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ザ・フロート  作者: 積鯨
5/8

優しい香りに包まれて

メガフロート中層 金龍 PM1:30


中層に住む人々が物資を求めて集う街マーケット。雪がさんさんと降る生憎の天候にもかかわらず、昼時のこの時間帯はまだまだ人の客足が絶えることはない。飲食店である金龍もまた同様であったが、つい先ほど昼の部の材料が尽きたために店終いとなった。

僕はやっとのことでラーメンを完食し、何とかして皐月さんの父である店主を納得させることが出来たようだ。しかし、満腹感からか、僕は強烈な睡魔と倦怠感に襲われていた。こういう時は、後に待つお客さんに迷惑だなと思いつつも、不思議となかなか席を立つことが出来ないものである。そんな事をしていると、相変わらず人相の悪い店主に怒られてしまう。

「食ったら早くカウンターを拭いて裏手に行け。もうすぐ皐月が空くから、上の案内をあいつにさせる。お前はそれまで裏の階段下にでも座ってろ」

態度の悪い客とでも言わんばかりに、店主はしっしっと手を動かして、僕に退くよう煽った。この人とはいつ打ち解けられるのだろうか心配である。そういえばまだこの人の名前を聞いていないなとも思ったが、早めにここから離れないとまたドヤされそうなので、僕は言われた通りにカウンターを拭いて丼を揚げると、怠い体を引きずりながら店の裏手へと回ることにした。


金龍の入っている雑居ビルの裏手は、メインストリートから一本脇に入る事もあってか、少し物寂しく、閑散とした雰囲気が漂っている。その一方で、ここは歓楽街にも隣接していて、風俗を示す看板や灯りの点いていないネオンが、静かに息を潜め、賑やかな夜の訪れを待ち侘びているかのようであった。

裏手に回った僕は、冷たい外気を避けるように、屋根のある上階へと続く階段に腰掛ける。空を見上げると雪はまだ止みそうにもない。まるでラーメンで暖まった僕の身体に吸い寄せられるかのように、雪は階段の周りに降り積もっていた。僕は白い吐息を吐きながら、これから自分が住むことになる四階建ての小さな雑居ビルを尻目に見る。外観は極めて特徴の無いビルだが、強いて言うならば一階がラーメン屋というのは珍しいのかもしれない。最初は飲食店の上に住むなど考えられなかったが、マーケットが大学に近い事に加え、周辺のマンションに比べて破格の安さであったというのがここを選んだ決め手であった。仲介した不動産屋が言うには、このビルはマーケット創設期から建っているとの事で、築年数がかなり経っていることもあって安いのだという。事実、就学ビザを使って単身メガフロートに来ていることに加え、経済的に頼れる親族の少ない僕にとっては渡りに船であった。加えてマーケット内に自宅があれば、買い物に困ることもないというのもメリットの一つだ。金龍の店主は少しクセのある人かもしれないが、対照的に娘の皐月さんは優しく人当たりが良いので、差し引きで言えばプラスかもしれない。何より、皐月さんと僕は歳も近そうで、最初からこんな気持ちでは情けないとは思うけれど、困った時は皐月さんを頼ろうと思う。情けない算段を立てる僕だが、僕だってメガフロートに来てから日が浅いのだ。歳の近い友人がいないというのは、流石に堪えるものがある。新居に入居初日から、皐月さんのような優しい人と知り合えたのは本当に幸いであった。

(そういえば、皐月さんは一人娘なのかな)

僕は先ほどまで食事をしていた金龍の店内を思い出す。パッと見た感じだと、皐月さんと彼女の父である店主以外に従業員の姿は見当たらなかった。家族営業なら奥さんがいてもいいはずだし、仮にいるならいるで、皐月さんが平日から働く必要もないはずだ。僕は少々不思議に思ったが、たまたま皐月さんのお母さんが出かけていたのかもしれないし、もしかしたら別の仕事をしているのかもしれない。それに、他人の家庭事情を追求するなんて深い仲でもやってはいけないことだし、僕と皐月さんは今日知り合ったばかりなのだから尚更だ。あるいは僕の思い過ごしだっていうことも充分に考えられる。

僕の妄想はどんどんと飛躍していくばかりであった。一人で考え込むのは僕の悪い癖だ。そうこうしていると、裏口の扉が開き、短い黒髪を揺らしながら、一人の女性が現れる。しかし、彼女が近づいてきた事に僕は全く気付かなかった。

「……ツンツン」

右の頬に指先でつつかれる感触がして、僕は反射的に右に振り向く。けれどもそこには誰もいない。

「えへへ……ハズレ」

反対側を振り向くと、そこには黒地の七分袖のTシャツにエプロンをかけた皐月さんの姿があった。先ほど店内で給仕をしていた時は半袖のTシャツだったので、どうやら上だけ着替えたようだ。

「もう……そんな子供みたいな事をして……それより皐月さん、そんな格好で寒くないんですか?」

いくら先ほどまで厨房にいたとはいえ、雪も降っているこの時期に七分袖にエプロンはない。見ているこっちが寒そうだ。

「んー、ちょっと寒いけど慣れてるからね。じゃあこうしちゃおっかな」

皐月さんは屈託の無い笑みを見せると、僕の座っている隣にえいっと言って腰掛ける。

「くっついてれば温かいしね……」

皐月さんは爛々とした瞳で僕を見てくる。僕は一瞬ドキッとしたが、その顔は徐々に笑いをこらえる顔へと変わっていく。

「皐月さん、もしかしてからかってます?」

「えへへ〜バレちゃったかー。龍太郎くんってからかい甲斐があるなぁと思ってさ。それにその困った顔が可愛いし。」

皐月さんは、短めの黒髪をいじると、てへへと笑った。どうやら皐月さんは僕を困らせて楽しんでいるらしい。

「可愛いとか言われても、男としてはあんまり嬉しくありません……それにお姉さんぶってますけど、皐月さんと僕って結構歳が近いように思うんですけど……」

僕は呆れ口調で、隣に座る薄着のお姉さんに文句を言う。

「確かにそれは思った!私今19歳なんだけど、龍太郎くんは今何歳?」

「え、僕は今18なんですけど、今年で19になります……っていうことは同い歳?」

何と皐月さんとは歳が近いどころか同い年であった。てっきり僕より歳上だと思っていたのに。

「あらら、私としたことがまさか龍太郎くんと同い年だったとは。じゃあこれからは龍太郎くんじゃなくて、もっと親しみのある呼び名で呼ばないとね!龍くん?それとも龍ちゃんがいいかな?」

「いやいや、さすがに龍くんとか龍ちゃんは恥ずかしいですって……龍太郎とかでいいですよ……それなら僕も皐月さんのことを"さっちゃん"とか呼んでも良いんですか?」

まるで近所の子供に付けるみたいなあだ名に、僕は呆れてしまった。仕返しとばかりに皐月さんをいじってみる。

「何よそれっ!さっちゃんとか小さい頃にしか言われたことないわよ……流石にそれは恥ずかしいからダメっ!」

どうやら僕の仕返しは効果覿面のようで、皐月さんは顔を赤くして不貞腐れてしまった。自分が最初に言ったくせにと思ったが、これ以上皐月さんを不機嫌にさせるのは不味いかもしれない。

(あれ、さっきも似たような事があった気がするような)

次第に僕の中で築かれていた、仕事中の歳上っぽい"皐月さん"のイメージが、少しずつ壊れていくのを僕は感じていた。

「コホン……それじゃあ私の事は皐月。龍太郎くんのことは龍くんってことにしましょう。これで一件落着、言いっ子なし!」

「ちょっ!それじゃあさつ……皐月の要望だけで、僕の要望が一切通ってないじゃないか!」

思わず僕は勢いで"皐月"と呼んでいた。流石に龍くんと呼ばれるのは恥ずかしいので、僕は皐月に反抗する。

「改めて名前で呼ばれると照れるわね……でも一応あたしの方が5月生まれだし先輩よ。なので私の意見の方が優先されるのは必然!だから龍くんに決定権は無いの!」

皐月は少しおちゃらけた様子でそう言った。全く説得力のない話だったが、どうやら皐月は頑なに呼び名を変える気はないらしい。誕生日を迎えたら、僕も言いたい放題言ってやりたい気分だが、それも叶うかは怪しい。

「それに、本当に毎日私の事をさっちゃんとか呼ぶつもり?龍くんの方が恥ずかしくて途中で止めちゃいそうだけど?」

「うぐっ……」

僕は思わず口を噤んでしまった。実際のところは皐月の言う通りで、僕にはいじってやろうという以上の算段は無かった。改めて考えると、毎日このお姉さんみたいな人に、さっちゃんなどと言えるはずも無い。なにより、あの地下プロレスラーの様な店主が怒り狂って僕を殺してしまうかもしれない。

「ほら!やっぱり図星だ!龍くんはそんな意地悪なこと言える人じゃないって、初めて見た時から思ってたのよ!」

皐月はそう言って勝ち誇る。ここに僕らの序列関係が決定してしまった。

「そう思うんだったら、少しは僕のことを気遣ってよ……僕はまだここに来て一週間も経って無いんだから。」

「んー、確かにそうね。わかった!分からないことがあったら何でも私に聞いて!買い物とかまだわからないだろうし、今度一緒に行ってあげるから!」

「それなら良かったよ。じゃあついでに呼び名も龍太郎に戻し……」

「それはダメ」

「ええっ……」

二人の他愛のない会話が雪の降り積もった裏路地に響く。昼間は人気のない通りなのだが、今日ばかりは、ほんの少し賑やかであった。

「それよりいい加減寒くない?」

昼間とはいえ、雪は止む気配が無く、このまま振り続ければ、明日は雪かきが必要かななんて思い始めていた。皐月は相変わらずのエプロン姿なので、僕は心配になる。

「うん、寒い……早く部屋に入って温まりたいね。」

皐月は少し苦笑いすると、片方の手を寒そうに擦った。なんで片方なんだろうとも思ったけれど、寒そうにしてるのには変わりない。僕はそっと上着を脱いで、彼女に羽織らせると、新居がある三階へと階段を登り始める。

「あっ……龍くん優しいんだね……だけど私が鍵持ってるんだから、カッコつけて先に行っても開けられないよ?」

皐月はそう言ってクスッと笑うと、僕を追い越して一段とばしで階段を登っていった。どうやら僕の心配など杞憂であったらしい。

僕たちは階段を登り切ると、301号室と書かれたドアの前に立つ。

「ここが龍くんのハウスね……」

「いや、さも初めて来たみたいな事言わないでよ。」

そういって皐月は鍵を差し込み、ドアを開ける。部屋は1DKほどのフローリング張りで、中に入ると、僕が事前に申請していた家電とベッドは既に置かれていて、服や生活用品も収納された状態になっていた。

「メガフロートの引っ越し業者ってこんな事までやってくれるんだ……ネットで注文した商品の設置までやってくれるだなんて」

日本にいた時には考えられなかったが、フロートではこういうのが普通なのだろうか。

「驚いたでしょ。朝方に引っ越し業者のアンドロイドが訪ねてきて、二時間くらいで掃除と家具の設置までやってくれたの。普通は設置とかまでやらせたりしないと思うけど、龍くんってもしかしてお金持ち?」

「いや、引越し先だけ僕が決めて、後は親戚が全部手続きを済ませちゃったんだ。だから僕は必要最低限の物だけを頼んだだけ。あまり親戚に迷惑はかけられないからね」

僕はそう言うと、皐月が寒いといけないと思い、空調のスイッチを探す。リビングの壁にタッチパネルを見つけた僕は空調をheatingに合わせる。

「……親戚ってことは、もしかして何か家の都合でもあるの?」

皐月は少し申し訳なさそう顔で聞いてくる。こういう展開には僕も慣れているので、そこまで気にせず、淡々と応えるようにしている。

「うん、僕が小さい頃に両親は亡くなってるんだ。大きな事故だったらしくて、僕だけ助かっちゃってさ。小さい頃だったから詳しくは覚えてはいないんだけど、それ以来親戚の叔父夫婦のとこでやっかいになってるんだ」

少し重い話だが仕方がない。いずれこういう話はするだろう。皐月のこともついでに聞いてしまおうかとも思ったが、流石にそれは自重した。

「……そうだったんだ。なんかゴメン、知り合って間もないのにズケズケと色々聞いちゃって」

皐月は自嘲気味にそう言った。別に僕はこういう事には慣れているし、今更どうこう言うこともない。しかし皐月には違ったようであった。

「お返しってわけじゃないけど、龍くん、私の右手を握ってくれる?」

「え、どうしてです?」

突然の申し出に戸惑う僕、なにより彼女の意図がわからない。すると皐月は自ら右手を差し出して僕の手を握った。

「あっ……」

皐月の腕は僕の手と違ってとても冷たかった。そして握ってみて初めて分かったのだが、重いまではいかないにしろ、皐月の右腕には重量感があった。

「さっき龍くん、私が片腕しか擦らないのを見て不思議に思ったでしょ。私実は右腕を機械化してるの。だから、痛覚機能をオフにしてると、感覚が消えるから寒さも痛みも感じないの」

皐月はそう言うと、唐突に僕の左腕を掴むと、彼女の右袖の中に入れ始めた。

「ちょっと待って!?いきなり何を?」

「いいから!……ほらこの辺り……直接は見せたくないけど、二の腕の所に継ぎ目があるでしょ?小さい頃に事故でやっちゃったのよ」

僕は戸惑いながらも、言われた通りに彼女の二の腕に触れる。指を這わすと、彼女の肌に温度の境界面のようなものがあることに僕は気づいた。

「ここから温度が違う……」

彼女の肘の少し上までは相変わらず冷たい。しかし柔らかな二の腕あたりからは確かに体温が伝わってくる。

「ちょっと……くすぐったいわよ。あ、でも今は痛覚切ってるから、肘上しか感覚は無いんだけどね。」

「あ、ごめん。別にやましい気持ちは……」

「ふふっ……わかってるって」

何だか重い話をしているはずなのに、不思議と抵抗のようなものは無かった。本人に自覚は無いようである。

「一応さ、元の手が生えてた頃はこっちが利き腕だったんだよね。最後に義手を交換したのが五年くらい前だから、そろそろ換装しないといけないんだけどさ、この腕にも結構愛着があってね〜」

(腕に愛着って……)

「長年使ってると、不思議と交換したくなくなるのよ。それに、新調した腕に慣れるのにも時間がかかるからね。あと、技研の機械課病院に行くのも何だか気が進まなくて……」

僕はなるほどと思いつつ、自分の腕を見やる。詳しくはわからないが、メガフロートでは安価に機械化の治療が受けられるのかもしれない。僕が少し前まで住んでいた東京では、手術費があまりにも高額過ぎて、受けられる人は極少数であったと記憶している。そのため、部位欠損などになった場合は、従来通りの義手や義足といった施術が一般的であった。

「どうしたの?ぼーっとしちゃって。もしかして、初めて女の人の肌に触って緊張しちゃった?」

皐月は相変わらずの調子であるが、確かにドキッとしたのは否定できない。だが実際、お互いの境遇を知ったことで、多少は打ち解けることが出来たことについては、皐月に感謝しなくてはならないなと僕は思っていた。僕も不用意に思い内容の話をするべきではなかったなと反省する。

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「そこは嘘でもドキドキしたって言いなさいよ。ただでさえ機械化してるんだから、自信なくすわ……」

「そんなこと……皐月は可愛いし、スタイルもいいから大丈夫だと思うよ?」

「……はぁ、そういう事を真顔で言うんじゃありません」

僕は皐月からの理不尽な応酬に疑問符を浮かべるが、今日で幾らか仲良くなれた事には満足であった。お互いの境遇はさておき、いずれこういった問題や細かい事などは、時間が解決してくれるだろう。

「それじゃあ、私はそろそろいくわよ。あんまし龍くんの部屋にいると、いかがわしい事してるんじゃないかってお父さんに疑われちゃうからね」

皐月はそういうと、僕のコートを脱いでベッドに置く。確かにそんな誤解をされたら、あの店主に気絶するまで殴られそうである。

「うん、今日は色々とありがとう。寒いし、戻ったらシャワーでも浴びたほうが良いと思うよ」

「ありがとう、そうさせてもらうわ」

僕は皐月と玄関で別れると、疲れからかベッドに突っ伏してしまう。ここからこの部屋が自分の家になるとわかっていても、何だか僕は落ち着かなかった。

「そういえば、コートを干さないと……」

僕はコートに顔を埋める。長いこと外に居たせいもあってか冷たかったが、僕の匂いとは違う優しい香りが、コートには満ちていた。結局僕はコートを干さずに、そのまま寝ることになる。

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