首輪という名の指輪を
鬱蒼とした森の中に廃墟と化した小さな城が在った。ここには誰も来ないだろう。
オレが呼ばない限り。
呼ぶためには口を塞ぐ白い布を外さなければならないが、両手は古い玉座に縛り付けられて無様にもがいて外すのに時間がかかった。
「オレはここだ、助けに来い」
そう声に出せば、オレの縛り付けられた手に、素足が乗せられる。真珠色に近い肌色。女は素足を出すことははしたないとされているのに、人間の常識などに捕らわれたくない彼女は常に男物らしいシャツ一枚。
純白の髪を靡かせ、宙に浮く魔女がオレの前に現れた。
「なかなかいい姿をしているな、我が王よ」
至極楽しんだ笑みを浮かべて、魔女は嘲笑う。素足でオレの胸を撫でると顎を上げさせた。
「眺めていないで助けろ」
「魔力と唇を引き換えに、助けて差し上げましょう。我が王よ」
我が王。彼女からはちっとも敬意も威厳も含められていない。
彼女がオレをそう呼ぶのは、人間の王を所有していると言う意味だ。その面白さでオレを『我が王』と呼ぶ。
手の拘束を外さないまま、彼女はオレの上に乗るとオレの唇を奪った。
抵抗すると彼女の機嫌を損ねるため、大人しくされるがままになる。国王だと言うのにこの侮辱……と思っていたのも遥か昔まで。
彼女の手を借りるには、こうする他ない。
唇と共に自分の魔力が奪われる感覚がする。力が抜ける、そんな感覚だ。
満足したのかまた宙に浮かぶ魔女。
彼女は唇と魔力を引き換えに、頼み事を引き受ける魔女。
魔女は人外である。人間の姿をしていても、人間ではない。
その証拠に彼女は膨大な魔力を秘めているし、何百年も生きていると言う。
人間にも魔力があり魔術を使うが、彼女の場合、人間の魔術など比べ物にならない。
「……」
外や城内から喉太い悲鳴が聞こえて一瞥する。同時に猛獣らしい唸り声も聴こえた。
既にここでオレを見張っていた輩を排除しているらしい。彼女にそんな素振り、見られなかったが。
「あら、もしかして殺してはいけなかった?」
目を丸めて少女のように可愛らしく首を傾げる魔女。まだ少女のあどけなさが顔に残っている彼女は、本当にキョトンとしているように見えた。
だが長い付き合いだ。これが演技だとオレは知っている。
きっと彼女の守護精霊であるライオンが食い荒らしているに違いない。それならオレの魔力を奪わなくてもよかったのではないかと思う。
守護精霊は魔女の命令で動く。魔力は必要ない。
自分のためにしか魔力を使わない彼女は、他人の願いを叶える時はその本人の魔力を使う。
だから唇から魔力を奪うのだ。
……今回は使わないのにオレは唇と魔力を奪われただけに感じるのだが。
そう視線で問うも、彼女はとぼけた。
彼女に会ったのは───いつだったかは覚えていない。いつの間にか我が国カルシスタ国の城にメイドとしてそこに存在していた。
純白の髪が目立つメイドでやけに神出鬼没で立場も弁えず口を挟む女、という印象しかなかった。当時は。
いつからそこにいたかなんて、誰も知らない。
両親である王妃と王が早くに死に、オレ──ヴァルク・ルスタリーゼは、若き王となった。まだ若い王を手玉にとろうとする数多な敵が城内にいる。
バカではないオレは拒絶し、反抗して、対抗した。
だが数少ない信用できる部下だけでは、歯が立たなくオレは窮地に立たされ暗殺されかけた。次は手玉にしたオレの従弟を王にし、操り人形にするつもりだ。
なんとかそれを阻止しようとしたが、あまりにもオレは国王として非力だった。
「無様だのう、人間の王よ」
そこに魔女は現れた。
オレを見下し、嘲笑う。
魔女とは、伝説の産物でしかないと思われていた。
不死の魔法など存在しない。精霊を作り出すことなど不可能。
伝説では、魔女は不死の生き物で精霊を作った創造主だという。魔術を作ったのもまた、魔女だと言い伝えにあった。
『昔はいた』それは単なるお伽噺と思っていた。誰も彼もが。
しかし、魔女はいた。
神と同等に崇拝される万能の魔女が差し出す手を、オレは取った。
彼女は魔力と唇を引き換えに、オレを幾度も救ってくれた。
「今回は何処の敵?」
「……爵位を剥奪した貴族だ」
漸く手の拘束を足で払いのけた彼女に、答える。
悪い噂が絶えない子爵家の徹底的な証拠を手に、爵位を剥奪した。その『悪い噂』は全て事実で、薄手の時を狙いラチられたのだ。
「学習能力ないわけ?」
「……お前さえフラついていなければこうならなかった」
首を傾げて覗き込む魔女を睨み付ける。
専属魔女として彼女はオレを守る使命があるはずなのに、自由奔放な彼女は気付くといなくなるのだ。
「あら。首輪でもつける?」
「無意味だろ」
王にさえもこの態度。彼女は何にも囚われない。
城では誰も彼女に勝てないため、軽く彼女は独裁者となっている。オレが信用する部下達は彼女によって守られているのだが、彼女は人間を玩具と認識しているらしい。
オレの部下は愚か、使用人まで彼女に唇を奪われた。彼女はキス魔。
「彼女、テクニシャンです……」と男勝りの女官さえも彼女に落ちるくらいだ。一目見れば惹かれる美貌の持ち主でその上常にシャツ一枚という無防備で官能的な姿でいる。
欲のままに彼女を押し倒す輩がいた。ソイツは彼女の怒りに触れたらしく『彼女の椅子』となっている。よつんばで石化されたのだ。
彼女は平然と石化した人間を椅子として使い、紅茶を堪能する。
オレ達は戦慄した。
魔女曰く死んではいないと言うがかれこれ一年石のままだ。恐らく彼女は戻し忘れている。石にしたことすら忘れ去っているに違いない。
そんな魔女を怒らせないように、城の者は彼女の言いなりになる。
だから彼女がフラりいなくなると平穏になり、そのせいで部下達の気が緩みオレはラチられるという悪循環が生まれるのだ。
国王であるオレを差し置いて、城の中の支配者はこの魔女。
彼女がいなければオレは殺され、国は悪くなるため皆はいわば生け贄と割りきっている。
……生け贄な。
首輪が効果的ならつけてやるが、彼女には何もかも無意味だ。オレが主なはずなのに、オレが首輪をつけられている気がしてならない。
純白の髪に包まれた傷ひとつない首を睨み付ける。
「どうかした?この古城が気に入った? ふっ、埃を被り忘れ去られたいか。人間の王よ」
「…………」
お前は既に被っているようだが?
なんて軽口は絶対に言えない。言ったら最期だ。
ただただ怒った表情をすれば、嘲笑した彼女は満足する。一番の被害者はこのオレだと思う。
「城まで送ってやろう。魔力と唇と引き換えに」
「……いらん。歩いて帰れるだろう。長い時間あの体勢だったから動きたい」
「ふむ、そうか」
古城から出ると魔女はキスをする気で、オレの肩に顎を置く。
さっき魔力取った分を使えと言いたかったが、歩いて帰れない距離ではないため断る。
唇を尖らせたが無理強いをしない魔女は引き下がる。
オレは彼女に掌を差し出した。何の疑問も持たずに魔女は真珠色に艶めく手を乗せる。
彼女の手を取り太陽とは逆の方角へと、歩き出す。
これは素足で歩く魔女を気遣うとかではない。男として女性をエスコートする義務があるだけだ。
魔女が硬い地面で足を痛めないように、草が包み込む。万能の魔女を自然が愛している故の現象だ。それが当たり前のことなため、魔女自身見向きもしない。
オレの視線を不思議そうに首を傾げた。これは演技ではない。
「ティアナ、なんでお前は口付けにこだわる? 魔力は口付けをしなくとも取れるんだろ?」
こうして手を重ねているだけでも魔力が奪えると聞いた。なのに彼女は口付けをする。
ティアナ。名のない魔女にオレが名付けた名前だ。
「美味しいから」
「……美味しい?」
それは人間が美味いという危なっかしい意味か?
「柔らかい果実のような感触が好きだから」
妖艶に微笑んだティアナは、自分の唇を舌で舐めてみせた。
……いつか舌を噛み千切られるかもしれない。
オレが口を押さえると、その反応が気に入ったらしくクスクスと笑った。
「で? 今回は何処にフラついていた?」
「隣の国の城だ」
「……隣の国だと?」
オレは片方の眉を上げる。
その反応を待っていましたと言わんばかりにニヤニヤするティアナ。
隣の国とは交友関係にあるが、あくまで表向きだ。大きすぎるオレの国を危険視しているし、隙あらば土地を奪うつもりだろう。
そうゆう可能性を潰すため、ティアナに力を借りてあちらの国に乗り込んだ。
ティアナの力を思い知らせ、ティアナはオレの武器だと認識させた。それだけで効果的だったのだが、隣の国王はティアナを気に入り欲してしまったのだ。
なんとかティアナを取り込もうとあれやこれやと手を打ってきている。それを知ってて隣の国に行っていた。
「……寝返るつもりはないよな? ティアナ」
「フン、見くびるなよ。我が王。裏切りという行為は嫌いだ。それにアイツよりお前の方が面白い、だからお前の味方だ、ヴァルクよ」
念のため訊いてみたら、ティアナは鼻で笑い退ける。見た目は同い年にも見えなくないのに、子どものように扱いオレの顎を指で撫でた。
オレが一番のお気に入りの玩具というわけだ。
隣の国王に是非とも聞かせたかった。ざまぁみろ、ははは。
高貴な魔女は人間を玩具扱いするが、裏切りなどはしない。国王同士を対立させて戦争を起こしたりしないだけ幾分かましだ。
オレの手助けは長い時を生きる魔女の暇潰しの一貫でしかない。
その暇潰しに選ばれたことを、幸運に思うべきなのだ。
例え国王だというのに唇を奪われまくられたり、素足で頬を撫でられたりしても、我慢するべきこと。
「もう行くな。あの国には」
「首輪でもつけるかい?」
「首輪なんて無意味だろうが……」
今日は首輪首輪ってよく言うな……。
疑問を視線でぶつけとみれば、にぃと唇を吊り上げた。
「隣の国王が我を手なづけようと魔法の首輪をつけた」
オレはぱちくりとまばたきする。
「…………よし、戦争だ」
アイツに目にものを見せてやろう。
このオレ様の魔女を捕らえようとした罪、軽くはないぞ!
「ヴァルクを助けに来る前に城を半壊させておいたが、戦争とは面白いのか?」
「……いや、面白くないからやめておこう」
きっとオレが呼ばなければ城を消していただろう。魔法の首輪であろうと彼女を繋いでおくなんて不可能な話。
危うくティアナが戦争に興味を示したので怒りを抑えた。感情的になってしまってはいけない。
深く息を吐いた。
「ティアナ、お前を繋ぎ止める方法はないのか?」
「ヴァルクは呼べばいい、それだけでは不足なのか?」
「…………」
そうゆう意味ではない。
その放浪癖を直してほしいのだ。
そばにいてほしい。
口にしそうになってグッと堪えるため歯を噛み締めた。
専属魔女として居てほしいと言えば問題はないのに、別の意味が浮上して胸が熱くなる。
ティアナがいないことで気が緩んでいたのは部下だけではない。
ティアナがいないせいで、オレは上の空だった。
「……っ」
歯痒くなり、髪を掻き上げる。
「なにを苛ついている?」
「……なんでもない。やはりお前の力で城に届けてくれ」
顔を覗き込むティアナ。
ティアナが勘ぐる前に、オレが何か口走る前に、さっさと帰ろう。
「では魔力と唇を引き換えに」
「───っ!」
喜んでオレの手を引くとティアナは顔を近付けたが、先程浮上した感情が拭え切れず、咄嗟に仰け反り避けてしまった。
「? どうした? ヴァルク」
「い、いや……ちょっと待て……」
ティアナの肩を掴んで離させる。
こうしないと無理矢理唇を奪ってくるし、オレの心音に気付かれかねない。
バクバクと頭の中まで響いてくる。
「おーい、ヴァルク? 変だぞ、お前」
「……なんでもないと言っているだろう」
ギ、と睨み付ける。
お前のせいだと言いたい。
お前が何日も姿を見せないせいで可笑しな副作用が起きているんだ。
「顔、赤いぞ」
「……煩い」
「ふっ、まるで初めて我に唇を奪われた時のようだぞ」
こんな時でも嘲笑うティアナ。
腹立たしいのに、心音はおさまらない。
「煩い。お前みたいに誰構わず口付けをしたりしないんだよ、オレは」
「我だって好きな奴にしかしないぞ」
彼女の平然な返答に、肩を掴む手に力が入った。
落ち着け、オレ。
今の『好きな奴』とはオレと意味合いが違う。
確かにキス魔のコイツだって好き嫌いがある。目利きがよく、オレの信用している部下も「裏切らない」と断言するくらいだ。
そうゆう相手にしかキスをしない。
……オレの部下にキスしたことを思い出すとムカムカしてきた。
隣の国王にもやりやがったっけ……。
ああくそう! どっかのバカが言わなければ、この魔女に抱いていた感情に気付かなかったというのに!
「一体どうしたというんだ?」
首を傾げるティアナの純白の髪が揺れて、オレの手の甲に当たってくすぐったかった。
早く帰りたい。
二人っきりだと口走る。
だが口付けに抵抗してしまう。
「なにを唸っている? そんなに我を繋ぎ止めたいのか?」
「!」
真珠色の瞳はオレを真っ直ぐに見つめる。
嗚呼、繋ぎ止めておきたいさ。
その唇を誰にも触れさせたくない。
閉じ込めることができれば閉じ込めてしまいたいぐらいだ。
だが、万能な魔女であるお前を繋ぎ止められる術は、オレにはないのだろう?
オレはただの人間の国王だ。
「……ティアナ」
彼女の肩から滑り落ちるようにして、彼女の手を握り締める。
決して非情ではない純白の魔女。
汚れを知らない心を具現化したような姿を持つティアナ。
彼女を見つめてから深く呼吸する。
彼女曰く『魔女の香り』が鼻をくすぐる。
オレはただの人間の国王だ。
そして一人の男だ。
この感情から逃げるなど情けない。
「そばにいてほしい」
オレはしっかり、告げた。
「教えてくれ、どうすればお前を留められる?」
幻想的な純白の髪に整った顔立ちに真珠の瞳に、吸い込まれて自分から唇を重ねてしまいそうになるが堪えて返答を待つ。
ティアナは質問の真意を探っているように瞬きをする。
「その唇、オレ以外に触れさせないでほしい」
「……ほう」
「馴れ馴れしく他の者に寄り添わないでほしい」
「……ほう」
ティアナにオレの気持ちが伝わるなり、彼女は一歩草を踏みオレに歩み寄った。その表情は好奇で目を輝かせている。
「我を独占したいと? ふふっ、傲慢なのだなぁ、我が王よ」
こんな時でもオレの魔女は笑う。
一瞬、魔女の力を独占したいと誤解されているのではと思った。
「この人ではない我と、結婚したいとでも言うのかい?」
「ティアナにとってオレが赤子同然だってことも、瞬く間に老い死に逝く存在だってことも、理解している。それでもオレは君が欲しい」
つまりは肯定だ。
オレに一切の揺るぎが見えなかったことに、今度は嬉々とした笑みを浮かべるティアナ。
それは今までに一番、美しく穏やかな笑みだった。
「ならば契りを交わそう」
身を寄り添い、ティアナは囁く。
「契り?」と聞き返しながら、ティアナの細い身体を受け止める。
「人間の結婚式のことよ」
「……妻として、王妃として、そばにいてくれるんだな?」
「んぅー」
悪戯に笑って答えを焦らす。彼女らしい。
早く確かな言葉が欲しくて、うずうずする。
「首輪という名の指輪を嵌めさせて、繋ぎ止めればいい。我が王よ」
オレの耳に甘く囁く。
純白の髪から『魔女の香り』が漂う。
ティアナの左手の薬指がオレの唇をなぞると、彼女はオレの唇を奪った。
奪われてばかりではいられない。オレだって男だ。
彼女のしなやかな髪に指を絡めて抱き寄せて、口付けを返す。
ティアナは怒ることなく、楽しげに笑いオレに身を委ねた。
柔らかい果実のような感触を堪能したあと、名残惜しく離れる。
「指輪とは、魔法の指輪か?」
「あら、魔法で縛り付けなきゃ気がすまないのかしら?」
「お前の気まぐれは予測出来んからな」
クスクス、笑うティアナはオレの手を引いて先を軽い足取りで歩く。
靡く純白の髪を見て、彼女に合いそうな純白のドレスを思い浮かべた。
祝福するかのように、風もなく森が揺れる。
「……ティアナ、まさかとは思うがオレに魔法をかけていないよな?」
「心を奪うような魔法などない。……もしも奪われていたとしたら?」
冗談で言えばティアナはキッパリと否定したが、すぐに振り返り目を細めて不敵に微笑んだ。
「それでも構わないとさえ思う、オレの魔女よ」
例えこの感情が魔法で生み出したものだとしても、それでも構わないとさえ思った。
そのくらいオレは純白の魔女に心を奪われてしまっている。
ティアナは微笑み、自分の薬指をオレの薬指と絡めた。
目映い純白の向こうに、オレの城が聳え立つ街が見えてきて微笑みを返す。
薬指を握り返して引き寄せて、もう一度と口付けをした。
end
不意に思い付き、短編として書きました。短編を好んで書かないため、書いてる途中ものすごく長編バージョンが書きたくなりました!
今回は、男主人公視点で書きました!
敵が多すぎる若き国王様の前に神のような存在である万能の魔女が現れ救われるけれど、キス魔で自由奔放な魔女に振り回されているうちに国王様がうっかり惚れてしまったってお話でした。
長編はいろんな登場人物を視点に、面白おかしく逆ハーにしたいなぁと希望をしています。
読者様も長編バージョンも読みたいと数多意見があれば、長編も載せたいとなぁと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!