運命的な出会いは鈍痛を伴う
メガフロート中層 AM10:00 マーケット
朝食の後片付けを終えた私は、公営バスに揺られて、中層の外れにあるマーケットに来ていた。
マーケットは私の家から30分ほどの距離にあり、様々な人種や物品で溢れるこの場所は、私達中層に住む者にとっては無くてはならないものである。
今日の私の目的は、兄さんの夕食になりそうなものと、携帯用バッテリーを購入する事であったが、兄さんに内緒でウインドウショッピングをするのも良いなと思う。
以前、開発局にメンテナンスに行った時に、小林さんの部下と思しき女の人から、愛莉ちゃんはオシャレとかに興味はないのかと聞かれたことがあった。
私はよくわからないですとその時に答えたのだが、部下の人は、私くらいの容姿の女の子はみんな服装とか髪型に興味を持つものよと言っていた。
それからというもの、私はファッションなどに少しずつ興味を持つようになり、マーケットに来た際は、周囲を通る似たような体型や年齢の女の子を見つけると、その情報を記録している。
「最近は短い髪型が流行しているのかな。」
今日のマーケットでは、どうやらショートカットやセミロングと言われる髪型が多いようである。
今の私は長めの髪をサイドにまとめている格好だが、同じような髪型をあまり見かけない。
「もしかして、私の髪型って変なのかな……。」
私は少し不安な気持ちになっていた。
「痛ッ……。」
そんな事を考えていると、私は思考回路に注意を向け過ぎていたせいか、すれ違った男性に身体をぶつけてしまった。男性は肩を抑えて痛みを堪える顔をしている。
「ご、ごめんなさい!髪型に気を取られてしまって!」
私は思わず先程まで記録していたデータから言葉を引き出してしまった。
(何やってるの私!)
しかし、まずはこの男性の心配しなくては。
「どこか怪我してないですか。もし痛みが酷かったら救急センターに連絡でも……。」
「うん……、俺は大丈夫。君こそ大丈夫なの?結構な勢いでぶつかっちゃったけど。」
男性はそう言うと、痛みを堪えている様子であったが、それと同時に不思議そうな眼差しをこちらに向けていた。
もしかしてアンドロイドであるとバレてしまっただろうか。私の容姿は人間と見分けがつかないはずだと兄さんが言っていたが……。
プロトタイプとして私は製造されているので、正規品でない事がバレてしまうと少々やっかいだ。何より兄さんに迷惑をかけたら、バッテリーをもう交換してくれなくなるかもしれない。
「私は大丈夫です。あ、あの…本当にケガはないですか?」
「ちょっと痛かったけど大丈夫。僕もよそ見してたから、おあいこだよ。」
男性はそういって笑うと、気丈に振る舞って見せた。悪い人ではなさそうなので、私はとりあえず安心する。
「あのさ、実はちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
私は一瞬ドキッとしたが、彼はウエストバッグからメモを取り出すと、全く関係の無い質問を私に投げかけた。
「実はちょっと道に迷っててさ、"金龍"っていうラーメン屋を探しているんだけど、心当たり無いかな。もし知ってたら、おわびに案内してもらえないかな。」
どうやらアンドロイドという事はバレていないようだ。
私は一安心し、男性の言う金龍という店の情報が記憶装端末に記録されていないか検索をかけてみる。正規に登録された店なら、技研の作製したメガフロート全図に記録されているはずである。
「んー……っと、あっ!思い出しました。」
私は人間が振る舞うような素振りをしてから、金龍の位置情報を伝える。
「ここを道なりに直進して行くと、右手側にあるみたいですよ。」
語尾が少しおかしくなってしまったが、多分大丈夫。
私は男性に方向を示して、あっちと指を差した。
「そっかありがとう、ここを道なりだね。しかし、君とぶつかったおかげで道に迷わずに済んだよ。」
男性は笑顔でそう言った。
彼をよく見てみると、かなり歳が若いことに私は気付いた。スキャンをかけると、18歳くらいのようだが、童顔な容姿に少し長めの黒髪なせいか1、2歳ほど若く見える。
「実は僕、ここの階層にある州立大に編入するんだけど、もしかして君もそこの学生だったりする?」
彼はどうやら大学生のようだ。私も見た目的にはそのくらいの年齢と見られてもおかしくない為、彼の質問はもっともであった。
「いえ、私は今は兄と暮らしているのですが、学校には通っていないので、大学もいまいちどのようなところかわからなくて……。」
私は素直に答えた。
すると彼は微笑みながら言う。
「フロートの市民権を持っていれば、確か誰でも授業を受けられたと思うよ。もしお兄さんが許してくれれば、通ってみたら?」
私にとっては、彼の提案は非常に新鮮なものであった。普段は家で家事や読書に耽っていたので、考えたこともなかったからだ。
「ありがとう、少し考えてみますね。」
私はそう言って、彼にさよならを言おうとした。
するとそれよりも早く
「僕の名前は斎藤龍太郎。もし大学で会ったらよろしくね。」
リュータローと言った青年は、手を差し出してくる。
私は彼の差し出された手を握った。
「私の名前は愛莉といいます。」
私も彼の挨拶にしっかりと応えることにした。
「愛莉ちゃんね、それじゃあまた機会があったら!」
彼はそう言うと、先程言ったラーメン屋の方に向かって駆け足で去っていってしまった。
「ちゃ……ちゃん付けはやめてください!」
走り去る彼の背中に私はやや大きめの声でそう言ったが、聞こえていただろうか。私は初めて男性に愛莉ちゃんなどと呼ばれたせいか、少しふてくされた気持ちになる。兄さんにもそんな呼び方されたことないのに…。
「はぁ……」
何はともあれ、アンドロイドであるという事がバレなかったのは良かった。もしバレていたら、リュータローは驚いただろうか。
私は安堵感と同時に、初めて技研と関係の無いであろう人と接点を持った事に対して、一種の高揚感も覚えていた。
あるいは、彼の言っていた大学という言葉に、私は少なからず興味を持ったのかもしれない。最近のファッションに対しての関心もそうだが、元来私は興味に対する欲求が強くなるようプログラムされているのかもしれない。
帰ったら兄さんにも大学の事を聞いてみようと決めた私は、本来の目的を忘れかけていた事に気付き、急いで夕食を買いに向かうことにした。いつもよりマーケットを歩くのが楽しい気がしたが、きっと気のせいだろう。