そして、その後(終章)
暖かい日差し、ふかふかのベッド。
もう何年も感じていなかったような気がする、そんな感触。
懐かしく、心地よい感触に包まれながらラザァ フラナガンはゆっくりと瞼を開く。
見慣れない石造りの天井が目に入った。何時くらいなのかはわからないが窓からは暖かな日差しが差し込んでおり部屋を明るく包み込んでいた。
ラザァが現在寝ているのは白いふかふかのベッドだ。先日泊まった宿屋のベッドとは格が違う快適具合だ。
「ーーって、痛っ!」
起き上がろうとして激痛に思わず声を出す。
そして自分の身に何が起こったのかをはっきりと思い出す。
テロリストのリーダー、イワン バザロフの投げたナイフに右肩を大きく切り裂かれ、取っ組み合いのけんかの挙句川へダイブしたのだ。何がどういう経緯で今ここにいるのかさっぱり予想もつかない。
「おおっ!気がついたか!」
混乱しているラザァのすぐ横で老人の声がする。
首だけ動かし隣を見るとそこには白髪に眼鏡というよくいそうな老人が座ってラザァを見つめていた。よくいそうと思ったが前言撤回だ。彼の側頭部を見てラザァはギョッとする。
その老人のこめかみには大きく垂れた耳がついていた。明らかに人間のものではない。象や大型の牛に見られそうな耳だ。
「やはりこれが珍しいんじゃの。」
老人はラザァの視線に気が付き、自分の耳をいじる。
「あなたは一体?」
ラザァはまだ気だるい体から声を出し尋ねた。
「おおすまぬすまぬ、わしはユヤ オードルト。異民から異世界の話を聞くのが趣味のジジイじゃよ。」
老人はどこか楽しそうな笑みを浮かべて言う。威厳を感じさせつつも親しみやすさも感じさせるどこか不思議な雰囲気を醸し出していた。
ユヤ オードルト
どこかで聞いたような名前だなと思いつつラザァは口を開く。
「あの」
「爆弾なら無事に確保したぞ。起爆装置ものう。」
オードルトはラザァが言い終わる前に一番聞きたかった事を先回りして答えた。
「…そうですか、それは良かった。」
ラザァは安堵の息を吐く、最悪の事態は防ぐことに成功したらしい。
「君がどこまで知っているのかわからんが今回の黒幕であるアルバード ヒルブスも何事もなく確保じゃ。」
「えっ!?」
オードルトから意外な情報を聞く。
てっきりラザァ達がバザロフと戦っている間に黒幕のヒルブスは逃げていたかと思っていたからだ。
「わしも詳しい事はわからんのじゃが、屋敷を包囲してネイク一等が乗り込んだら全面降伏したらしいの。はなから戦う意思はなかったらしい。」
オードルトは「ジジイの考える事はわからんの、おっとわしが言うか!」と自分で自分に突っ込みを入れている。
「それに今回のテロの実行犯であるシヴァニアの元軍人共は地下道の一室で皆自決しておった、中には幹部クラスの獣人2人の死体もあった、じゃが…」
幹部クラスの獣人2人とは恐らくラザァとガレンの戦ったダニとリブの事だろう。他のテロリストも皆自殺したのか…
予想できた事であるがやはりショックは隠せない。
「そのリーダーとされるイワン バザロフの死体が見つからないのじゃよ、現場から彼のものと思われる腕と血痕が見つかった事から無事かどうかはわからんがの。それで君に少し話が聞きたかったというわけじゃ。」
「そうですか…バザロフは…」
ラザァは最後に見たバザロフの事を事細かに話した。彼の思想と言動から最後に2人で取っ組み合いながら川へ落ちたまで余す事なく話した。オードルトはうんうんと頷きながら真剣に聞いていた。
「そうじゃったか、今でこそ平和じゃがパズームが他国と戦争をしていた歴史があるのも事実じゃ。その時たくさん兵を出していたパイリアも無関係ではない、考えなければならない事も多いの。」
オードルトはバザロフの話を聞き終えると深いため息をついた。
「北のシヴァニア、さらに北のプロアニア。そして東のユデンからは恨まれても仕方ないからの。負けた方が悪いなどと一言で片付けられる問題でもあるまい。」
「バザロフは生きていると思いますか?」
ラザァが現にこうして生きているのだ、バザロフもわからない。
「わからぬ、ひどい怪我をしていたのなら五分五分というところかの。今パイリアに潜伏しているのかもわからぬ。それにしても…」
そう言うとオードルトは言葉を一度切り、ラザァの顔をまじまじと見つめる。
「異民なのじゃから帰り方とかについて詳しく聞こうとしたりするかと思ったのじゃが…わしを見てもそこまで驚いていなかったしお主中々の強者じゃの。」
オードルトはそう言って笑う。ラザァ自身もなぜこんなに冷静なのかわからないのだが。
「そっ、それは」
「まあ君がこの2日ほどで体験した事に比べれば大抵の事は大した事ないのじゃろうな、異民へのケアを全く行えていないパイリア側にも問題があるのじゃが。」
異世界の生活初日には何者かにつけまわされ、2日目は朝から宿を襲撃され、エリーを誘拐したテロリストのアジトに入り込み、そしてヒルブスの屋敷で捕まり地下牢に閉じ込められ、大蛇に追い回された挙句、最後は爆弾をめぐって殺し合いだ。もう一生味わいたくない経験だ。
「よければ君の話を聞かせてくれるかの?異世界の話を聞くのが楽しみと言ったじゃろ、それに君は何か胸のうちに抱え込んでしまうような人に見える。口にする事で楽になる事もあんじゃろうに。」
オードルトはその全てを見透かすような目でラザァの顔をしっかりと見つめる。なんでもないような口ぶりだが真剣さが痛いほど伝わってくる。
気がつくとラザァはそのオードルトの態度につられて口を開いていた。
ラザァの家族のこと。元いた世界での生活。親戚の家。ラザァの居場所。妹。そしてこの世界に来てからの事。
ラザァは余す事なくオードルトに話した。オードルトは時々質問を挟みながらもうんうんと頷きながら話を聞いていた。
「そうか、そういうことじゃったか。ではラザァがわしらに心を開いてくれたのじゃ、わしらも心を開いて君に接しなければの、ラザァの知りたい事も教えよう。」
次にオードルトはラザァへこの世界の事を詳しく話してくれた。
ラザァのいた世界とは別の時間軸で存在する世界。突然その2つの世界が交差してラザァのいた世界から人や物がやってくることがあるということ。2つ以上の世界の存在が確認されている事。そしてラザァ達のような人間は異民と呼ばれ無事に帰れる者もいれば、悲惨な最期をとげる者も多いという事。
そしてこの世界の事。人間の他に獣人や悪魔などいわゆる亜人も住んでいて人間とは良好な関係を築いている事。魔獣や龍のような生物もいる事。そして人間と亜人の両方の血を持つ存在の事。基本的に片方の性質しか受け継がないが、ごく稀にハーフのように両方の性質を受け継ぐ者がいること。オードルトはそのハーフだということ。そして中でも希少種と呼ばれる性質の割合を自分で変えることが出来る存在のこと。
そしてパイリアのこと。パズームという国の大都市で王政ではなく議会制の城下町だということ。ちなみにここはパイリア城の医務室だということ。昔戦争で勝利し裕福な都市だが、そのことで恨まれることもあるということ。
いったいどれほどの時間が流れたのかわからない。それほどオードルトの話はラザァの好奇心を刺激した。ラザァも何度質問をしたのかわからない。オードルトはそれに必ず答えてくれた。
「ふう、ラザァよ、わしは思うのじゃが人とはお互いをよく知らないうちから争い過ぎだと思うんじゃよ。よく知った上で争うのとよく知りもしないで争うのでは大分意味が違うからの。今回の事件もパズームとシヴァニアの確執によるものじゃがお互いの無知も関係無くは無かろう。」
オードルトは髭を撫でながら世間話をするような口調で言った。
「これで晴れてわしもお主と腹を割って話せる関係という訳じゃな。」
オードルトはそう言うと茶目っ気たっぷりにウインクする。これから何を話そうというのか全く予想もつかない。
「それは…どういう意味ですか?」
ラザァも素直に聞く。悪い人だとは思っていないがあんまり馴れ馴れしいものだから気になる。この世界にはガレンといいエリーといいフレンドリーな人が多過ぎではないか?
「わしからの1つの提案、いやお願いじゃ。無論お主には断る権利があるし、わしも咎めん。」
「お主も知っての通りパイリアに限らずパズーム、いや、この世界には異民に対する十分な措置を取る環境が整っておらん。お主はともかく世界同士が交差してこの世界に呼び出された直後にあの世行きになった異民も多数おる。わしもずっとなんとかしようとしていたのじゃが適任者がおらんでな、そこでじゃ…」
オードルトはそこで一度言葉を切り、ラザァの目をしっかりと見つめる。深い緑色の目で思わず吸い込まれそうだった。
「お主さえ良ければこのままパイリアに留まって異民関連全般の仕事、異民のケアと保護などの担当の部署の責任者をやってはくれぬかの?もちろん自分の世界に帰りたいというのなら止めはせん。じゃが、少しでもこの世界に、パイリアに親しみを感じておるのならわしらに力を貸して欲しい。未だかつてお主ほどの勇気と行動力を示した異民はおらぬのだからな、お主ほどの適任者もおるまい。」
オードルトの口から出た提案はラザァの予想の遥か斜め上を行くものだった。
部署?責任者?僕が?
何かの冗談かと思ったがオードルトの目は真剣そのものだった。
責任者、今まであまり縁のなかった言葉だ。この世界で働く、パイリアのために。
あの世界での親戚の家での生活を思い出す。妹シーナが取り残されているのが唯一の心残りだが。
そこで思い出したのはまさかのバザロフだった。やり方を間違えたとはいえ自分の居場所を守ろうとしたあの兵士を。
ラザァが今回の事件になぜこんなにも、命をかけてまで関わったのか。それはバザロフと同じだったのかもしれない。ラザァ自身無意識のうちにパイリアを自分の居場所だと感じていたのかもしれない。
それなら迷うまでもないじゃないか。
ラザァは目の前の老人へ向かって笑みを浮かべる。
「僕でよろしければよろしくお願いします!」
責任者ラザァ フラナガンの誕生の瞬間だ。
「ずっと言い忘れておったがの、お主を助けていたらしいガレン レスフォード一等は無事じゃよ。強く頭を打ったせいか頭髪がやや寂しくなっておったが今は意識も回復して事情聴取を受けとるとこじゃ。」
「頭髪が寂しいのは元々だと思いますが…よかった…無事だったんだ…」
なんだかんだでラザァの異世界生活初日からの付き合いのあの親切で額の少し広い金髪の大男の姿を思い浮かべる。
異世界生活初日?
「そう言えば僕ってどれくらいの間意識を失っていたんですか?」
確かラザァはパイリアへ来て3日目の夜中から早朝にかけて川へ落ちて気を失ったはずだ。今はどうやら昼間のようだが。
「 丸1日と数時間じゃの。今は昼前くらいじゃ。」
「そんなに長く寝ていたのか…」
人生初の丸1日以上の睡眠がこんな形で実現してしまった。ラザァはよくわからないがショックを受けていた。
「その様子だとわしと話すまでに目を覚ましてはいなかったんじゃな。それなら会ってないのかのう。」
オードルトがどこかがっかりしたような口調になる。
「会ってないって、誰にです?」
「あの銀髪のかわいい女の子じゃよ。お主が川べりに倒れている間ずっと側で見守って軍が来るまで焚火でお主を暖め続けていた。あの女の子じゃ。お主が意識を失っている間にも何度かお見舞いに来ていたはずじゃよ。そして…」
銀髪の女の子…ミラだ!
ミラが僕を川から引き上げた?ということはあの龍はやはり…
「そして今もそこで盗み聞きしておる女の子の事じゃよ。」
オードルトはそう言うが早いか目にも留まらぬ速さで医務室のドアの前に移動すると、ドアを勢いよく開け放つ。テレポートのような能力まで持っているのだろうか。
「あいたっ!」
体重をドアにかけていたのか小柄な人影が入り口から倒れこんできた。
銀髪、青い目、髪色に近い銀色のワンピース。
ミラだ。
「えっ!?ミラ!?」
ラザァはつい立ち上がろうとしてまたしても肩の激痛で断念する。
「どうやらわしは邪魔者じゃの。ここからは積もる話もあるじゃろうし若い2人に任せるわい。」
そう言うとオードルトはそそくさと部屋を出てドアを閉める。なんとカチリと鍵の閉まる音まで聞こえた。
医務室にラザァとミラの2人きりという空間が形成された。




