獣の人
半年以上ぶりの更新です、学校が忙しかったもので申し訳ないです。
ヒュッ
各地の戦場で恐れられた傭兵、通称犬神はえらく細長いその片刃刀を自在に操りアズノフの斧に似た大剣を受け止め、隙あらば反撃を入れてくる。その武器の形状によりどんな大振りな一撃でもほんのわずかな音しか鳴らず、獣人の並外れた聴覚でなければ一撃で仕留められているだろう。
アズノフと犬神は病院二階の待合ロビーで刃を交えていた、周りにはアズノフの部下であるところのパイリア兵もテロリスト達もいない、正真正銘の一対一の決闘だ。
'''こいつが出てきたという事は今回の事件の黒幕はシヴァニアではなくユデン?ただ金さえ払えば誰にでもつく犬神の事だ、決めつけるのはまだ早いか……'''
いずれにしよこの場で犬神を無力化、最悪でも生きて逃げ帰り城にいるみんなに敵一味に犬神がいる事を伝えなければ。
だが現状アズノフは犬神に対して防戦一方を余儀なくされていた。一撃の重さは上でも反射神経や手数の多さが桁違いだ。まともにやりあってはジリ貧になりかねない。
犬神の太刀筋が壁際の給水機を捉え床一面が水浸しになる。
'''まずいな……'''
アズノフは軍用のブーツを履いてはいるものの、磨き上げられた石のタイルの上は水を受けて非常に滑りやすくなっている。それに対して犬神は裸足である、アズノフのような蹄ならともかくしっかりと地面を掴めそうな指付きだ。
「ぐっ!」
案の定足を取られた一瞬を犬神は逃さなかった、細長いその刃がアズノフの肩を突き刺す。
素早く後ろに下がり体制を立て直す。アズノフの犬神の距離は10メートルあるかないかだがそんなもの一瞬で詰めてくるのは部下の命を持って知っている。
「今回の事件、お前らユデンが仕組んだ事なのか!?」
アズノフの声に犬神の切れ目がピクリと動く。
「それにしては回りくどい事をしてるじゃねえか、他の国に濡れ衣被せて、それがお前らのやり方か?」
「なんとでも言え、どうせお前はここで死ぬ。」
そう言うと犬神は身をかがめるが速いか目にも留まらぬ速さで刃を向け突っ込んでくる。
「ぐっ!」
大剣を素早く横にしてそれを受け止める、反撃をしようと構えた時には犬神は再びアズノフから離れていた。
'''ダメだ、速さが段違い過ぎる…'''
後ろの階段からは依然として銃撃が聞こえてくる、拮抗状態が続いているのだろう。敵にしろ味方にしろ水を差す奴はいなさそうだ。
'''つまり援軍は期待できない…か。勝てるのか?相手はあの犬神だぞ?'''
犬神が各地の戦場で何をしてきたかはパイリア軍の資料室で見た、一度しか目を通してはいないがその内容の強烈さと残忍な内容で強く記憶に残っている。そんな殺人鬼にパイリアをのさばらせる訳にはいかない、命を賭してもここで仕留めなければ。
再び突っ込んできた犬神の刃を受け止める。
'''何か、奴の速さを封じる手段は?'''
病院の待合室という事で患者が避難した後には手荷物くらいしかない、使えないと思うべきだ。
そこで脇に放置されている医療用のカートを目にする。その上に置かれている診察時に用いる照明用魔法石も。
'''あれを目の前で発動させれば…'''
犬神の切れ目が果たしてどの程度見えているのかわからないが直接照射されて怯まない訳が無いだろう、それで少しでも動きを封じられれば……
アズノフは一抹の希望を見つけるが速いかジリジリと横に移動を始める、不自然にならない程度の速さで。
だっ!
ある程度距離を縮めた後アズノフはカートに向かい駆け出す、犬神も何かを察したのかものすごい速さで突っ込んでくる。
早くカートにたどり着いたのは犬神だった、狙いまではわかっていないにしろまずいと悟ったのかカートを蹴り飛ばしてひっくり返す。
だが幸いなことにカートの上にあった物が飛び散る中、狙いの魔法石はアズノフの目の前に飛んできた。
'''いける!'''
アズノフはブレーキをかけながら魔法石をキャッチする。視界の端では犬神が後ろにバックステップしていた。
「これでもくらえ!」
アズノフは魔法石を起動すると犬神に向かって投げつけ素早く目を閉じた。
「?」
てっきり何か悲鳴くらいは上がると思っていた。閃光に慣らすようにゆっくりと目を開ける。しかしそこは薄暗い待合室のままだった。
床には黒光りする星型の金属片に粉々にされた魔法石が落ちていた。
「なっ……」
その瞬間アズノフの側頭部を激痛が遅い、数メートル横に吹き飛ばされる。
「くそっ……」
口の中を切ったらしい、血を吐き出すアズノフの視界は目の前の敵に蹴りをお見舞いしてご満悦な犬神がゆっくりとこちらに歩いてくる姿を捉えていた。細長い刃が不気味に光る。
持っていた大剣は犬神の背後に落ちている。手には予備のナイフしか残っていない。
'''こんなところで死ぬのか?'''
チャキッ
目の前で手にした得物を構え直す音が鳴る。