物件8 霊道
「あれ先輩、本なんか読むんすか?」
ラッシュを外しての電車移動の最中、おもむろに取り出した文庫本に乗ってくるA。
いま俺たちは事故物件目当てに都内の外れに位置するH市に向かっているのだが、如何せん遠いためその暇つぶしとして持ってきた本にAは以外そうだった。
「俺だって本くらい読むわ。スマホばっかりいじってるとバッテリーが持たねえし」
「へー。何読んでるんすか?」
ソーントン・ワイルダー『わが町』。
もう何十回読み返したか分からない俺の愛読書だ。
「内容は単純で、平和な町とそこに暮らす人の人生がシンプルに描かれてるんだが、出てくる死生観がな、宗教とか国家とか人種とか全然関係ない普遍的なもんなんだよ。一言でいうと『まさにその通り』って感じだ。全世界どこに行っても通用する。生きて死ぬってどういうことかが良く書かれてるから好きだ」
学生時代にいい本に出合えたと今でも思っている。この本を読んでおけばエセ宗教に引っかかることはまずないだろうと、あらすじと共にA好みの話を加え、勧める。
「…面白そっすね。そんなに長くなさそうだし読ませてもらいますよ」
その後、チラチラと横目で見る限り、Aは食い入るようにページをめくっては眉一つ動かさずに集中している様子だ。
到着までに読み終えられなかったらそのまま貸してやろうと思い、俺はスマホでパズドラでもやることにした。
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到着した物件はなんと築1年という、庭と車庫付きの建売り戸建て物件80坪。
物件を含む周辺区画はコンセプトに沿って統一した開発がなされているようで、さながらヨーロッパかアメリカあたりを思わせる、真新しい新興住宅地の中にあった。
「どうです? 物件も周りもオシャレでしょう? 都心から離れて過ごしたいと願う年配方もいいですし、流行に敏感な若い夫婦、会社経営者、医者や弁護士、意識高い系の独身だってこの雰囲気なら狙えますよ~。絶対にお値打ちです!」
常套句をアレコレと並べてまくしたててくる先方の担当、出っ歯の中年G・I氏。
なにがなんでも売り込もうという姿勢から、かなりこの物件に手を焼いていることが分かる。
「今後の開発計画書があるのも魅力ですよ~! コンビニ、スーパー、学校に病院。まさにこれから! さらに発展していくところでなんです!」
「へえ! そりゃあいいっすね!」
いつものようにAに話を任せ、俺は物件に意識を向けた。
新築で買った家族が4週間で逃げ出し、その後の購入者も超短期でコロコロ変わっている原因は、聞いている限りでは複数の霊体の目撃ということ。
霊感がまったくないという人や、たまたま訪問していただけの人も霊を目撃したとの報告があることから、地縛霊だとするなら相当に根が深い相手だと思っていたが、いざ物件に入ってみるとそのような邪念は全く感じられないので拍子抜けした。
Kちゃんの資料によると、現れる霊の特徴はバラバラらしい。若い女という証言もあれば、老人や中年男、複数の子供だとの話も出たという。
出現タイミングに統一感がないのも興味深い。家人がいるいないに関わらず、また昼夜を問わず頻繁に1階のリビングに霊が通るとのこと。
しかし、何度も複数の霊と接触したにもかかわらず、今のところ体調不良や事故などの霊障を訴えた者は誰もいない。
以上のことから導き出した仮説、それは…。
「道…か」
「え? 先輩なんて」
「そう道! いいでしょう、歩道が広くて2車線でアメリカみたいでしょう!」
霊道というものがある。読んで字のごとく、霊の通り道だ。
霊道に入ることを入道といい、生者の場合は仏門などで悟りを得るため、霊の場合は成仏するために道を巡り続ける。
ちなみに一説によると、四国のお遍路などは後者を疑似体験する目的があるとされている。
「ループ路にかぶちまったのか。だとしてもこの家だけで見えるってのはおかしい…」
「見える? ああ景観ですか! 良いですよね東京とは思えない自然環境の豊かさ! 近くに綺麗な川もあって蛍が飛ぶんですよ! 都内なのに!」
霊道はループ路になっていることが多い。
道である以上、必然的にその前後があるわけだが、今回の場合は両隣の物件も、その次も、区画全体をみても霊の出現話があるのはこの家だけだ。
原因が仮設通り霊道だとするなら、この点が納得いかない。
「なんでだろうな。ここだけがおかしい」
「え? に、庭ですか? 芝生がお気に召さないとか?」
「隣近所で話がないのは腑に落ちねえ…」
「ご隣人様なら大丈夫です! 苦情は一件も出ていません!」
「なぜここだけで出るのか。いや、他でも出てるんだけどなんで可視化するのか…ブツブツ」
「菓子? あ! お茶にしましょうか! いやー私としたことが! 書面を含めてじっくりお話を詰めましょう!」
「G・Iさん必死っすね」
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先方を帰し、俺たちも戻るふりをして再び物件に足を運ぶ。
適当な理由をつけて合鍵をレンタルしたため、堂々と中に入って調べることができる。ここからが本番というわけだ。
「霊道っすか。話は知ってましたがまさかここが…スゲエっす!」
「そうか? 結構どこにでもあるんだぞ。霊道なんて」
神社仏閣とその他の中継点を結ぶ道。霊道は大方がそんな感じだ。
俺にような見える連中は、霊道を通る霊は基本的に相手にしない。いちいち突っかかっていては切りがないからだ。
「でも原因が霊道なら、道を通る霊をこの家に入ってこないようにすればいいんじゃないすか?」
「それは出来るんだけど出来ねえんだ」
「は?」
「お前、子供の頃さ、泥とか砂で水路遊びとかしたか? 泥で作った水路にホースで水流して、それをせき止めたら水はどうなる?」
「あふれる。あー、なるほどなんとなく」
霊道を止めると行き場を失った霊が周辺にあふれ、やがてまた新たな霊道を作る。
つまりこの家で霊道を止めてしまうと、周辺のどこかに道がずれ、霊的な瑕疵物件が高確率でどこかにできてしまうということだ。
「でも先輩、それはそれでいいんじゃないすかね? また安くウチが買えるかもしれないし」
「バカ。同じ宅地に2件も3件も幽霊物件の空き家が出てみろ。変な噂が立って地価が下がるじゃねえか。安く取れても買い手がつかなきゃ給料出ねーぞ」
「あ、そっか」
除霊と不動産屋。両方上手くやらなくちゃいけないのが『屋付き』の辛いところだ。
「お、A。お出ましだぞ」
まだ日が高い一階のリビング。南向きの庭のガラス戸から、2体の男の霊がゆっくりと歩いて入ってきた。
無表情で生気がない顔は、パチンコ台に座る疲れた客によく似ている。
「え! 先輩マジで霊居るんすか!? ドコ! ドコ!?」
「お前の真ん前だ。それで見えないってお前相当だぞ」
「マジすかーーー!!」
幽霊話が好きな奴ほど霊感がない。悲しいかなAはその典型らしい。
「見てえ、超見てええ!!」
「あーもう行っちまったよ。お前ホント霊感ないのな」
「クソ悲しいっすよ…! 先輩みたいに霊感あったら絶対楽しいのにー!」
そんなことはない、と内心つぶやいて、俺はすぐさま霊が来た方向、庭から確認する。
それほど大きくない庭の芝生の上に立つと、何か妙な感覚を足の裏におぼえた。土ではない硬い何かが芝生のすぐ下にあるようだ。
革靴の踵で芝生を蹴り起こし、少し土を払ってみると丸い石のような物が見えてきた。
「何だ? ただの石にしちゃデカいな。A手伝え掘り出すぞ」
10分ほどの作業で出てきた物、それは地蔵。
風化で表面がすり減ってもなお、穏やかな表情をたたえる石の地蔵が庭からいきなり出てきたのだ。
「ふう。なんだよコレ。おかしいだろ、地蔵ってお前」
「せ、先輩これ。霊道と関係があるんじゃないすか?」
おそらくAの言う通り。これは霊道の道しるべとみて間違いない。
しかしここでまた新たな疑問が出た。そんなものがなぜここにあるのかということ。
「地蔵ってのは地蔵菩薩と同時に道祖神、道の守り神としての側面もある。家の中に霊道ができた原因は多分これだろうな」
「この地蔵どこから来たんすかね?」
「それがまた分かんねえってこった」
見た目から察するにかなり古い地蔵だ。よく観察すると背中に字が彫ってあるのに気が付いた。
『文久三年八月 ○村山』
「○村山って今のH村山市っすよね。ここじゃないすか」
「だな」
「じゃあこの地蔵、もしかしてずっとここにあったとかじゃないすか?」
「まさかぁ」
周辺の区画整理が始まったのは数年前。そして住宅地として造成され、家々が完成したのが1年前。
Aの意見はあながち間違いでもなさそうな気がする。
「Aお前スマホ貸せ。俺のはパズドラやりすぎてバッテリーヤバいんだ」
「マジすか。何に使うんすか」
「グーグルマップ。確かストリートビューだと年単位でさかのぼれるはず。それを見る」
ごく近年に整地された真新しい住宅地なら、その前の状態が残っていてもおかしくないはず。
物件の住所を打ち込み、ストリートビューで区画整理前までさかのぼる。文明の利器は使いよう、できるのはゲームだけではないのだ。
半年、1年と戻るたび、家は消え、舗装はなくなり、草木が茂り初め…やがて映し出されたのは畑と小さな道、そして古ぼけた木製の小屋に佇む赤いちゃんちゃんこの地蔵。ビンゴだった。
「そうか。これで分かった。家の中に霊道ができたんじゃねえ。霊道の上に家ができたんだ」
元あった霊道とそれを見守る地蔵。それらを全て整理してできたのがこのヨーロピアンともアメリカンともつかない新興住宅地。地蔵は土木業者が処理を面倒くさがって埋めたに違いない。
「どうするんすか先輩」
「…埋めよう。ただし歩道に近い方に」
「え!? 大丈夫なんすか?」
「庭の真ん中にあるから家の中に道が出るんだ。だったら少しずらしてやりゃあいい。家の方は結界張って、不可視化と入れないように処置すれば問題ねーよ」
「そんな単純~ッ!?」
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地蔵を埋めた帰路の電車の中、霊道について聞いてくるA。いくつか分からないことがあるようで小説に集中できない様子だ。
「じゃあ霊道ってのは基本的にはやっぱり避けるべきだと」
「まあな。気持ちの良いもんじゃねえし、この世への未練タラタラで巡回する変な霊が居ないとも限らないしな」
「ふうん。あと基本的なやつなんすけど、霊道に居る霊ってどうして霊道に入ったんすか?」
「それは…」
霊道への入道。それは霊側の意思で入らなければならない。
自分から進んで入道しない限り、霊が霊道を巡ることはないのだ。
「多分、お前に貸したその本を読めばわかる。成仏ってのが何なのか。死んでもしがみ付く霊と、スパッと居なくなる霊の違い、そして入道の理由もな」
「ソーントン・ワイルダー。我が町…」
「良い本だぜ。一生もんだ、読んどけ読んどけ」
忘れたくても忘れない記憶もあれば、グーグルマップのようにいつまでも残る過去の記録もある。
霊道を巡る霊たちが、どんなふうな生き方をしたのかは知らないが、誰かが覚えてくれていようとも本人が忘れて次のステップにいけばそこでリセットなのだ。
些細なことにとらわれるのは無駄と知りつつ、俺はモンストの新記録を狙うべく、コンビニで買った携帯充電機をスマホへと差し込んだ。