてもイタチの方だった、ラザァのまばたきの瞬間に助走もなしに一気に飛びかかる。
頭上から振り下ろされた爪の一撃をナイフでなんとか受け止め、そのまま相手を吹き飛ばす。
イタチは吹き飛ばされたが空中で見事な回転を披露してそのまま地面に着地した。見たところダメージを受けた様子はない。
一方のラザァはさっきの素早さを目の当たりにして心臓がいまだにバクバクしている。体力的にというより精神的に長期戦はこちらに不利だろう。いや、もちろん体力的にもこちらが不利だが。
イタチはこちらのそんな内面は知ってか知らないでかまたしてもジリジリと様子を伺うモードに入ったご様子だ。自慢の一撃を受け止められて警戒しているのか。
ラザァは手にしたナイフを構え直して改めて見る。イタチの体表は先ほど取っ組み合いになった時に触った感じそこまで強固ではなさそうだ。このナイフでも割と楽にダメージを与えられるだろう。しかし防具がないのはラザァも同じだ、あのイタチの爪や牙はいとも容易くラザァを八つ裂きにする。この戦い先に一発でも攻撃を当てた方が勝つだろう。
イタチは依然として一定の距離を保ちつつこちらを伺っている。ラザァもそれに合わせて動きつつ、周りに使えそうなものがないか探る。
'''思えば前回のバザロフによるテロ事件の時も周りのものに頼りきりだったな'''
仕方ないといえばそれまでだが他に頼らずとも自分1人でなんとかできる強さが欲しかった。
周りは巨大な木々、ラザァ達が向かい合っているのはちょうど木がない広場のような場所で草原のようになっている。
いや、一部は草原とは言い難い。
綺麗に草の生えた場所が大部分の一方で、何かが地面から這い出たようにボコボコに掘り返された場所がどころどころある。巨大な生き物が通ったのか大きな木の根まで見えるほどにだ。
あの上で戦えば体重のあるラザァが不利だ。
'''いや、それ以外の意味もある。'''
単純で、あまりにも幼稚な手段だがそれだけにくらってしまえばどうしようもない方法が。
ラザァはジリジリと様子を伺いながら移動を続ける。イタチもそれに合わせて移動する。
イタチとラザァの間にそのボコボコ地面がきた瞬間、ラザァは前に飛び出していた。
イタチは一瞬何が何だかわからないと言った顔で態勢を低くし、同じく飛びかかる姿勢になる。
かかった
ラザァは飛び出した直後だというのにすぐに止まろうとする。当然車のドリフトのような姿勢になり、そしてボコボコ地面に突っ込む。
ラザァのその足によって大きく土が舞う。泥や小石や根っこ混じりの掘り返されて新しい土が。
今まさに飛び上がったイタチの顔面にそれは吹雪のように襲いかかると、石か土かはわならないが何かがイタチの眼を直撃し、そのまま地面に落ちる。
この機会を逃すまいとばかりにラザァはそこ目掛け、なぜかナイフの持っていない左手を突き出していた。
グーがイタチの顔面を直撃し、そのまま吹っ飛ぶ。
「…あれっ??、でもとりあえずやったのかな?」
つい先ほど頭の中でナイフで一撃で勝ちだとか脳内シュミレートしたばかりなのにナイフを持っていない方の腕を使った事に自分でも納得できなかったが、イタチは地面に伸びていてとりあえず無力化できたようだ。
「よく考えたら殺す必要はないし、まあいいか。」
誰に向けたでもない独り言を呟き、ズカズカとイタチに寄る。
その時だ
イタチの眼がカッと見開かれたかと思うと、ラザァに再び飛びかかり、喉を噛み切ろうとしてくる。
「くそっ!」
死んだふりをするとは予想もしていなかった。
血走った目でラザァを憎々しげに睨むその目には殺意しか無かった。
「ごめん。」
ラザァは相手を押さえつけたまま、丁度逆手に持つ形になってたナイフを背中からつき立てる。心臓がありそうな位置に。
ラザァの腕の中でもがく力がドンドン弱くなる。ラザァの喉を狙っていた口から赤い血が流れ出る。
そしてそれはただの毛の塊になった。
ゆっくりと動かないそれを地面に横たえるとなんとか立ち上がる。
その体は恐怖ではない何かで震えていた。
'''僕が殺した…'''
'''この手で殺した…'''
この手で殺し、自分の腕の中で息を引き取った。バザロフの時は部下はラザァに怪我を負わされた後に自決したし、バザロフは一応生死不明の行方不明だ。
実質、初めて自分の手で殺したようなものだ。殺す以外の選択肢もあったかもしれないのに。
ラザァは持っていた血染めのナイフを落とす。
このイタチにも家族がいたのではないか?いや、いたに決まっている。自分の家族、居場所を守ろうとして侵入者の僕を追い払おうとしたに違いない。そして僕は…
ラザァの頭の中で様々な声が行き交う。胸が締め付けられる。生き物を殺すというのはそういうことなのだ。手に付いた血が、目の前の毛の塊がラザァを逃れることのない後悔の念に絡め取る。
「そんな、僕は…」
これが、こんな感触が特訓の成果?
「仕方なかったわよ。」
振り返ると、探していた銀色がそこにはいた。心配そうな表情を浮かべながら。
「ラザァ…」
ミラはゆっくりとこちらに歩いてきた。




