馬車の事故で死ぬヒロインの母に転生したんですが、死ぬ寸前です
馬車にひかれて前世を思い出した。
ああ、私、転生してる……!
現世の記憶と、前世の記憶をまぜて今の状況を分析すると……。
私が転生したのは、乙女ゲームのヒロインの母。
男爵家の侍女をしていて、男爵令息と恋に落ちてヒロインを身ごもったものの、平民だからと身を引いてヒロインを一人で育てている女、マリー。
……そして、ヒロインが7歳のときに、馬車にひかれて亡くなる。それがきっかけでヒロインは父に引き取られるという……。
男爵令息だった父親は、家督をつぎ男爵になっていて……。
……あれ?
ヒロインの母親は、馬車にひかれて……って!
私、ここで死んじゃう?
いいやいや、まてまてまて!
落ち着け。
いや、落ち着いている場合じゃない。
今、馬車にひかれて即死してないでしょ、じゃ、何で死ぬの?
ぬるりと生暖かい液体が指先に触れる。
血、出血多量か?
慌てて状況確認すると、頭から血がだらだら出ている。
エプロンをはずし、血が出ている部分に当てる。
「ちょっと、そこの人、私では力が足りないから、血が止まるように、強く抑えてもらえない?」
野次馬の一人に声をかけると、親切そうな男性が傷口に当てた布を押さえてくれた。
「あなたは医者を呼んできて、お願い。お金ならちゃんと払うので」
医者にかかるお金は庶民は持ってないのが普通なんだよねぇ。
でも、あるのよ。あるの。
「あと、フュード男爵家のロイド様を呼んできてくださらない?」
私をひいた馬車はすでに逃げてしまっている。
どっかの貴族が乗ってたんだろうね。庶民など犬猫と一緒で、ぶつかった方が悪いくらいに思っているのだろう。
いや、犬猫もひいたら心が痛むけども。日本だって、車が汚れた凹んだと、車を心配する馬鹿もいたし。馬鹿はどの世界にもいるから仕方がない。
騒ぎを聞きつけてやってきた警邏にお願いする。
流石に平民が貴族を呼びつけるなんてとんでもないことだし、呼びに行ってもらうこともお願いできない。私が言っていることは頭のおかしい人の言葉だと誰も聞こえないふりをしている。
ただ警邏だけは、街中の事故ということもあり、完全に無視することもできずに困った顔をした。
「来ていただけるかどうかは分からないけれどフィード男爵家のロイド様に、屋敷で働いていたマリーを覚えているか、事故にあったと伝えて欲しいんです」
「わかった。来ていただけるかは分からないけれど、伝えよう」
警邏が動いてくれたことにほっと息を吐きだす。
物語では、私が亡くなったことを、ロイド様はひどく悲しんでくださった。
ヒロインである娘のマリアは自分が引き取って立派に育てるからと墓の前で誓うようなスチルがあったはずだ。
つまり、まぁ、今も私のことを思ってくれているかどうかは別として、死にそうになっているのを見捨てるようなことだけはしないと思う。
幸い、ロイド様は結婚もしておらず、予定もなかったはずだ。邪推する奥さんはいないので、伝言がどこかで握りつぶされたりもしないだろう。
ゲームでは、ヒロインを引き取ってからは、世継ぎはマリアがいるのだからと、独身を貫いた。
自分では押さえにくい頭の傷。
見知らぬ親切な人に圧迫してもらったことで、かなり出血は抑えられた。
お医者様が到着するまで、意識が保てている。
「そっと運ぶんじゃ」
おじいちゃん先生が来てくれた。なんとなく、名医のような気がする。
怪我に障らないように、担架に乗せられ運ばれながら話しかけられる。
「良い判断じゃな。血が流れすぎないように傷口を強く圧迫しておるとは」
でしょ。
「話せるかの?自分の名前は言えるかの?」
「マリーです。パン屋で雇われ仕事をしています」
おじいちゃん先生が頷いた。
「意識もはっきりしておるようじゃ。大丈夫じゃ。大丈夫じゃが、痛いのは覚悟してもらおう」
……うん。
痛かった。
そりゃもう、麻酔のない世界は、過酷。割愛。
「ママ、ママ、大丈夫?」
治療を終えた私のベッドの脇で、涙でぐしゃぐしゃいなったマリアが心配そうに私を見ていた。
「大丈夫よ、マリア……。お医者様に見てもらったからね」
この世界で心配なのは、傷口からばい菌が入ること。破傷風とかね。
お医者様はちゃんと手や器具を消毒して治療にあたってくれたし、傷の消毒もしてくれた。殺菌効果のある薬も使っているようだし……。
なんか、死なずに済みそうじゃない?
「先生ありがとうございます。あの、治療費はこちらで……」
隠しポケットにずっと大切に持っていたブローチを取り出してお医者様に差し出す。
お医者様が受け取る前に、乱暴にドアが開いた。
「こちらに、マリーが運ばれたと」
それは、前世の記憶でヒロインの父親として登場した姿よりも若く、現世の記憶で別れた時よりは年を取ったロイド様だった。
「あ……」
ヒロインの父親だけあって、ものすごいイケメンだ。
18歳と16歳で恋に落ちたんだよね。私たち。
……娘が7歳といっても、まだロイド様は25,6で、私は23,4と現代では大学出た新入社員と変わらないような若者だ。
父親という立場で描かれているから、大人と思ってしまうけれど……。
「あの……」
見とれてしまって、言葉が遅れてしまった。
「それは?」
ロイド様の視線が私の手の上のブローチに向いた。
「お医者様にかかるお金が工面できず……ロイド様から頂いたブローチを……その……」
来てくれるとは思ってはいたけれど、でも、本当に来てもらえるなんて、心臓がバクバクする。
「まだ、持っていてくれたのか……」
生活は苦しかったけれど、手放せなかった。
侍女として働いていた時の給金を貯めていたので、出産費用はなんとかなったし、運よく住み込みで子育てしながら働ける職場も見つかった。
でも、手放さなかったのは……それだけじゃない。
お金になんてできなかったんだ。ロイド様との唯一の思い出の品。
まだずっと、思っていたから。
好きだったから。
まずいまずいまずい。
こんな状況なのに、会えたことが嬉しくて泣きそうだ。もう、ずっと昔に終わらせた関係なのに。
はぁ。落ち着こう。
ブローチは、乙女ゲームでは「これをもって男爵家へ」とつながりを証明するためのアイテムだった。
今回は死にたくないので治療費に使おうとしましたけど。
そうするとマリアが男爵家の娘であると発覚するきっかけがなくなってしまうので、ロイド様を呼んできてなんて頼んでしまったけれど。
いや、ほら、もしかしたら、そのまま死ぬ可能性もあったわけだし?
娘を一人残して死ぬなんて、心残りすぎるし……。
今だって、大丈夫だと言ったけれど、これから高熱が出て、敗血症とかになって死んじゃう可能性だってあるし。
……。
まぁ、実際問題として、全然色っぽい場面でも何でもない。
頭を何針か縫ってもらっている。
治療のため髪の毛は半分なくて、包帯ぐるぐるに巻かれている。切ったところ以外もあちこちぶつけて腫れあがっている。
ものすごく不細工な顔になっていると思う。
それに、年も取った。
正直、見られたくなかったかも。
美しい思い出のままでいたかったかも……。なんて、ちょっとだけ乙女心が湧き出た。
ロイド様はものすごくかっこいいのに。
ロイド様は、お医者様に顔を向けた。
「これで、治療費は足りますか?」
金貨を1枚、お医者様に手渡しているのが見えた。
「もらいすぎじゃ」
お医者様の言葉に、ロイド様が首を横に振った。
「いいえ……。大切な人の命を救ってくれたのです。ありがとうございました」
大切な人……。きっと、深い意味はない。勘違いしてはだめ。
深々と頭を下げるロイド様に、お医者様が首を横に振った。
「いや。今晩熱が上がるかもしれない。今日明日は入院してもらう。もし熱が何日も続くようなら、あとは……彼女次第じゃ」
ロイド様がお医者様の言葉にハッと顔色を変えた。
私のことを大切に思ってくれているようで、胸が暖かくなる。
いいえ、ロイド様は昔から誰にでも優しかった。使用人一人ずつにもお優しく皆から好かれていた。
今も、私はロイド様の特別な人なんて勘違いしてはいけない。
ロイド様のご両親に言われた言葉が頭に響く。
「ロイドの……息子のことを思うなら、姿を消してくれ」
その言葉に。ロイド様の幸せのために、自分で選択したんだ。何も告げづに姿を消すことを。
「ママ、誰?」
不安そうな顔でマリアが私に縋りついた。
「え?」
ここで、やっとロイド様はマリアがいることに気が付いたようだ。
「こ、子供……、マリーの?」
返事を聞く前に、確信しているようだ。
そりゃそうだろう。
珍しいピンクの髪色は、私とそっくりだ。
……正直、若いときにピンクの髪はいいけど、中年とかおばさんとかになってもずっとピンクって厳しくない?
ええ、もう、私、パン屋で働いていてよかったって思っていたことの一つに、三角巾で髪の毛を隠せることがあったのよね。
少女と呼べない年齢のピンクの髪の女性……。目立つだけで特にメリットはない。まぁ、珍しいと言っても、数千人に1人くらいはいる。
「ママ……、いつもママがお話してくれる人?」
マリアが首を傾げた。
私がいつも話をしているのは……。
ママの大好きな人の話。
マリアの父親。
金色の髪に、マリアにそっくりな青緑色の綺麗な瞳。長いまつげにパッチリした目。
マリアと同じように、目の下に小さなほくろがあるの。
とても優しいママの王子様なの。
それが、マリアのパパなのよって。
「どうして、パパはいないの?」
というマリアの言葉に、胸を痛めながら……会えないところにいるのよと答えていた。
貴族の社会と、平民。
住む世界が違うから会えない。嘘は言っていない。
マリアが勝手に、パパは死んでお空にいると思ったようだけれど。
乙女ゲームでは私が馬車の事故で突然亡くなり、私に何かあった時にとパン屋の女将さんに預けていた手紙をマリアが受け取って事実を知るのよね。
ロイド様とマリアが顔を見合わせて身じろぎもしない。
どう言えばいいのだろう。
あなたの子ですと言うべきか。
私が生きているうちは黙っているべきか。
私は死ぬ気はないから、このまま一人でマリアを育てていくとすると……。
乙女ゲームが始まらない。
始まらなくても大丈夫なのかな?
乙女ゲームの終着点は、攻略対象と結ばれること。
特に聖女の力がどうのとか、不思議要素はない。
単純にシンデレラストーリー。玉の輿に乗るだけ。
結ばれましためでたしめでたしのゲームだ。
ってことは……。
別に、ヒロイン不在でもよいのでは?攻略対象は攻略されなきゃ別の誰かとめでたしめでたしだし?
よし。
私が死んでマリアを一人にしてしまうまでは、黙っていよう。
ロイド様だって、困るだろう。
私がいなくて娘のマリアだけ引き取るのと、娘のマリアを引き取ったら母親の平民がついてくるのじゃ全然話が違うものね。
マリーから父親を取り上げることになってしまうことだけは心残りだけれど……。
今までマリアは幸せだったんだもの。むしろ、今の生活のままの方が幸せに過ごせるんじゃないかな。貴族の世界に入れば平民の血が流れているといろいろ言われて辛い思いをすることが増えるだろうし。
乙女ゲームでは悪役令嬢と呼ばれるキャラだけでなく、攻略対象以外皆から白い目で見られ常に何かしらのいじめにあっていたのだ。
「ママがいつも話している?どんな話を?」
ロイド様がマリアに話しかけた。
「マリア、違う人だからね、違うからっ。」
黙っていると決めたのだから、マリアが下手なことを言ってこじれるわけにはいかない。
「ロイド様、……ここまで足を運ばせてしまって申し訳ありませんでした。建て替えていただいたお金は少しずつですがちゃんとお返しいたしますので……」
帰ってくださいと暗に伝えると、ロイド様は意識をマリアから私に戻した。
「無理しないで、ゆっくり休んで。入院に必要なものはある?子供……マリアちゃんは行くところはあるの?……その、他に家族は……」
マリアがくんっと、ロイド様の服を引っ張った。
「あのね、マリアとママは他に家族はいないの。えっとね、それでね、あのね……」
マリアが、もじもじとして、ロイド様に何かを言おうとしている。
「マリア、ロイド様はお忙しいのだから、引き留めてはだめよ」
マリアが私を振り返って見た。
それからロイド様の顏を見て、涙を浮かべる。
「なんで?だって、ママがいつも言っていた人でしょう?」
マリアをこの手に抱きしめようと思ったけれど、体のあちこちが痛むし、傷口が開いたら怖いので激しく動くこともできないでいると、マリアはぐっと袖口で涙をぬぐった。
ああ、泣かせてしまったのは私。
死ねない。私が死んだら、マリアはもっと悲しんで泣くだろう。
死んでたまるものか。
「マリーは……お母さんは何ていつも僕のことを言っていたんだい?」
ロイド様が目を細めて優しくマリアに声をかけた。
ああ、変わらない。8年近くも昔なのに。
柔らかくて、穏やかで歌うように話すロイドの声。
ってだめだめ、マリア、私がいつも言っていることを伝えたら、ロイドは困るだけだからっ!
「もしも、ママに何かあったら、助けてくれる人が現れるって……だから、大丈夫だよって……」
あ、それもずっと言い続けていた。
私に何かあればロイド様に手紙が渡るように手配してあったから。
急に知らない人のところへ連れていかれて怖い思いをするといけないから、言い聞かせていた。
「ママが言ってた。マリアと同じように目の下に小さなほくろがある人だって」
分かりやすくて覚えやすい特徴として伝えたんだ。マリアはちゃんと覚えている。
「あ……本当だね、同じところにほくろが……。マリアちゃんはマリー……お母さんにそっくりなだけじゃなくて、僕にも、似てるところが……」
まずい、これ以上は気が付かれてしまう。
「それから、その人は、かっこよくて優しくてとても素敵な人だって言ってたの。あなたのことでしょう?」
ロイドが私をちらりと見て、照れたように頭をかいた。
「……そう、僕のことそんな風に……。でも、マリアちゃんのお母さんこそ、優しくて……それからとびきりかわいいんだよ」
なっ。
「マリアちゃんはそのお母さんに似たんだね」
否定しようにも、そういわれると否定のしようがない。
マリアはだって、優しくてとびきりかわいいのだから。
ふっと笑みがこぼれると、ロイド様が私に声をかける。
「ああ、マリー。ゆっくり休んで。大丈夫だから。何も心配しないで」
ふふ。同じことを言うのね。
大丈夫、マリーは何も心配しないで。絶対に両親を説得してみせるから……と。
あの時、ロイド様は言ってくれたのに。
息子のためにと言われ……私は……。ロイド様の言葉よりも、ご両親の言葉を……。
ああ、頭がぼーっとしてきた。
薬のせいだ。痛み止めの薬で、眠くなってきたんだ。
傷に障らないようにそっと寝かせられる。
このまま目を覚まさなかったらどうしよう。
大丈夫。マリーはロイド様が何とかしてくれる。
でも、死にたくない。
マリーを置いて死にたくない。
物語の強制力が働いて死んだらどうしよう。
もっとたくさんマリアを抱きしめたかった。
一緒にクッキーを焼いたりしたかった。
刺繍もまだ教えていない。
文字の読み書きは教えたけれど、計算はまだだ。
冬の入り口には一緒に流星群を見ようと約束も果たしていない。
それから……。
「ママはね、世界中で一番好きな人だって言ってた。誰よりも愛した私の王子様だって。でも、もう会えないところに行っちゃったって言うの。だから、パパは……マリアのパパは死んじゃったんだって思ってたの」
それから。
マリアをいっぱい抱きしめることができた。……私はロイド様に抱きしめられた。
一緒にクッキーを焼くことができた。……ロイド様が幸せそうにクッキーを食べた。
刺繍を教えてあげることができた。……ロイド様が刺繍入りハンカチを宝物にした。
計算をマリアは覚えた。……女男爵となるべくロイド様の仕事の手伝いを始めた。
冬の入り口に、3人そろって流星群を見た。――毎年欠かさず。
そして、今日も私は口を酸っぱくしてヒロインである娘の教育をしている。
「いい、一人の男性にするのよ?逆ハーなんて百害あって一利なし」
「脳筋は体を壊すと力を持て余した馬鹿にチェンジ、DV夫になるから危険」
「自分が賢いと思っている男は人を見下したモラハラ夫になるから危険」
「世継ぎがどうしても必要な男と結婚すると男児を生む機械扱いされて危険」
「教師のくせに生徒に手を出す男は倫理観ないから危険」
「婚約者がいるのに他の女性と親しくする浮気男は生きている意味ある?」
「そもそも愛を神に誓う世のなかで、浮気するのは神への冒涜、悪魔の所業、近づくべきではないわ」
「あと、かわいいなんて容姿で選ぶような男は、年をとって容姿が衰えたら若い女に乗り換えるだけ」
最近、娘は私の顔を呆れた顔で見るようになった。
「はいはい。わかった、わかった。つまり、パパみたいな人が一番素敵だっていいたいんでしょ?もう、ママはパパのこと大好きすぎるんだから!」
マリアの言葉に、私の後ろに立つロイド様が甘い声を出す。
「違うよマリア。パパがママのこともっともっと大好きすぎるんだよ」
そして、馬車の事故の傷痕が醜く残った額に、唇を落とすのだ。
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