先生
例のボロ屋敷を出た後ラザァ、オードルト、エリダはパイリア城につき、上へ上へと螺旋階段を上っていたところだ。医務室に泊まっていた時に何階まであるのか数えようとしたのだが体力の限界を感じて断念したやつである。
オードルトの様子からラザァに関しての話だと思いミラをついてこないように言い含めたのだが相当不機嫌な顔になっていたし後で何かしらのフォローしないとダメだなとぼんやり考えていた。
「随分と仲良くなったものね。」
「ふへっ!?」
不意に後ろを歩くエリダが口を開いたので思わず変な声が出た。エリダのクスクス笑いに思わず顔が熱くなるのを感じる。
「あの子よ、ミラ。私も詳しくは知らないけどあなたの前だと噂通りの子とは思えない表情見せるのね。」
「…そうですね。僕自身も知り合いが少ない中で助けられています。」
バザロフの一件が解決してからの1カ月の間、ラザァはミラに多くの事を教わり、助けられてきた。
ラザァが街に行く時は何かと理由をつけて、時にはどう考えても苦しい嘘をついてまでラザァについてきたミラの意図はなんとなくわかる。パイリア中とは言えなくともラザァの噂は広まりつつある。"""何やらパイリアに貢献して偉い役職に就いた異民の男がいる"""と。
バザロフの一件はパイリア市民には公開されていないがラザァの存在は既に半分以上のパイリア市民に知れ渡っているだろう。そしてラザァを見る目が好意的なものばかりでないこともラザァは知っていた。
こちらの世界の人間が異民をよく思っていない場合が多いということなどこちらにきた初日にエリー達から聞いているが、実際街中でいきなり敵意の籠った目線を向けられるのは中々堪えるものがあった。
ミラもそれを知って護衛のつもりでラザァについてきてくれているのだろう。わざわざ嫌いな人目の多いところに出てまで。
実際問題ミラの戦闘能力は群を抜いているし、ミラの正体を知らずとも何となく悟っているパイリア市民は多いのでミラと一緒の時のラザァに敵意を向けるような命知らずはいなかった。
ミラよりもむしろラザァの方が助けられているといえばそうだろう。
「そういう意味じゃなくて…まあ、いいや。若いんだから自由にすればいいんじゃない。」
エリダは期待していた返事をもらえなかったという様子でため息をつく。
「…?若いっていうならエリダさんだって…」
「!!あんたうまいわね、もしかしてあの子にもそんな甘い言葉かけてないでしょうね?あとエリダでいいわ。」
エリダが驚いたように聞く。
「そんなことな…」
そんなことないですよと言いかけて、ミラと出会ってエリーの誘拐事件を解決したあたりで泣きじゃくるミラを思いっきり抱きしめた事や、パイリア城の医務室で(仕事上、職業上の事だが)ずっと側にいてとか言っていた事を思い出し口が止まる。我ながら急いでいたりすると恥ずかしいセリフをポンポン言える性格が憎い。
「その無言が気になるのだけれど…まあいいわ。そろそろ着くし。」
「そういえばどこに向かっているんですか?」
ラザァは話があるとしか言われていないしどこに向かって城の中を歩いているのかも知らされていない。先頭を歩くオードルトについて行っているだけだ。
「お主の先生のところじゃよ。」
答えたのはエリダではなくオードルトだった。オードルトは振り返ることもなく話を続ける。
「お主もそろそろパイリアに慣れてきた頃じゃろう?ある意味政治に関わるような人間じゃからの、この世界についても学ばねばなるまいし、先日のような荒事に巻き込まれた時のために剣術なども学んでおくに越したことはあるまい。その師じゃ。」
「師…ですか…」
前にガレンが専属の先生をつけてやるとか豪語していたことを思い出す。口ぶりから察するにあまり関係はなさそうだが。
先生、師
確かにラザァはこの世界についてあまりにも知らないことが多い、暇な時にミラやヘレナやガレンやエリーから話を聞いたりはしているがやはり限界がある。それにラザァには圧倒的に力が足りない。バザロフの一件の時も戦闘はほとんどガレンとミラで、ラザァは最後にバザロフを川に落とした時くらいしか戦っていない。いつまでも2人に頼ってばかりというわけにもいかないのはわかっている。
そう考えるとオードルトの申し出はありがたい。
「ちなみにその先生って…」
「うむ、お主の知らない者だと思うぞ。」
オードルトはいつもラザァの心を読んでいるかのように先回りして答える。今回も質問を言い終える前に1番聞きたかったことを言ってきた。
「何、大丈夫じゃよ。今までにお主がこの世界で出会った人間の中では最もまともじゃよ、おっとわしもまともじゃない人間に含まれておるの!」
そう言うとオードルトは1人で笑い出す。後ろからエリダのため息が聞こえた。確かにラザァがこの世界で出会ったのは古龍の少女に、やや間抜けな衛兵に、やたらフレンドリーな今時の女の子に、異民を溺愛する古道具屋の爺さんと個性の強い人しかいない。普通という言葉が似合うのはヘレナとウェルキンくらいしかいないだろう。
そうこうしている間に階段から曲がったすぐのところにある扉の前に3人は来ていた。
「それじゃあ行くかの。」
オードルトはその大きく垂れた耳をヒクヒクさせながらゆっくりとドアを開いた。
ラザァはゆっくりと歩き出す。
入った先は一面本の山だった。壁際の本棚はぎっちりとつまり満員状態。正面の机の上にも本の山ができ、向こう側が見えない。床にもいくつもの山ができていた。
「うわあぁ…」
ラザァも思わず声を出す。好奇心旺盛と言われることの多いラザァには割と羨ましい環境である。
「まあ初めはみんなそうなるわよね…」
後ろのエリダが呟く。
「ダルクはこの本の山を整理しないことを除けば完璧な人間なんじゃがのう…まあ何かしら欠点のある方が親しみやすいものかのう…いやしかしこの惨状は…」
前のオードルトもうーんと唸っている。
「人の部屋に入っていきなりそれですか、議長もお厳しいですね。」
本の山が喋ったかと思うと後ろから1つの人影が現れた。
少し長めな茶髪を後ろで結んだ中年の男だ。本を読んでいたのか眼鏡をかけており、緑色の目をパチパチさせている。ガレンと同じくらいか少し年上だろう。昔は美青年だったことがうかがえる整った知性を感じさせる顔立ちにスラリとした長身。武骨な見た目の多いパイリアの衛兵にはとても見えない。
「おおダルク!読書の邪魔だったかの?」
オードルトが男の姿を見ると目を輝かせて言う。
「いえ、あらかじめこちらにいらっしゃるとのことでしたので大丈夫ですよ。ではそちらの彼が?」
ダルクと呼ばれた男がラザァの方を見る。
「うむ、ラザァ フラナガンじゃ。ラザァ、こちらはダルク ローレンス。パイリア衛兵でわしの良き友じゃ。そしてしばらくの間お主の師となる人間じゃ。」
「よっ、よろしくお願いします!ラザァ フラナガンです!」
オードルトに紹介され、すかさず挨拶をする。なんとか裏返らずに言えた。
「うん、こちらこそよろしく。」
ローレンスはそう言うとにっこりとしながら手を差し出してきた。握手のつもりなのだろうか。
ラザァはそのままローレンスの手を握る。ローレンスの手は見た目の割にしっかりとしていて、そしてところどころ傷跡があるのがわかった。
「さて、これからの事でも話すかの。」
2人の様子を見届けたオードルトがゆっくりと口を開いた。
パイリアはまだ午後になったばかりだった。




