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Schneiden Welt  作者: たる
第一幕
29/109

地下牢(4章)

第四章


ラ…ラ…ミラッ!


どこからか名前を呼ぶ声がする。誰なのか考えることもない。私のこの名前を呼ぶ人間なんてもうこの世には2人しかいない。


いや、つい最近。本当に最近。というか昨日1人増えたか?出会ったばかりのあの異民の男が。


ミラは自分の名前が好きじゃない。いや、この表現は微妙に間違っているか。そもそもミラという名前が本当の自分の名前なのかもわからないのだし。


この自分のファミリーネームがなく、本名なのかもわからないミラという名前が、誰から与えられたのかもわからないこの名前が自分の孤独を表しているようでどこか不安になるのだ。


大半の人間は私の名前を知っていても呼んではくれない。


化け物扱いか風景の一部程度にしか思われていないのだろう。そう思うたびに自分の運命を呪った。普段は強がっているが全く家族と呼べる人がいないのは堪えるものがある。


孤独とは死に至る病とはよく言ったものだ。


ミラ!ミラッ!


ミラを呼ぶ声がさらに大きくなる。忘れるわけがない、いつだって聞いていたい声。私の名前を呼んでくれる数少ない人の声。


ここで目を覚ましたら絶対にミラが恐れていた出来事を目の当たりにする気がした。だがどの道叩き起こされることになるのだろう。


ミラは覚悟を決め、ゆっくりと目を開いた。


自分の運命と決着をつけるために。




ミラは目を覚ますと直ぐに体の自由が奪われていることに気がついた。全身を鉄製の鎖でグルグル巻きにされ、手足には大理石製の手枷、足枷がはめてある。首には首輪付きだ。


随分と警戒されたものだ。そんなに私が怖いか?こんなの今時猛獣を捕まえる時にもしないだろうに。


ああ、確かヒルブスの屋敷に潜入したと思ってたら罠にはめられて、応接間であの2人と一緒に催眠ガスを盛られたんだった。


まずはじめにあの衛兵が倒れ、次に異民の少年が倒れた。ミラは最後までガスを吸わないようにハンカチを口に当てたりして、また、自分のこの強靭な身体のこともありしばらくは耐えたのだがいかんせん狭い密閉空間をガスが満たすのにはそれほど時間がかからなかった。


いつの間にかミラも意識を失っていて、気がつくと今に至るというわけだ。


まだ少しだけ頭がぼんやりしているがもう話したり歩いたりすることは可能そうだ。もっとも問題は身体の自由がないことだが。


ミラはあの2人はどうなったのかと周りを見渡す。


そして夢の中で、いや、夢ではなかったのだろう。さっきまでミラの名前を呼んでいた人物を見つけた。


ヨランダ


ミラが以前暮らしていた遠くの国の孤児院。正確には孤児院ではなく親切心から孤児を引き取っているお金持ちの老人の家で働いていた家政婦の老婆だ。


ミラが本当の家族のように感じていたあの場所。それのミラ以外での唯一の生き残りだ。ミラとヨランダ以外はみんなヒルブスとその部下に殺されてしまった。


ヒルブスは孤児院のみんなを皆殺しにした後、ミラ達をこの屋敷へと連れてきた。


ミラは別に監禁されたりしていたわけではない、だがミラがヨランダを慕っているのを知っていてヨランダの命を盾にミラが逃げないように脅しをかけてきていた。


地下に閉じ込められたヨランダを見捨てて自分だけ逃げるなんてミラにはできなかった。


ミラの名前を躊躇なく呼んでくれるヨランダを。


そのヨランダがミラの目の前でひざまずかされている。その顔には明らかに恐怖が浮かんでいた。瘦せこけ、シワだらけのその顔に。


見たところ乱暴なことをされたような形跡はない。だが、周りに複数立っている男が皆手に武器を持っている状況に恐怖を感じない方がおかしい。


それに


それに取り巻きのような男は小銃を持っているのに対してヨランダの直ぐ横の男だけは手に巨大な斧を持っている。血しぶきが生々しくもついている斧だ。容易に何に使われたのかわかってしまう。そしてそれが今から誰に使われるのかも。


「…ミラ…」


ヨランダが弱々しく呟く。


やめて!そんな顔して呼ばないで!まるで…まるで死ぬ前に会えて嬉しいみたいじゃない!


ミラは認めたくないがわかっていることを頭から振り落とす。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、ヨランダ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、ごめ…」


そんな言葉しか出てこなかった。


それもそのはずだ、自分で勝手にヨランダを助けられるとたかをくくり。まんまと捕まり、そして目の前でヨランダが殺されようとしている。


バザロフの依頼、いや忠告に従わなかったミラが招いた結果だ。ミラ自身が勝手に暴走して、そしてあの2人を道連れに捕まった。


そういえばあの2人は?


周りを改めて見渡すがあの衛兵と異民の2人の姿はどこにも見当たらない。どこか別の場所に連れて行かれたのだろうか?あるいはもう既に…


悪い事を考えるのは後だ、今はこの状況をなんとかしなければ、この体を縛る鎖をなんとかしなければ。


鎖を破るあてならある。ミラが嫌いな、孤児院のみんなを結果的には皆殺しにしてしまった原因だ。


だがミラ自身それを自由に扱えるわけではない。たまに意識がなくなっていることもある。制御することのできない力だ。


そこでミラの脳裏に浮かんだのはあの異民の顔だった。


お人好しで、そして、ミラの名前を躊躇なく呼んだあの男。


もしあいつがこの地下のどこかでまだ生きているなら。


鎖を破り、そして恐らく意識を無くして暴れまわる私の、ミラの姿を見てどう思うのだろうか。


いくらお人好しで人の善意を信じているようなあいつでも好意的な反応をしてくれるとは思えない。


もう失いたくない。


出会ってまだ2日だが、それでも私を信じてくれて、そして名前を呼んでくれたあいつも去っていってしまうのには辛いものがある。


これ以上誰かを失うのは嫌だ。


でも他の手段でヨランダを助けるにはどうすればいい?


ミラは自分の無力さに絶望した。化け物などと言われていても自分の味方すらも守れないじゃないか。


ミラが内心で葛藤している間にもタイムリミットは近づいてきたらしい。


「お別れの言葉はそれで最後か?」


ヨランダの直ぐ横の斧男がミラに冷たく言い放つ。


「俺もな、こんなヨボヨボの婆さんを手にかけたくないんだよ。お前がバザロフ様の言うことを守らなかったのが悪いんだからな。俺は、俺は悪くないからな。」


斧男の言うことも言い訳甚だしいのだが今のミラには突き刺さる。


その通りだ、バザロフの言うことを無視した私が悪いんだから。私がヨランダを…


「ヨランダ…ごめんなさい…」


他に言葉が思いつかなかったのだ、謝ることしかできなかった、いくら謝ったところで足りないというのに。


「ミラ、今まですまなかったわねえ、あたしのせいで自由になれなかったんだよね?本当に…」


そこまで言ってヨランダは涙ぐみ、言葉にならない嗚咽を漏らす。


「ヨランダ…私は…私は…」


やめて!謝らないで!謝らないといけないのは私なんだから!私のせいでみんな殺されて…


ミラは声に出せない。ただ震えるしかできなかった。


「見てられねえわ…」


お互いがお互いに謝ろうとしているミラとヨランダを見かねた斧男が両手でその斧を持ち上げる。こびりついた血がランプのそばで不気味に光る。


「ーーーーーーーーっ!!!!!!」


その不気味に光り輝く鉄の塊はミラの叫びをかき消す轟音とともに無情にも振り下ろされた。


ガチッ!


鋼鉄の刃が地面に叩きつけられる嫌な音からわずかに遅れてボトッという生々しい音が地下に響く。


ミラは自分の顔に何か生暖かいドロリとした液体が付くのを感じた。それは顔を伝い開けたままの口に入る。


鉄の味がした。


「お前の処遇はパイリアを脱出したあとヒルブス様自らお決めになる。それまでここで大人しくしていろ。大好きな婆さんと一緒にな。」


斧男は周りの男達に目配せをし、牢のドアを開けさせる。ここから出ていくのか。


ミラは自分の中で何か、ダムのようなものが決壊するのを感じた。


血ではなく、自分の内側から視界が赤く染まるのを感じる。


私、また1人失っちゃった。親のような人を、自分のせいで。


そしてまた失うんだろうな、今日私を恐れていたエリーも、そしてあの異民の男ラザァ フラナガンも。


ヒルブスに復讐したらその後はどうしようか、ずっと暮らしていた縁があるしパイリアを爆弾から守るのもいいな。


ついでに爆弾を人気のないところに運んで自爆でもしようか、この人生何1ついいことなどしていないから最後は街の人々を守るために命を落とすのも悪くない。私なんかにはもったいない死に方だ。


足枷にヒビが入る音が地下牢に響く。


今まさに牢を出て鍵をかけようとしていた男達がぎょっとしたようにミラを見る。


ミラはゆっくりと顔を上げ、目の前の男達を睨みつける。


その燃えるように赤い目で。


ごめんなさい


誰に向けたかわからない謝罪の言葉を頭の中で呟くと、ミラの意識は遠いところへ向かって行った。

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