不可解なメッセージ
時計の針が21時を刻み、近代的なビル群から漏れる灯りがメガフロートを覆い始める頃、開発局の若手研究員である新見恵は、おさげにしている可愛らしい髪を揺らすと、主任である小林の方を眺めた。彼は作業中にだけ見せる精悍な顔立ちで、新型アンドロイドの最終調整をしている。
先日、監査担当の青木健太郎がスペック表と簡易マニュアルを受け取りに来た際、同時に技研上層部にも正式な試験申請が通っていたこともあって、新型の評価試験は開発局の調整待ちという形になっていた。
結果、上層部からの連絡に高揚した小林によって突如として残業の旨が新見にもたらされたため、普段であれば行きつけの中華料理屋でとっくに一杯やっている時間ではあったが、新見は渋々ラボに残っていた。しかし表面上はげんなりとした態度を取っていた彼女であったが、自身が初めて携わった大きなプロジェクトということもあり、内心高揚を隠せないでいた。
一方でそんな彼女とは対照的に、先日まで培養槽に浮かべられていた黒髪の少女型アンドロイドは、虚ろな瞳を閉じて、文字通り産まれたままの姿で横たわっている。もし首元にある充電ケーブルさえ無ければ、それがアンドロイドであると看破する人間は極少数であろう。
新見は少女に繋がれたコンディション装置のメーターを確認すると、小林に報告した。
「主任、エネルギーの充填率が80パーセントを超えました。すぐにでも稼働出来ますがどうされますか?」
新見は早く動く彼女を見たいという気持ちもあってか、急かす様な口調で尋ねていた。
「ちょっと待って、彼女の予備電源でまずAIを仮起動させてみる。身体は動かせないけれど、僕のタブレット端末に情報を送信出来るか確認したい」
小林はそう言うと自身のデスクから私物と思しきタブレットを取り出すと、彼女の後頭部と端末を細いケーブルで繋いで遠隔操作に入っていた。その手慣れた小林の動きに、新見は自身の浅はかな気持ちを恥じつつも、純粋に感心していた。
「すみません……私、予備電源からのAI管理なんて考えていませんでした。勉強不足です……」
「いいんだよ、まだ君は若いんだし。それに愛莉の時は僕がほぼ一人でやったようなものだったからね。ノウハウもロクにマニュアル化しなかったのに、君はよくここまで着いてきてくれたよ」
小林は端末の画面から目を逸らさず言うと、すぐに操作に没頭して黙り込んでしまう。小林は素直に言ったつもりであったが、一方で新見は自身の力不足を痛感していた。彼女は資料を握っていた手に力を込めると、切り替えるように小林へと向き直る。
「主任、他に私が手伝うことはありますか?」
新見はいま自分ができる事を成そうと必死であった。残業を始める前に感じていた気持ちを、彼女はいつの間にか忘れている事に気付いていない。
「うーん、じゃあこれから予備電源を入れるから、新見君は僕の端末を見ててくれないかな。エラーコードや稼働情報が送られて来なかったりしたらすぐに言ってね」
「は、はい!」
珍しく二人は真剣なやり取りを交わすと、新見は小林から端末を受け取った。驚くべき事に、端末の画面には種々の情報が錯綜していて、少女を模した立体モデルをタッチすると、各部の稼働率や体内を流れる冷却用オイルの状態まで確認することが出来るようになっていた。
「すごい!これも全部一人で?」
「いや……まぁそうだけど、殆どは愛莉の時に作ったものを改良したアレンジ品なんだ。流石に今回の計画だけで、そこまでのものは作れないよ」
小林は謙遜したように言ったが、新見は改めて目の前の冴えない男を尊敬の眼差しで見ていた。
「なんだか新見君に褒められると調子が狂ってしまいそうだよ……」
「ちょっとそれどういう意味ですか。私だって素直に褒めるときはあります……だいたい普段からこういう態度なら他の社員に何も言われないのに……」
新見は憤る仕草で小林に言うと、再び画面に目を落とし状態を確認していた。小林はやれやれといった様子で彼女を見ると、もう一人の彼女に向き直り、そして言った。
「……よし、それじゃあ予備電源を稼働させるから、新見君は異変が無いか確認しておいてね!何かあったらすぐに言って!」
「はい!」
相互の確認を終えると、小林は彼女に繋がれた充電ケーブルを抜き、うなじに隠されたパネルを操作して電源を入れた。
直後、新見の端末に異変が起こった。
「あれ……?」
"I'm here. Where is he?"
(私はここにいる、彼はどこ?)
画面には謎の質問が表示されていた。新見は予想外の事に何もできず、呆然としてしまう。
「新見君?どうかした?」
何も言わない新見を不自然に思ってか、小林が声をかける。新見はハッとして小林に向き直り、今起きた事を説明しようと彼に駆け寄った。
「主任!変なメッセージが出てきて!」
動転した新見は、ケーブル群に躓いて転びそうになったが、小林はそれを受け止めると彼女の様子がおかしい事を察して、すぐさまに端末を手にとった。
「す、すみませんっ!……でも変なメッセージが出て、私慌てちゃって……」
新見は必死に説明しようとしていたが、そんな彼女とは対照的に小林はいたって平然な顔で端末を操作していた。
「……主任?」
「ん?あぁいや、別におかしなところは無いと思うんだけど」
小林はそう言って、普段通りの様子で新見にに端末を差し出した。彼女が端末を覗き込むと、先程の不可解なメッセージはどこにもなく、少女の状態を示しているのみであった。
「そんな!確かにさっき文字が!私はここにいるって!」
新見は必死に抗弁したが、小林はキョトンとした顔をするのみであった。
「僕が見た時には何も映ってなかったけどなぁ……新見君もしかして体調悪い?」
小林は新見が疲れからか、何か別の情報を勘違いしたのではないかと思っているようで、新見の意見を信じることは無かった。その後、予備電源での起動が無事完了した少女型アンドロイドは、各部位にも異常が見られなかった事もあり、本起動に備えて再び培養槽の中へと戻されることになった。
残業を終え小林と別れた新見は、自身の発言が信じてもらえなかった事に不服ではあったものの、ここ最近は仕事の疲れも感じていた事もあり、落ち着いた今では小林の意見も一理あるように思えていた。もしかしたら、本当に何か違う情報を読んでいたのかもしれない。そんな気持ちが彼女の中を過ぎっていた。
「はぁ……皐月のとこにでも行こうかな」
新見が腕に付けた時計を見やると、時間は22時を過ぎていた。
「営業時間過ぎちゃうけど、たまには良いかな」
新見は開発局を出て、愛車の停めてある駐車場へと向かった。彼女はレトロな外観のFCV(Fuel Cell Vehicle:燃料電池車)に乗り込むとすぐさまスターターを押して目的地をナビに向かって告げる。
「ごーちゃん、今日は金龍までお願い。私ちょっと疲れちゃったから寝るね……」
「リョウカイデス!ホンジツモオシゴトオツカレサマデシタ」
ごーちゃんと呼ばれたナビは合成音声で彼女に応えると、FCVは自動運転モードに切り替わり、新見が操作することなく目的地へと発進する。リクライニングを倒した新見は、気疲れからか、数分もしないうちに眠りに落ちて行く。意識が途絶える寸前、あの不可解なメッセージが新見の脳裏を過ぎっていた。
「I'm here……あなたはどこ?」
先日から続くメガフロートの雪は、未だにやむ気配がない。