愛莉
夢を見ていた
温かい気持ちと、一抹の寂しさを覚えるような夢であった。
朝食を終え、テレビを消すところから私の夢は始まった。
窓の外に目をやると、近代的なビル群は雪化粧に包まれていた。季節は冬のようだ。
夢の中の私は室内にあった鏡を見ている。
鏡を見る夢なんて珍しいと私は思った。
普通は夢だとわかった瞬間、その夢はすぐに覚めてしまうからだ。
鏡に映る私の制服には何ら問題は無かったが、顔はぼんやりしてよく見えなかった。
やはり夢なのだ。
しかし、まるで幽体離脱をした私が、普段の私を俯瞰しているような、そんな不思議な夢である。
鏡を見る私は満足げな様子で髪をいじっていた。
よし、と私はハンガーにかけてあったマフラーを手に取り、カバンを片手に家を出ていった。
私を見る私の夢はそうして途切れた。
その後、私がどうなったのかが無性に気になったが、それは誰にもわからない。
メガフロート AM8:00 下層某所
「兄さん、いい加減起きてください。」
少々の苛立ちと呆れた感情の混じった声が聞こえ、俺、青木健太郎は毛布越しに身体を揺すられていることに気が付いた。
確か何かの夢を見ていたような気がしたのだが、俺は頭がぼんやりとしていて意識がはっきりとしない。
俺は毛布を今一度深く被ることで、起きることへの拒絶を声の主へと示した。
「今日は開発局に行く予定のはずですよ。当日から職務を怠るだなんて、技研をクビになったらどうするんです……」
声の主は、心配混じりにそう言った。
「わかった、わかったから……」
俺も観念して毛布から顔を出す。
窓の外を見ると雪がチラついていた。
「愛莉、今日は雪なのか?」
「見ればわかるじゃないですか。朝方からずっと降ってます。おかげでオイルが冷えてモーターの調子が良くないです。」
声の主である愛莉は、そう言って不機嫌そうな顔をした。
愛莉は俺の務める"極東技術研究所"、通称"技研"から支給されている少女型アンドロイドで、薄い茶色がかった髪をサイドテールにしているのが特徴だ。
彼女は、技研の開発したサードシリーズと呼ばれる最新型アンドロイド群のプロトタイプで、優れた人工知能を持ち、言語系と感情面のインターフェイスが強化されている事も相まって、人間と遜色ない働きをしてくれる。俺は愛莉に家事や身の回りの世話を任せ、たまに仕事の助手もさせていた。
ちなみに俺のことを兄さんと呼ぶのは、支給された際の初期設定を同期である開発課の小林に任せた為で、愛莉は彼の性癖が色濃く反映されている。
俺は全くそんな事を望んでおらず、むしろ従順な女性秘書のような性格にしたかったのだが、今となっては後の祭りである。
「もう、質問しておいて無視ですか……。」
愛莉はいつのまにか、さらに不機嫌そうな顔になっていた。
どうやら寝ぼけているうちに、愛莉の言葉を聞き流していたようだ。
「悪かったよ、少し考え事をしてたんだ。愛莉のオイルもそろそろ交換の時期だし、小林に伝えておくかな。」
俺はベッドから起き上がると愛莉にそう言った。
「それはありがたいですけど、私、あの人は苦手です……。兄さんみたいにだらしない人も嫌いですけど、小林さんって私のメンテナンスの時に、ボディを弄るの楽しんでません?……」
さりげなく嫌いと言われてしまった。しかし、愛莉のセッティングを自分好みにした挙句嫌われているとは、小林も報われないやつである。いや、自業自得なのかもしれないが。
「そりゃああいつは開発課だからな、お前のメンテとかアップデートとかログ漁りは楽しみだろうさ。なにより、手塩にかけて育てたお前の成長を実感出来るだろうしな。」
件の小林は確かに変態なので擁護のしようがない。
しかし、愛莉の設計に携わっているだけあって優秀な研究者である。愛莉の性格や容姿は奴の趣味なのだが、その点について、俺は愛莉には告げていない。ロボット工学三原則に基づいて作られている愛莉が小林に危害を加えることは無いが、彼のメンテを拒絶するようになっては困ると踏んでいるからだ。
そんな事を思っていると、愛莉は不機嫌そうな顔をし始めたので、あまりこの話題は好ましくないと判断した俺は話題を変えることにした。
「ところで愛莉、バッテリースティックはもう交換したのか?」
「あ、いえ、まだです……」
愛莉はハッとして、少し恥ずかしげな表情をすると、口を噤んでモジモジし始めた。
愛莉はバッテリーから電力を得ているため、朝になると交換作業を俺に頼んでいた。
本来、愛莉の世代のアンドロイドたちは自身でバッテリースティックの交換が可能になっているのだが、何故か愛莉はいつも俺に頼んでいた。
「あの……兄さんも仕事があるでしょうし、早く済ませましょうよ……」
愛莉は俺を急かすように言った。
「ちょっと待ってろ、今出すから……」
俺はベッド脇にある引き出しを漁り、動力源であるバッテリースティックを探す。
普段整理整頓をしていないせいか、なかなか目当てのものが見つからない。
「……兄さんまだ見つからないんです?」
ジトっとした目で愛莉はこちらを見ていた。
まるで早く飯を出せと不機嫌になる子供のようである。
「うるせぇ、そろそろ見つか……あったぞ、ほら。」
スティックを見つけた俺は愛莉に自慢げに見せてやる。愛莉はやっと交換出来ると綻んでいた。
「ほら、後ろ向いてうなじ見せろ。」
俺がそういうと、愛莉は素直に髪をあげて俺の前に座った。なぜこんな位置にあるのかと毎回思うが、愛莉のバッテリースティックの挿入口は、うなじのあたりにある。確かに髪で隠れるため、合理的ではあるのだが、設計者である小林の趣向が垣間見えるような気もする。
俺は使用済みのスティックを軽く押す。すると反動でスティックが出る仕組みになっているのだ。
新しいスティックを挿入すると、愛莉は満足そうな表情をしていた。
「はぁぁぁ……やっぱり新しいスティックは格別です!」
もはや恍惚とも言える表情である。
「何というか、俺たちでいう食事みたいなもんだしな……」
俺はひとりごとのように呟くと、ベッド脇のデジタル時計が目に入った。
「そろそろ俺は行くよ。着替えるけど、手伝ってくれるか。」
俺は愛莉をからかうためにわざと聞いてみた。
案の定、愛莉は顔を赤らめて、そのくらい自分でやってください!と言って部屋から出ていってしまった。
「やれやれ……」
アンドロイドが主人の命令を聞かないというのは些か問題に思えるが、小林が言うにはこれも実験だという。
確かに愛莉を受領した当初から比べると、感情面や仕草などがかなり成長している。今は子供っぽいが、このまま行くといずれ人間の成人女性のような振る舞いを覚えるのかもしれない。
小林はいずれ成体換装も考えていると言っていた。成体換装とは、主の意向で、アンドロイドのボディを人間でいう成人の肉体に換装することである。無論そのままでも構わないのだが、仮に愛莉の感情が成熟したとして、今の女子高生のようなボディのままというわけにもいかないだろう。髪や顔つきも変更するやもしれない。
無論、成体換装が具体的にいつになるかなど俺にはわからないが、愛莉と過ごし始めて約一年、少しずつではあるが、俺と愛莉の関係は変化し始めている。もう少し大人っぽくなってもらいたいと思う一方で、彼女がアンドロイドという事実を、俺はいつの間にか忘れ始めていた。