年齢認証オブ・ザ・デット
マニュアルは守るから意味がある(白目)
スーパーのレジ打ちのバイトは奥が深い。
「年齢確認のご協力をお願いします」
女子高校生の新人川代マイさんがタバコのバーコードを読み取りながらそう言った。店のマニュアルでは、二十歳をダブルスコアしていそうな客に対しても、こう言って確認を取ることが決められている。
「えー。でもどーすりゃいいーんすかー?」
店内にもかかわらずくわえタバコで、あろうことか学生服を着たクソガキが高圧的な態度でそう言ってくる。びくびく震えながらそっぽを向く俺だったが、川代さんは動じる様子を見せずに言った。
「口頭での確認でいいですよー。未成年ではないですかー」
クソガキは「はーい」と言ってタバコを受け取って立ち去っていく。
「川代さん」
クソガキがいなくなったのを確認してほっとした俺は、先輩として毅然とした態度で川代さんに声をかける。
「あんな明らかに未成年の人にタバコなんか売っちゃいけないでしょ? 店のマニュアルだと、見た目が三十歳以下なら免許証の確認をすることになってたでしょ」
「すいません。いちいち面倒くさかったので、なあなあにしてました」
あっけらかんと言う川代さんに、俺は鷹揚と
「しっかりしてくれなくちゃ困るよ。それと、分かったならちゃんとメモを取ること」
「はい分かりました。あ、でも先輩それいまさら言うならさっきの人のときに止めてくれないと……」
そういう川代に、俺は「仕事中に私語はするな」と言い放ち、仕事に戻った。
平日の昼間の閑散とした店内に、せいぜいが十二歳くらいの女の子がやってきて、俺のレジの前に立った。
「ごめんなさい……マイルドセブンっていうタバコください」
先程川代さんに注意した直後なので、俺は先輩として模範的な接客を見せることにした。
「年齢認証のご協力をお願いします」
「ごめんなさい……まだ二十歳ではないです……」
「でしたら販売はお断りします」
俺が毅然としてそういうと、女の子は肩を落として去っていった。
それから十分ほどして、先ほどの女の子が泣きじゃくって鼻血を流しながら現れた。
「ごめんなさい……ぐす。その、マイルドセブンってタバコください……」
「年齢認証のご協力をお願いします」
後輩の規範となるためにも、俺はマニュアルどおりの毅然とした接客で女の子に対峙した。
「まだ十二歳なんですけど……そこをなんとか」
「販売はお断りします」
「でも……」
「お断りします」
女の子はとぼとぼとした足取りで去っていった。川代さんは少しだけ身を引いて
「先輩……いくらマニュアルって言ったって少し融通……」
俺は川代さんのほうを向いて、腕を組んでから言った。
「いかなる場合でも遂行するからマニュアルなんだ。より効率的に作業するためにあえてマニュアルどおりにしないという人もいるが、たいていの場合、それは浅知恵でかえって悪くなっている。この場合、未成年へのタバコの販売は買った人間だけでなく、売った人間にも責任が発生し、刑法で処罰される。実際にそれで警察署から取調べと厳重注意を受けた店員もいるし、たかがタバコと簡単に考えず、毅然とお断りするのが店員のあるべき姿だ」
俺は気持ち胸をそらして説教する。川代さんは「ぅーいっ!」と、なんていってるのか分からないがとにかく元気よく返事をした。
しばらくすると、またしても先ほどの女の子がやってきた。掴んで引きずられた様子で、髪の毛がくしゃくしゃになっている。腹を抑えて苦しそうにしていて、口から血を流していた。
「ごめんなさい。マイルドセブンってタバげほぉっ!」
女の子は大量に吐血する。俺は速やかに川代さんに床掃除を命じたが、「床掃除はまだ教えてもらっていないので先輩がやってください」と、店の前においてあった求人誌を読みふけっていた。
「君。床を掃除するくらいのことも、教えられないとできないのか」
「できないこともないかもしれません。でもやったことの無い仕事は、自分だけでできそうでも必ず先輩にやり方を教わるようにと店長から言われました」
「じゃあ教えるからやれ」
「先輩が手本を見せてください。それからやります」
俺と川代さんが業務上の相談を交わしている間に、女の子は二回目の吐血をしてさらに床を汚した。
「ほべんはさい……あの、マイルドセブンって……タバコ……。買って帰らないとお父さんに殴られ……」
「あのね。君がどういう状況なのかはよく理解できるし同情するけれど、はっきり言って俺は関わりたくもない。だから、他の店に行ってもらえないかな? そりゃあまだ小さい君は叱られるくらいで済むかもしれないけど、俺はいい大人だから、そのことで始末書を書かされるかもしれないんだ」
論理的な説得を試みる俺に、女の子は泣きじゃくりながら
「お父さんがこの店のポイントカードを集めてるんです……だからその……この店じゃないとだめだって……」
「タバコと酒はポイント対象外だと言ってやれ」
そういうと女の子は吐血しながら店の外へと立ち去って言った。川代さんは両手をすり合わせながら「国を恨んで……」とつぶやいる。
俺は面倒だが川代さんに代わって床掃除をしなければならなかったが、レジを新人の川代さん一人に任せるのは不安だという言い訳を思いつく。なので、他の学生バイトにあごをしゃくって、代わりに床を掃除させた。
「今の人、急がしそうなのに……。二十六歳フリーターでも学生相手には横暴なんですね」
「なんか言ったか?」
「ぃっえ! なんでもっぅっす!」
川代さんは元気にそう返事をした。
「ぎゃはは、なにこれ! 血塗れじゃねーか。ウケる!」
そう言って金髪のにーちゃんが店に入ってくる。おおよそ高校生くらいだろう。
「おっす店員さん! タバコなんだけどラークマイルド売ってくんね?」
「年齢認証のご協力を……」
「お? 店員さーん、よくみてよ。ぼくがまだ十台に見える?」
そう言って凄んでくるにーちゃんだったが、近くで見れば見るほど高校生にしか見えない。
「念の為のご確認ですので、どうぞご協力を……」
「あん? 一発入れないとわかんないか?」
そう言って眉間に皴を寄せて睨むにーちゃん。俺は縮み上がる。
「たいへん失礼しました。申し訳ありません。お会計させていただきます」
「っぇー! あ、これポイントカードね」
「おタバコは対象外でして……」
「あ?」
「失礼いたしました」
そう言って俺はスタンプを押してにーちゃんに渡す。にーちゃんはニヤニヤ笑いながら「さんくー」と立ち去った。
「先輩、今の……」
「明らかに確認が必要ない年齢のお客様に対しては、あえてマニュアルどおりには接客せず、速やかにタバコをご提供する場合もある。機械的な接客ではお客様に冷たい印象をもたれてしまうし、何より年齢認証をする分だけお客様に余計なお時間を取らせてしまうことにもなるからな。臨機応変な対処がお客様から好評をいただくためには必要だ」
「え、さっきといってることが違う……」
「先輩の言うことに口答えをするな。言い訳や揚げ足とりばかりを考えるばかりで、素直に話を聞いてちゃんと仕事を覚えられないのか?」
「……。っぃえ! っし訳ありませっぅした!」
川代は少し納得がいかなそうにしていたが、元気よくそう返事をした。
それからしばらくして床掃除も完璧に仕上がったあたりで、先ほどの女の子がよぼよぼのおばあさんを伴って現れた。
「公園で鳩に餌やってたら、この子に一緒についてきて買い物してくれって頼まれてねぇ。なんかねぇ、まい……まいるど……マイルドヘブンなんてーのが欲しいそうなんだけど」
プルプル震えながらおばあちゃんがそう言った。俺はタバコのストッカーから『マイルドヘブン』または『マイルドセブン』という商品を探したが、見つからなかったためおばあちゃんにこう告げた。
「申し訳ございません。当店ではそのような商品は見つかっておりません」
「そうかい……ごめんねぇお嬢ちゃん……置いてないんだって……。ごめんねぇ……」
そう言って気の毒そうにいうおばあちゃん。女の子は泣きながら「ううん。もういい……」と、おばあちゃんをつれて立ち去っていった。
「先輩」
川代さんがじとーっとした目で
「マイルドセブンって、このメビウスのことじゃないですか。だいぶ前パッケージと名前変わったけど、昔から買ってる人はまだマイルドセブンって……」
そう言えばそのような話を朝礼で店長から聞いたような気がしたが、俺は首を縦には振らず
「商品名は正確に聞き取ってまったく同じものをお渡しするのが基本だ。特にお使いできているお客様であれば、勝手な判断でいい加減なものを渡したことが、クレームにつながる場合もある」
「………………。っしゃっりっした! っかいっすパイセン!」
川代さんは元気よく言った。
それからしばらくすると、先ほどの女の子が服をずたずたにされ全身痣だらけの状態で登場した。あちこちから血を流していて、完全に衰弱しきっている。女の子は吐血と同時に前歯を吐き出しながら、息も絶え絶えにこう口にした。
「あの……メビウスってタバコ……」
「お断りします」
俺がそういうと、女の子はその場で崩れ落ち、「メビウスって……メビウスってタバごほぉ!」と断末魔をあげながら静かになった。
「川代さん。店内で酔っ払いなどが横になって眠り始めた場合なんかのマニュアルは教えたよね? ちゃんと実践できるかどうかテストしてみようか」
俺がそう鷹揚に言うと、川代さんは「やめちまえ、おまえ」と口汚く言ってから、携帯電話を取り出して110番をプッシュし始めた。
読了ありがとうございました。