物件5 犬
2つ年下の男の後輩Aと都内M区にある築14年の5階建て鉄筋マンションの内見に向かっている。
Aは年が近いうえに幽霊やオカルトなどの話が好きで抵抗がないことから、社長の意向で俺が教育係に任命されて、最近は事故物件の内見に一緒に行くことが増えてきた。
「ペット禁止のマンションなのに犬の鳴き声が聞こえる…それも部屋の中から。怖いっすねこれ!
テンションあがる!」
「動物霊か。蹴散らせりゃいいけどタチの悪ぃのも居るからなぁ。人間の方の時間稼ぎはいつも通りまかせたぜ」
「OKっす! こっちは気にせずバッチリやっちゃってください」
何度か組むうちに俺たちの間には自然と役割の分担ができあがっていた。先方の担当者や大家などの話を聞いて足止めをするのがA。その間に一人で内見するふりをして物件を浄化するのが俺。大方はそんな感じだ。
少々チャラい雰囲気のAは、見た目通りコミュニケーション能力が高く、話の途切れるタイミングでナチュラルに世間話などに持っていって時間を稼ぐためこの作戦はなかなか使えている。
M駅で先方の担当E・N氏と合流する。物件は駅から徒歩20分ほどのところにあった。周囲の雰囲気は悪くないが徒歩圏内ではギリギリだろう。
俺たちはそのまま4階の北の角部屋に入った。
「何度チェックしても犬がいた痕跡なんてどこにもないんですが、入居すると一月もたたずに必ず犬の鳴き声の苦情がくるんです」
「ふんふん。そうなんですか」
3人で内見をしながらもE・N氏の話に相槌を打つのはAのみ。俺は何も言わずに見取り図片手に回るだけ。こうすることで俺という人間は物件のエピソードより状態や価格重視のチェック担当という印象を相手に植え付ける。
「苦情が出るとオーナーにも文句を言われるんで、こっちとしては早く片付けたいところなんですが…」
「それは大変ですねぇ」
「最後の入居者が出て行ってもうじき1年経つんです。こちらで管理はしますから、ぜひともY島さんに取っていただきたくて。仲介で誰か入れていただいても結構です。もちろん手数料の方も…」
「はぁ。なるほどなるほど!」
部屋の間取りは2LDK。8畳のリビングダイニングキッチンのほかフローリング6畳間、4畳半間の和室がある。
Kちゃんがまとめた資料によると、この物件は過去5年の間に4回も入居者が入れ替わっている。長くて1年半、短いものだと5か月。そしてその理由のどれもが室内に居るはずのない犬の鳴き声。
人の気配が途切れると犬独特のクゥ~ンという感じの鳴き声がどこからか聞こえてくるらしい。
ひとしきり物件を見て回った後で、俺は疑問に思うことをE・N氏に聞いてみた。
「値下げはします。条件も可能な限り折れます。ですからここはひとつお願いします!」
「なんで犬なんですかねぇ?」
「…は?」
「いや、ペット禁止のはずなのになんで犬が居るのかなって」
「さ、さぁ…。でもご覧になってどうです? 実際いないでしょう? 臭いも足跡もないでしょう?
問題ありませんよ」
いや、居る。普通の人には見えないだけで、この物件には確かに犬が居る。
キッチンのそばにへたり込んでいる犬の霊。ガリガリにやせ細ってあばらが浮き、乾いた口から白くなった舌をだらんと垂らして、でも眼だけはギラついて今にもとびかかってきそうな…そんな中型犬の亡霊が。
「出て行った入居者の他に誰か鳴き声とか聞いた人っているんですか?」
「え、あ、そ、それは…」
ありきたりな質問に焦るE・N。分かりやすい奴だ。
俺より会話が上手いAに目配せして探りを入れさせる。
「誰かいるんすか? ウチで売るときに何も言わないせいで、新しい入居者が犬飼ってると思われると困るんですけど」
「そう、ですよねぇ…」
「教えてくださいよぉ。その人にも話通しとかなきゃウチで仲介しても意味ないじゃないですか」
E・Nは相当この物件に疲れていたのだろう。冷静に考えれば精彩を欠く話が上手く通った。
入居者のほかに苦情を出す人物が一人だけいるという。○野○道という23歳の青年だそうだ。
聞けばコイツはこのマンションのオーナーの一人息子で、大学進学と同時に本人の強い希望によりこのマンションで一人暮らしを始めたとのこと。
「…ここだけの話、前に住んでた住人を金で無理やり追い出して住まわせてるんです。どうしても最上階の角部屋がいいってワガママ言ったそうですよ。もちろん家賃はタダ、光熱費も親もちです。甘いっていうより度を超えてますよね。それに…」
「それに?」
「1回留年したらしいんですけど、そのとき以来まぁ半分ニート状態になってるみたいで。最近は大学にもまともに行ってないみたいですよ」
「マジすか。やべぇっすね」
5階の角部屋ということは、ちょうどこの部屋の真上に○野○道は入居している。
大学へ行かず、バイトもせずに親の建てたマンションに平然と居座って自堕落な生活。その神経だけでどんなふうに育てられてきたのか察しがつくというものだ。
「今いますかね? いるならAとちょっと話を聞いてきて欲しいんですが」
「車があったんで多分、いると思いますよ」
マンションの一室だけではなく車まで与えられていた。ここまでだと正直、あきれるを通り越してすがすがしい。
~ ~ ~
その後、社長に電話をするという名目でひとりこの場に残った俺は、先ほど見た犬を始末するためキッチンへ向かった。
「汚らしい犬だなオメェは。勝手に住み着きやがってどこかの野良か?」
一言で見た目を現すなら死にかけの犬。生きていたとしても決して気持ちの良い見た目ではない。それがキッチンの真ん中にくずおれるようにして白濁した視線をこちらに向けている。
コイツは自分の存在が俺に見えていることに気付いているのだろう。
動物霊が人間の住まう物件に長期間居座ることは珍しいが、そんなことをいちいち気にしていては仕事にならない。原因が何であれ、俺の役目はこの犬の霊を物件から消すことなのだから。
「そんなことしたって意味ねえんだよボケ犬。シッシッ、俺の気が変わらねえうちにサッサとどっか行け」
犬は嫌いではないものの幽霊犬は遠慮したい。そしてできるなら触りたくもない。
円満に出ていってくれることを祈りつつしばらく睨めっこをしたが、どうも動く気はないらしい。悟った俺はしかたなく力に頼ることにした。
「しょうがねぇな。キャンキャン鳴いても助けは来ねーぞ。後悔してとっとと去ねや!」
手始めに尻尾を思い切り踏んずける。
誓って言うが生きている犬にこんな虐待は絶対しない。俺が厳しいのは幽霊相手だけだ。
犬は少しびっくりしたような感じだったが、痛みがないので効果はいまひとつ。しかし輪郭は少し波打つように揺らいでいる。何度もやればコイツは消耗してくる。
「オラァこの畜生が! 失せろっつってんのが聞こえねーのか! 人間様ナメてっと死んでても殺すぞクソ犬!」
執拗に殴る蹴るを繰り返す。生きた犬ならばすでに死んでいると思うくらいに。
やがて思った通りの変化が出始めた。何度も通過する生きている肉体に力を奪われて、存在が徐々に薄くなって来ると同時に、犬霊は怯えるようなそぶりを見せ始める。
明らかに害意をもって迫ってくる俺の攻撃に犬がたじろいでいる。拳を振りかざせば身をすくめ、足を持ち上げれば引き下がる。
素通りして傷つくことはないと頭では分かっていても、怖いものは怖いと感じる。これは人間だけでなく、言葉が通じない動物も同じだ。
「はっ! 出てく気になったんならとっとと失せろ! ここはテメエの犬小屋じゃねえ! 終いだコラァ!」
助走をつけての全力の前蹴りに犬の霊が圧倒されて吹き飛んだ。完勝だ。
シンク棚に打ち付けられた犬霊はキャンと一声鳴いたあと、なぜか真上の天井を目指して一目散に駆け上がる。
逃げるにしても窓やドアから出ていくものと思っていたがこれは予想外だった。
この部屋の上階は〇野〇道が入居する5階。わざわざ生きている人間がいる方へ逃げるのはおかしい。存在の薄くなった霊は生き物の生気がないところへ逃げるのが定石のはず。
疑問を含みながら俺は急遽、逃げた犬霊を追うべく階段を急いだ。
5階の北の角部屋、〇野〇道の部屋の前には先ほど話を聞きに行くように促したAとE・N氏がいた。
二人はこちらに背を向けるようにして開いているドアの前で誰かと話をしている様子。おそらくはオーナーの息子で家主の〇野だろう。
しかし肝心の犬霊はどこにも見当たらなかった。
気づいたAがいつもより早い俺の到着を尋ねてくる。
「あれSさん。『電話』はもういいんですか?」
「ん、あぁまあ。ちょっとまたかけなおすかも知れないけど今はな」
「Sさんちょうどよかった、これから〇野さんに話を伺うところなんです。Sさんも聞いてください」
E・N氏に促されて、ドアの影に立つ〇野〇道の前に引き合わされたとき、俺の全身は一気に鳥肌で埋め尽くされた。
寝癖でボサボサになった金髪に鼻ピアスの無精髭男、一目で怠惰な性格をしていると分かる〇野〇道の背後にあの犬霊が恨めしそうに浮かんでいる。
いやそれだけじゃない。コイツにはおびただしい数の動物霊が憑りついている。車か何かで轢かれてグチャグチャになった犬や、腹から腸を垂らしている猫。体が180度捻られたヒヨコ、踏みつぶされたハムスター、首のないウサギ…。
一目では数えきれないそれらが全て〇野に憑いている。
俺は一瞬で逃げ出したくなった。見えていることが分かったのか、憑りついてる各々が自分たちがこの男に遊び半分で殺されたと、血と臓物をまき散らしてけたたましく訴えてくるのだ。
「アンタらも同じ不動産屋? 下に野良犬いるんだよね~マジで。ウザイから毒餌とか置いて片づけてよ早く」
「そのことなんですけど、毎回確認するんですがどこにも犬が入った痕跡がないんです。何度も申し訳ありません…」
「いるつったらいるんだよ! ここんとこ毎晩鳴きやがってさあ! うぜえしうるせえしマジでムカついてんだよ! あー殺してえ!」
「も、申し訳ありません…! 申し訳ありません!」
「もう何回目だよお前らさあ、使えねえ! 親父に言って会社変えたって別にいいんだぜオイ」
「そ、それだけは、それだけは何卒…! 申し訳ありません!」
「…Aもういいわ。行くぞ」
「え? いいんですか?」
「あぁ。分かったから後で話す…。E・Nさん、こちらはまた改めてご連絡しますので、今日のところはこれで…」
「え? あ、ちょ…!」
もう1秒たりとも〇野〇道の前にいたくない。引き留めようとするE・N氏を制して俺たちはこの場を後にした。
~ ~ ~
M駅前のマックで〇野の背後に見えた者たちをAに説明する。あの物件は今は保留すべきだと社長に話すことも付けつけ加えて。
「…見えただけで30体くらい居たな。あんなに動物に恨まれてるヤツ初めて見たわ」
「マジすか!? カスっすね…。でもなんで下の階に犬が?」
「憑りつききれなくなってあふれたやつか、同じような不幸な死に方をした犬が引き込まれたやつだ多分。動物霊ってのは仲間を呼びやすい、このままだとじきに他の部屋にも変なのが現れると思うわ」
「でもそういうの消しても、〇野がいなくならなきゃ意味ないじゃないんすか?」
「だな」
23歳で一度留年している〇野。年齢を考えると入居時期と苦情発生の時期が合致していることに注視すべきだった。
今回の件はオーナーの意向で住まわせている息子が原因の可能性が非常に高い。コイツがいなくならない限りなにをやってもイタチごっこになるのは明白。しかし追い出すことが限りなく難しいため、今は打つ手がないのだ。
「…○野○道ってこれからどうなるんすか?」
「多分、長生きできないだろうよ」
「憑り殺されるんすか? いつごろ? どうやって??」
俺にとってもAにとっても所詮〇野は他人。物件の方向性さえ決まればどうなろうと知ったことではない。Aは興味津々で俺の見解を聞いてくる。
「知らねえよそんなの。ただ…動物虐待して恨まれるような奴はロクな死に方しないってのは確かだな…」
犬の鳴き声は〇野○道にとっておそらく最後の警告の役割を果たしているはず。それを無視し続けて行いを改めない限り、〇野は遠からず救いようのない事態に陥る。
物件の査定はそのときを待ってからの方が色々と捗りそうだ。あわよくば○野の部屋も、いや事と次第によってはマンション全部を難癖つけて買い叩き…と社長じみた考えを頭に浮かべつつ、俺の頭はどのように会社に提案しようか思案し始めていた。
物件5 終
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