25年間一度も死ななかった俺、今日初めてキャラロストした
「撤退するぞ! 全員、飛空艇に乗れ!」
大盾を背負ったグラスタの声が高山地帯に響いた。
切り立った岩壁に囲まれたその場所では、負傷した攻略勢が次々と大型の飛空艇へ駆け込んでいく。
蒼色のローブを着たイレーナが乗り込む者たちを最後尾で誘導していた。
その流れに逆らい、俺――《スクリッド》は白竜の正面へ走る。
振り下ろされた前脚の内側へ潜り込み、短剣で白銀の鱗を浅く切り裂いた。
今は傷をつけるためではない。
飛空艇へ向きかけた白竜の意識を、もう一度こちらへ戻すためだ。
右手には長年使い続けてきた漆黒の短剣。
左手には『白竜に雷が通る』という4年前の検証結果をもとに特注した青銀の属性短剣。
持ち上がった翼へ青銀の刃を走らせると、傷口から青白い雷光が弾け、白竜の翼が大きく震えた。
「スクリッド! もう戻れ!」
「まだ白竜が近い! 離陸準備だけ進めろ! 合図は俺が出すから!」
迫ってきた白竜の顎の下を駆け抜ける。
続けて翼が持ち上がった。
風圧が来る前に岩壁の陰へ入り、巻き上げられた石片をやり過ごす。
「離陸限界が近い!」
飛空艇の後部から弓士フェルドの声が返った。
白竜がこちらへ向き直った頃には負傷者の収容もほとんど終わっていた。
四枚の帆にはすでに青い光が満ちている。
そして俺が合図を出すより先に、飛空艇が地面を離れ始めた。
――早い。
それでも俺の脚ならまだ跳び乗れる距離だ。
白竜が翼をたたみ、前脚へ荷重を移す。
腰が沈むのを見た瞬間、次に何が来るかは分かった。
――尾の横薙ぎだ。
振り始めを前へ抜け、そのまま岩棚の端まで走ればいい。
最後にぎりぎりで地面を蹴れば、離れていく飛空艇の後部へ飛び移れる。
この7年間、目の前の白竜とは何度も戦ってきた。
今の姿勢から尾へ繋ぐことも知っている。
前脚が沈む。
俺はタイミングを見て地面を蹴った。
――だが、尾は来なかった。
一瞬遅れて、俺の体が飛空艇へ跳んだところへ白い尾が現れる。
「――っ!」
遅れたんじゃない。
ずらされた。
白竜が狙っていたのは俺が尾を避ける瞬間ではなかった。
どこへ避けるのか。
どの攻撃なら受け流すのか。
その先まで見た上で、飛空艇へ跳ぶ最後の一歩を狙っていた。
白竜討伐戦へ挑み始めて7年。
俺はずっと、白竜の動きを読んでいるつもりだった。
だが、一方通行なわけがない。
こちらが白竜を見てきた年月と同じだけ、向こうも俺を見ていた。
「スクリッドォーー!」
イレーナの叫びとほぼ同時に、白い尾が俺の腹へ入った。
空中では受け流せず、体は真横に弾き飛ばされ、鋭利な岩場へ叩きつけられた。
HPが一気に削られたが、それでもわずかに残っている。
ふらつきながらなんとか顔を上げる。
遠ざかる飛空艇の後部ではイレーナが身を乗り出し、グラスタが後ろから抱えるように止めていた。
まだ何か叫んでいる。
もう声はこちらには届かない。
飛空艇はそのまま山肌を離れ、雲の中へ消えていった。
距離が開いたことで、パーティーからも自動で外れた。
これでもう向こうから俺のHPは見えない。
ここまでの戦いで、すでに何人も欠けていた。
それでも、あれだけの人数は何とか逃がせた。
そう考えた数秒後、降ってきた白竜の前脚によって残っていたHPが尽きた。
―――――
【キャラクターロスト】
《スクリッド》は死亡しました。
ロスト数:0 → 1
―――――
25年間、一度も動かなかった数字が動いていた。
表示されたのはただそれだけ。
俺の25年が失われたにしては――かなりあっけない終わりだった。
◆◇◆◇◆
フルダイブVRMMO《LIMINAL VALE ONLINE》――通称《LVO》。
このゲームではキャラクターが死亡すれば、その人物は永久に失われる。
蘇生も復元もない。
もう一度遊ぶなら、別の名前とLv1の体で最初からだ。
正式サービスが始まった25年前、当時16歳だった俺は《スクリッド》を作った。
それから一度もロストせず、同じキャラクターで攻略の最前線を走り続けてきた。
いつからか付いた二つ名は――《無死双刃》のスクリッド。
その戦いが今、終わった。
《LVO》で暮らす住人は記憶と生活を持ち、こちらがいない間にも人生を続けている。
住人にとって『死』は一度きりで、プレイヤーも死んだ人物として戻ることはできない。
新しいキャラクターなら世界へ入れるが、以前の名前も資産も権利も人間関係も引き継がれない。
俺は〈ログアウト〉へ手を伸ばしたところで、さっきの戦闘を思い返した。
白竜はいつから俺の最後の一歩を狙っていた――?
飛空艇へ離陸の合図を出していないのに、なぜ出発した――?
「……まあ、もう終わったことか」
俺は〈ログアウト〉を押した。
◆◇◆◇◆
目を開けると、見慣れたフルダイブ機器の内側だった。
機器を外してアカウント画面を確認する。
そこに《スクリッド》の名前はもうない。
25年間、画面を開けば必ず最初にあった名前だった。
装備や倉庫、その名前で築いたものは《LVO》に残っている。
それを扱う権利だけが俺から切り離されていた。
長い年月をかけて少しずつ換金もしてきたため、現実側で金に困っているわけではない。
「……もうこれでいいな」
俺は25年間、ほとんど毎日のようにログインしていた《LVO》の接続を切った。
◆◇◆◇◆
一日経っても、三日経っても戻る気にはならなかった。
ニュースや掲示板には《スクリッド》の名前が並び、『25年無死』の一生や攻略実績と一緒に資産額まで記事になっている。
所有する土地や事業、希少装備、素材、各種権利まで含め、一部では現実換算で2000億円規模とも試算されていた。
もちろん、それだけの現金を持っているわけではない。売却できないものや、すぐには換金できないものも多い。
《LVO》で築いた名前は現実でも金を生む。
世界の中で仕事や商売をして稼ぎ、公式制度を通して現実の生活費にする者もいる。
それとは別に、配信や映像、出演、グッズなどで現実側の収益を得る者もいた。
俺にも無名の頃から付き合ってきた企業がいくつかあり、白竜戦の後には追悼コメントを出していた。
《スクリッド》の活動を前提とする契約も、それぞれの条件に従って終了や停止の処理が進んでいた。
◆◇◆◇◆
《スクリッド》が死んでから――15日。
何となく流れてきた《LVO》のニュース一覧で指が止まった。
『《スクリッド》生存確認――死亡説を覆す!?』
「…………は?」
記事には映像までついている。
再生すると、山麓を歩いていたのは俺が25年間使ってきた《スクリッド》だった。
腰には黒と青銀の二本。
黒い短剣の柄頭には昔自分でつけた三本の傷まで残っている。
男が周囲を見る。
左へ目を向けた後に少し顎を引き、人が横を通ると右手が黒い短剣の近くへ寄った。
長く使っていた癖まで同じだった。
偽物と切り捨てる材料を探しているはずなのに、見るほど逆になっていく。
――ハッキングされたのか?
俺は急いでアカウントを確認した。
《スクリッド》は失われたままだった。
ニュース記事と映像を添えて運営へ問い合わせる。
もしキャラクターデータが異常な形で利用されているなら、止めてほしいとも書いた。
返ってきた回答では、俺のアカウント上で《スクリッド》のロスト処理は正常に完了しており、復元も再接続もできないとのことだった。
映像に映っている存在は別件として調査中だという。
「何が……起こってるんだ?」
映像の中には《スクリッド》がいる。
25年かけて築いた名前も装備も実績も、あの男の側に残っている。
「……誰なんだ。お前は……?」
資産を取り戻したいわけでもない。
攻略へ戻りたいわけでもなかった。
あれがいったい何なのか。
それだけは自分の目で確かめたかった。
俺は15日ぶりに《LVO》へログインした。
◆◇◆◇◆
起動すると、そのままクリエイト画面へ進んだ。
この人生で2回目のキャラクター作成だ。
外見調整に表示された若い男を見て、25年前に《スクリッド》を作ったときのことを思い出す。
《LVO》ではキャラクターも年を取る。
16歳だった俺に近い顔で始まった《スクリッド》も、死ぬ直前には現実の俺と同じだけ歳を重ねていた。
若い頃の顔へ戻すことも、死ぬ直前の姿を作り直すこともできる。
今回はどちらにも似せなかった。
成長方向には《スクリッド》の〈迅速型〉ではなく〈堅牢型〉を選ぶ。
最前線へ戻るためではない。
低Lvのまま遠くまで移動するなら、多少の無理が利く方がいい。
開始国は25年前と同じ『ガルヴェイン王国』を選ぶと、開始地点は《スクリッド》が最初の人生を始めた『ローデン』が自動的に選択される。
初期適性の5ポイントは《術法》へ2、《技巧》《学識》《操騎》へ1ずつ。
適性は現在の能力を直接上げるものではない。
その先で何を学び、どこまで伸ばせるかに関わる。
そして《武技》は0。
短剣なら今のままでもある程度使えるだろう。
数日の旅のために、25年間伸ばしてきた方向へまた振る必要もない。
これまで何年も二本の短剣を振り続けた人間が《武技》へ1ポイントも入れない。
――まぁだからこそでもあるのか。
自分で決めておいて少し笑ってしまった。
「……これでいい」
最後にキャラクター名を入力する。
《LVO》でずっと名乗ってきた名前は《スクリッド》だけだった。
別の名前を入れようとして指が止まる。
しばらく空欄を見た後、何となく浮かんだ音を入力した。
――《ウェンド》
その名前で〈決定〉を押した。
◆◇◆◇◆
次に目を開けたのは『ローデン』の受入所にある個室だった。
新しいキャラクターだけでなく、戦や災害で記録を失った住人も使う施設だ。
受付で《ウェンド》の新しい身分を受け取る。
外へ出て最初に目についたのは見覚えのある古い塔だった。
「……ここ、本当に『ローデン』か?」
古い塔とよく狩りに出ていた西門は覚えている。
ただ、25年前には街の外だった場所まで市街地になっていた。
門をくぐった荷馬車は止まらず、そのまま昔なら何もなかった方へ走っていく。
通りから漂ってくる焼いたパンの匂いも、記憶にない店からのものだった。
16歳の俺が知っているローデンにはあの通り自体がない。
「そうか。……25年だもんな」
記憶の中では街の端だった場所で、今は人が普通に暮らしている。
並んでいる店にも知らない名前が多かった。
少し見て回りたい気持ちはある。
だが、今は別の目的がある。
《スクリッド》が目撃された白竜山麓までは遠い。
今の俺には旅費も装備もなかった。
――まずは金がいる。
旅費だけなら街の仕事を一日やった方が早いこともある。
知ってはいたが、《スクリッド》で試したことは一度もなかった。
「……じゃあ、今回は働いてみるか」
以前の自分なら絶対に選ばなかった方へ歩いてみた。
街を回ると、西の川沿いで荷揚げ設備の交換作業員を募集していた。
戦闘経験もLvもほとんど関係ない。
必要なのは今日一日、きちんと働けることだけだった。
◆◇◆◇◆
「――そっち、もう少し右! 穴を合わせてくれ!」
「了解」
古い荷揚げ設備を外し、新しい台座を基礎へ載せる。
数人で持ち上げているが、かなり重い。
片側を合わせれば反対側がずれる。
そちらを直すと今度はこちらが外れた。
「全部押さえようとするな! 一本を基準にしろ!」
作業を仕切っていた男が基礎を指さす。
並んだアンカーボルトの一本へ穴を通し、まずそこだけを動かさない。
台座の縁が掌に食い込み、少し力を抜くだけで重い金属が横へずれた。
残りはその一点を基準に合わせていくらしい。
「なるほど」
全部を止めようとせず、一点だけをずらさない。
「そうそう! そこ押さえとけ!」
何度か繰り返すうちに、指示される前に台座の動きを抑えられるようになった。
そのとき、視界の端へ表示が浮かぶ。
―――――
《アンカー》を習得しました。
【効果】
触れている一点を固定し、ずれにくくする。
―――――
「……お?」
仕事から技能を覚えることがあるのは知っていた。
生産や採集、航海や建築。
そうした場所で独自の技能を伸ばしている者もこれまでに何人も見てきた。
だが、俺は戦闘一筋で生きてきた。
自分の習得欄にこういうものが入ったのは初めてだった。
「おい、そこ終わったぞ。次、こっち手伝ってくれ!」
「ああ、今行く」
◆◇◆◇◆
午後からは川岸へ運ばれてきた荷を倉庫へ移す作業に回された。
重い木箱を持ち上げるものもあれば、床へ敷かれた板の上を滑らせるものもある。
最初の一つを勢いよく押したところ、予想以上に箱が進んだ。
「おいおいおい!」
隣にいた男と二人で慌てて押さえる。
箱は川へ落ちる寸前で止まった。
「そのまま流す気かよ」
「思ったより滑った」
「落としたら俺も一緒に怒られるんだからな!」
「それは困るな」
「俺の方が困るわ!」
男が笑いながら箱を押し戻す。
今度は力を一気に入れず、滑り始める瞬間だけ押す。
湿った板の上では木箱が動き始めた瞬間だけ重さが強く足裏へ返ってきた。
速度が出れば力を抜く。
それでも向きが変わると片側だけが先へ進んだ。
「……なら」
箱の角へ手を当てる。
――《アンカー》。
一点だけをずらさず、反対側を押した。
向きが揃う。
「お、もう使ってんのか」
「使えるなら使った方がいいだろ」
「覚えたばっかだろ」
「だから試してる」
《アンカー》を止め、今度は箱が進もうとする方向へ力を添えた。
動き始めた後は流れを邪魔しない。
重い箱がさっきより少ない力で進んでいく。
何度か繰り返し、足元まで滑るように重心を移したところで表示が出た。
―――――
《滑走》を習得しました。
【効果】
接触している面の抵抗を減らし、指定方向へ滑りやすくする。
―――――
「……またか」
「何だ?」
「今日二つ目のスキルを覚えた」
「前にもこんな仕事してたのか?」
「いや。こういうのは初めてだ」
「初めてでそれか」
「動きを覚えるのは慣れてる」
《アンカー》と《滑走》。
朝まで名前すら知らなかった技能だ。
俺がずっと触れてこなかった場所にも、まだ知らないものが残っていた。
「……これはこれで面白いな」
「仕事が?」
「いや。こっちの話だ」
男は首を傾げた後、手を差し出した。
「俺はボルン。さっきから一緒にやってんのにまだ名乗ってなかったな」
「ウェンドだ。よろしく」
「よろしくな、ウェンド」
一瞬だけ返事が遅れた。
「どうした?」
「――いや、何でもない」
この世界で他人から《ウェンド》と呼ばれたのは初めてだった。
《スクリッド》ではない。
朝からやっていることも、覚えた技能も25年前とは違う。
別のキャラクターで戻ってきたことが少しだけ実感できた。
◆◇◆◇◆
一日の仕事が終わる頃には最初に聞いていた額の報酬がまとめて支払われた。
「これなら武器も買えるな」
「え、お前、武器すら持ってなかったのかよ」
隣で報酬を受け取っていたボルンが呆れた顔をする。
「今日来たばかりだからな」
「初心者用の武器もなしで今日一日働いてたのか?」
「仕事にはいらなかった」
「そういう意味じゃねえよ」
ボルンが頭を掻く。
「で、何使うんだ?」
「短剣」
「俺も使ってるところでよければ近くに一軒あるぞ」
「武器屋?」
「まぁ工房だな。細工も鍛冶もやってる感じの」
ボルンが少し考えてから付け足した。
「変わったのがいるけど……腕は悪くないぞ」
「その紹介で入りたくなると思うか?」
「俺はそれで行ってみた」
「……そこまで言うなら行ってみるか」
俺は川沿いの作業場を後にした。
◆◇◆◇◆
工房へ入ると、奥から赤茶色の髪をまとめた若い女が出てきた。
「いらっしゃいませ」
「短剣を探してるんだが」
「その装備だと冒険者になったばかり?」
「今日ローデンへ来た」
予算を伝えると、女は何本か候補を出せると言った。
「成長方向は?」
「〈堅牢型〉」
「え、短剣で……?」
「ああ」
「じゃあ適性の《武技》はいくつくらい?」
「0」
女の手が止まった。
「……確認するけど、短剣を買いに来たんだよね?」
「そのつもりだ」
「〈堅牢型〉で《武技》も『0』なのに?」
「とりあえず遠くへ行きたいだけなんだ。その間に敵がいたら倒さなくてはいけないだろうが」
女は数秒俺を見た後、小さく笑った。
「なるほど。一人旅か。たまにいるんだよねぇ、そういう生き方の人」
何か勘違いされているようだが、そのままにしておく。
「私はミルカ。ここの細工師。……兼、鍛冶師かな」
「ウェンドだ」
作業台へ並べられた短剣の中に、一本だけ細長いものが混じっていた。
「これは?」
「ああ……それ? 一応、短剣だよ」
「一応?」
「細くしたらかわいいかなって――思って作ったんだけど、全然売れなくて」
「短剣にかわいさを求めたのが間違ってたんじゃないか?」
「ええー。でもさ、《スクリッド》の青銀の短剣、知ってるよね? あれ、すごく綺麗じゃない?」
「……そうだったか……?」
「そうだよ。柄の細工も、鞘も、もちろん刃なんて直視できないくらい綺麗だし」
15日前まで毎日のように腰に下げていた。
性能や刃の状態ばかり見ていて、そんなところまで気にしたことはなかった。
「今日のニュースでもちゃんと持ってたでしょ。あれ見て安心したんだよね」
「なぜ安心?」
「もちろん《スクリッド》本人が生きててくれて良かったんだけど。私、あの青銀の短剣、一回でいいから絶対近くで見てみたかったから」
「……そんなにか?」
「うん。でも本人に見せてくださいなんてさ……夢のまた夢だけどね」
「……そうだな」
ミルカは何も知らないまま、売れ残った細長い短剣を持ち上げる。
「売れなかったけど物は悪くないよ。少しいい素材も使ってるしね」
情報を確認すると、初心者用にはない項目が一つ付いていた。
―――――
《精密》+1
刺突時、刃先のブレを抑える。
―――――
「……オプションまでついてるのか」
「うん。でも普通に使うなら他の方が使いやすいよ。長くて細いから受けには向いてないし、横に捻るのもやめた方がいいし。初心者にはちょっと厳しいっていうか……」
「真っ直ぐ刺すなら?」
「……すごく狭いところには通せると思うけど」
「なら、これにするか」
「それだけで決めるの?」
「狙ったところに刺さるなら十分だ」
「十分じゃないよ。持ちやすさとか見た目とか、色々あるでしょ」
「これまではそこにはあまり困らなかった」
「……え?」
「こっちの話だ」
ミルカが俺と短剣を交互に見る。
「やばい、本当に変なのが来た……」
代金を渡し、その場で軽く振った。
《スクリッド》が使っていた二本とは重心も長さも違う。
以前なら候補にも入れなかっただろう。
今は狙った場所へ刃を通せれば、それでいい。
「ちゃんと今後も使うって決めたら、また持ってきてね。柄もウェンドに合わせた方がよさそう」
「それも使いやすくするためか?」
「それもあるけど、今のままだとまだ物足りないから」
「……作ったのは自分じゃなかったのか」
「作ってみたら、もっとかわいくできそうって分かったんだよ」
「そういうものか」
「うん。そういうもの」
「変わった鍛冶師だな」
「細工師だからね。っていうかウェンドには言われたくないかも」
そう呼ばれるのにも慣れてきていた。
工房を出ると、ボルンがまだ荷馬車へ道具を積んでいた。
「お、買えたのか?」
「ああ。少し試してくる」
「なら俺も行くぞ。帰る前にちょっと狩るつもりだったんだ」
◆◇◆◇◆
俺たちは『ローデン』の北門を抜け、街道から少し外れた草地へ入った。
ほどなく一頭の《レッドボア》が姿を見せる。
――Lv3。
25年前からいる、ごくありふれたMOBだ。
首下が比較的柔らかく、突進の後に大きく向きを変えることも覚えていた。
「一匹、やってみる」
「危なくなったら入るぞ」
「頼む」
《レッドボア》が地面を蹴った。
速度も軌道も分かる。
正面を外して側面へ入り、首下へ短剣を差し込む。
――だが、届かない。
刃を出したときには狙った場所が一歩先へ抜けていた。
追えば直後の旋回へ巻き込まれる。
一度距離を取った。
「……遅いな」
「《レッドボア》が?」
「いや、俺が――だ」
二度目は自分から首下を取りにいかず、突進後の旋回を待つ。
体がこちらへ回る途中で首下が近づいてきた。
半歩踏み込み、短剣を真っ直ぐ脇に刺す。
《レッドボア》は何歩か走った後、草地へ倒れた。
「……今の、一回目と全然違ったな」
「一回やれば、今の体でどこまで届くかは分かるからな」
「あ? 何なんだ、お前……強えじゃねえか……」
「今くらいの相手なら」
今の体に合わせれば、同じ相手でも戦い方が変わる。
それが少し面白かった。
そのままボルンと何匹か狩りながら北側の森へ入る。
最新の《ローデン》の街の話をしながら進んでいると、木々の向こうに大きな岩場が見えた。
「俺はこの辺でもう少し狩るけど、向こうの大岩には近づくなよ」
「ああ、たしか……」
「――《岩腕猿バルガ》。あの先が縄張りだ」
《スクリッド》で一度だけ戦ったことがある。
灰色の巨体と異様に長い腕は思い出せるが、どう倒したのかまでは覚えていない。
「……まだいるのか」
「知ってるのか?」
「大昔に一度見た」
「大昔……? Lv10のエリアボスだぞ。今のお前が行くような相手じゃない」
「戦う気はない」
「じゃあ何でそっち見てんだよ」
《レッドボア》ですら今の体では違って見えた。
なら昔一度戦った相手は《ウェンド》の目にどう映るのか。
「……見るだけだ」
「その言葉、もう信用したくないんだけどな……」
結局ボルンもついてきた。
岩場の手前で立ち止まる。
奥には灰色の巨体がいた。
――《岩腕猿バルガ》。
地面へ届くほど長い両腕を岩へつき、脚と交互に使いながら動き回っている。
腕一本で体を引き寄せ、その勢いのまま別の岩へ手を伸ばす。
長い腕は攻撃だけではない。
移動にも体を支えるためにも使っていた。
「……こんな動きだったか?」
しばらく眺めているうちに、バルガの顔がこちらへ向く。
「おいおいおい……気づかれてねえか……?」
「ああ」
「ああ、じゃねえよ!! 下がるぞ!!」
俺も後ろへ動き始めた。
次の瞬間、バルガが両腕まで地面へつく。
岩場を蹴るように巨体が跳び、一気に距離を詰めてきた。
「速っ――!」
横から振られた右腕を外へ躱す。
腕が地面へ突き立った直後、そこを支点に巨体が跳ね上がった。
Lv1の体は思っていたより動かない。
だが、目は追いつく。
「……腕だけでもそこまで動けるのか」
「感心してる場合か! 離れるぞ!」
「ああ」
もう一度右腕が迫る。
避けながら昼間覚えた《アンカー》を思い出した。
戦うために覚えた技能ではない。
ただ、今使えるスキルは二つだけだ。
右腕が目の前を通る瞬間、掌を当てた。
――《アンカー》。
掌はバルガの腕から離れない。
ただ、バルガの腕までが止まるわけではなかった。
振り抜かれる勢いで肩が抜けそうになり、掌が焼けるように擦れた。
すぐに《アンカー》を切る。
足が岩場を滑り、何歩も流されて止まった。
「ウェンド! 何やってんだ!」
「距離を取れるかと思ったんだが」
「無謀すぎんだろ! 普通に走れ!」
「そっちより速い」
「そういう問題じゃねえ!」
掌はついていけた。
足だけが残った。
なら――。
次の右腕を避け、もう一度掌を当てる。
――《アンカー》。
続けて両足の裏へ《滑走》を使った。
視界が横へ吹き飛ぶ。
「――っ!」
足裏から地面の感触が消えた。
岩壁も草も一気に流れ、一瞬前まで近くにいたボルンがもう遠い。
「ウェンド――ッ!」
速すぎる。
《滑走》を弱めても勢いはすぐには消えず、最後は片足を横へ向けてどうにか止めた。
次は《滑走》を最初から弱くして、もう一度バルガの腕へ乗った。
今度は周囲を見る余裕が残る。
振り切られる前に《アンカー》を切り、残った勢いを足で受けた。
「……これなら使えるな」
続く左腕を抜ける。
右腕が岩壁へ伸びた。
その動きへ乗り、途中で手を離して壁を蹴る。
体が上へ跳ね、地上からでは届かなかったバルガの肩が目の前に来た。
「そこまで行くのかよ……!」
肩へ降りながら短剣を抜き、首に近い場所へ突き込む。
細い刃先は表面を抜けた。
だが、そこで止まった。
「硬い……」
やはりLv1の力では足りない。
すぐに肩から飛び降りる。
直後、バルガが背中を岩壁へ叩きつけた。
「もう十分だろ! そこまで行けても刺さらないなら退避だ!」
「……そうだな」
肩までは行ける。
足りないのは最後に刃を押し込む力だけだ。
離れようとしたところで、バルガがまた右腕を大きく振った。
振り抜いた腕が勢いよく引き戻される。
「……待て」
戻るときも速い。
もう一度右腕を最後まで振らせる。
引き戻され始めた瞬間、その内側へ掌を当てた。
――《アンカー》。
弱い《滑走》を重ねる。
戻っていく腕に引かれ、一気に肩の内側へ近づいた。
――自分で押し込まなければいい。
腕が持っている速度を残したまま、狭い肩口へ刃先を合わせる。
――《精密》。
ミルカの細い短剣が横へ逃げない。
刃先が狙った場所へ入り、そのまま右肩の奥まで沈んだ。
「ォォォォオオオオッ――!」
バルガの咆哮が岩壁に響く。
すぐに短剣を抜いて離れた。
傷ついた右腕が大きく下がる。
「ウェンド!」
「……まだだ」
手を出さず、次の動きを見る。
左腕が先に地面へつき、右腕が一拍遅れて続いた。
右肩を傷つけたことで、巨体を支える順番が崩れている。
そこで初めて、倒せる形が見えた。
バルガがこちらへ向き直る。
傷ついた右腕をわずかに引きずりながら、それでも両腕を地面へついた。
「……まだ負ける道は見えないからな」
バルガが岩場を蹴る。
先に伸びてきたのはやはり左腕だった。
逃げずに掌を当てる。
――《アンカー》。
同時に《滑走》で外側へ流れた。
左腕が岩場を捉え、巨体の重さがそちらへ乗る。
――ここだ。
《アンカー》を切る。
遅れて右腕が地面へ伸びた。
傷ついた肩へ巨体の重さがかかる。
右腕が耐えきれず沈み、支えを失った上半身が前方へ崩れた。
首の下が開く。
俺にはこの巨体を押し倒せない。
だったら、その力まで俺が出す必要はない。
崩れてくるバルガの脇へ入り、胸と岩場の間へ細い短剣を滑り込ませた。
狙うのは首下――押し込まない。
刃先だけを合わせる。
――そのとき、バルガ自身の体重が短剣の上へ落ちていた。
「――ガガガッァ!!?」
Lv1の俺には出せない力がそのまま刃へ乗る。
細い短剣が一気に首下へ沈み、柄から強烈な衝撃が両腕へ返ってきた。
すぐに手を放して横へ転がる。
背後で轟音が鳴った。
灰色の巨体が岩場へ叩きつけられ、足元まで震える。
距離を取って待つ。
バルガの長い左腕が岩を一度掻いた。
指がわずかに動いた――たが、それきり止まった。
しばらく待ってから近づき、首下まで沈んだ短剣を引き抜く。
―――――
《岩腕猿バルガ》を討伐しました。
―――――
「おいおい……本当に倒したのかよ……?」
ボルンは倒れたバルガを見た後、俺を見てからもう一度バルガへ視線を戻した。
「お前、今日この街に来たんだよな?」
「ああ」
「お前……絶対おかしいだろ」
視界の端に表示が重なる。
―――――
LEVEL UP
Lv1 → Lv5
―――――
続けて、もう一つ。
―――――
適性ポイントを獲得しました。
―――――
「……Lv5?」
「けっこう一気に上がったな」
「そこじゃねえよ!」
ボルンが額を押さえた。
俺は表示を閉じ、倒れたバルガを見る。
《スクリッド》でも戦ったことのある相手だ。
あの頃ならもっと速く、もっと簡単に倒していただろう。
でも、今日使ったのは荷物を押さえるために覚えた技能と売れ残っていた一本の短剣だ。
「……面白いな」
「面白いな、じゃねえよ」
短剣を見る。
刃には細かな傷が増えていた。
それでも折れてはいない。
「これ、ミルカに見せてくる」
「それ、怒られるんじゃないか?」
「今後も使うなら持ってこいって言われたからな」
「そんな使い方までは想像してないと思うぞ」
「……俺もそう思う」
ボルンが深く息を吐いた。
「……見てるだけで俺が疲れた」
◆◇◆◇◆
『ローデン』へ戻る頃には日が傾いていた。
宿へ向かう前にミルカの工房へ寄り、短剣を差し出す。
「これ、見てもらえるか?」
ミルカは刃を光へかざし、すぐに表情を変えた。
「……何したの?」
「《岩腕猿バルガ》と戦った」
ミルカの手が止まり、後ろにいるボルンへ目が向く。
「本当?」
「本当だ。俺とパーティすら組んでない」
「え……」
ミルカは短剣の根元から柄までゆっくり確かめる。
「これ、普通に刺した傷じゃないよね?」
「ああ」
柄の根元へ指を添えた後、俺の右手を見る。
「かなり変な力の入り方してる。次も同じ使い方するなら、柄は変えた方がいいと思う。このままだと手の方が先にきつくなるかも」
「直せるのか?」
「たぶんね。だから、今後も使うって決めたら持ってきてって言ったでしょ?」
傷の増えた短剣を見る。
「なら、また持ってくる」
口にしてから、少しだけ引っかかった。
ミルカは短剣の柄を眺めながら頷く。
「じゃあ次は、柄もちゃんとかわいくしようね」
「そこはまだ必要なのか?」
「そこが大事なんだって言ったでしょ」
◆◇◆◇◆
工房を出た後、白竜山麓までの経路を地図で開いた。
「やっぱ……遠いな」
「どこ見てるんだ?」
「白竜のいる山麓地帯だ」
ボルンが画面を覗き込む。
「おいおい、ついさっきまでLv1だったやつが……もう白竜のいる方へ行くのかよ。ニュースは知ってんだろ? あそこは今でも最前線だぞ」
「いや、白竜と戦いに行くわけじゃない」
「……じゃあ何しに?」
「確かめたいことがある」
それ以上は聞かず、ボルンが経路へ目を戻した。
「……にしたって遠いぞ。まず中継地点の『ザルク』まで出ないと話にならないし。おい、地図見てみろ。そこから白竜山麓までもまだまだあるぞ」
転移手段のない《LVO》では、白竜がいる最前線の最寄り街まで行くには、船や馬車を乗り継いで中継都市の『ザルク』を経由するしかない。
「ローデンからザルクへ直行する便は?」
「この時期はほとんどないな。明日の朝、途中の集積地まで行く荷馬車なら出るけど」
「それ、俺も乗れるのか?」
「客としてなら金がいる。今日の荷役場から出るやつだから、働くなら乗せてもらえるかもしれない」
「すまない、頼めるか?」
「話くらいはしてやる。ただし最初の集積地までだぞ。その先は自分で探せ」
「十分だ」
◆◇◆◇◆
翌朝、俺は『ローデン』を出る荷馬車に臨時作業員として乗っていた。
「……死ぬなよ」
「まだそのつもりはない」
「その返事、昨日も聞いた気がするな」
ボルンが笑って片手を上げる。
北門が少しずつ遠ざかっていった。
最初の集積地で荷を下ろし、翌日は河川を進む船へ乗った。
「ウェンド、そっちの縄を頼む!」
「ああ」
呼ばれてから返事をするまで今度は遅れなかった。
船を降りた先では次の便まで荷を運んで旅費を増やし、そこから長距離馬車へ乗り継ぐ。
金があっても一瞬では着けない。
便を待ち、宿を取り、必要なら途中で働く。
《ウェンド》になってみると世界は広かった。
◆◇◆◇◆
『ローデン』を出て三日目。
休憩で立ち寄った街で新しい情報が流れた。
《スクリッド》たちが白竜前線を離れたらしい。
公開情報では近くの都市へ向かっていることまでしか分からない。
「……よし。今より遠くへ行くことはないだろ」
映像の中では黒と青銀の短剣を腰へ下げた《スクリッド》が仲間たちと歩いていた。
―――――――
『ローデン』を出て四日目。
途中の宿では静養者用の部屋を取り、何度かログアウトを挟んだ。
ログアウト中も《ウェンド》の体は世界に残り、外からは深く眠っているように見える。
長く眠る客を預かる宿は街道沿いでは珍しくなかった。
長距離馬車が最後の丘を越える。
「……ザルク」
外壁へ向かう街道には大型の荷馬車が行き交い、遠くには船着き場と倉庫街が広がっている。
長距離交通と商いが集まり、25年間で何度も通った街だ。
馬車が門へ近づくにつれ、人の多さが目についた。
臨時の誘導柵まで置かれ、撮影機材を抱えた集団が通りの先に何組もいる。
「今日は何かあるのか?」
同じ馬車に乗っていた男が驚いた顔をした。
「知らないのか? 《スクリッド》だよ」
「……何?」
「今日ここへ入るって正式に出たんだ。前線から戻ってきてる」
公開情報を開く。
そこには確かに『中継都市ザルク』の名前があった。
前線から内地へ戻る途中でザルクへ入り、運営や長く関係のあった企業との面会も予定されているらしい。
「……本当にザルクに来るのか」
金を稼ぎ、武器を買い、何度も乗り継いでここまで来た。
その間に向こうも山を下り、一度かなり戻るようだ。
馬車が市内へ入り、最後の荷を倉庫へ運び終えた頃。
遠くから大きな歓声が響く。
「来たぞ!」
倉庫の外にいた者たちが一斉に大通りへ向かった。
俺もその流れに続いた。
◆◇◆◇◆
大通りはすでに人で埋まっていた。
建物の二階や三階の窓からまで人が身を乗り出している。
このままでは何も見えそうにない。
少し離れた倉庫の横にある高い搬入路へ上がった。
そこで最初に目へ入ったのは大きな盾を背負った男だった。
「……グラスタ」
見間違えるはずがない。
白竜戦の最後まで一緒だった。
その少し後ろには鮮やかな蒼色のローブをまとった女がいる。
「……イレーナ」
二人が目の前を歩いている。
その周囲にはフェルドをはじめ、白竜戦の最後まで残っていた見知った顔も何人かいた。
グラスタが後ろへ振り返る。
それにつられてイレーナも同じ方へ顔を向け、人垣の向こうからもう一人の男が姿を現した。
腰には二本の短剣。
黒と青銀。
周囲の歓声が一瞬だけ遠くなった。
25年間、数え切れないほど見てきた組み合わせだった。
男が歩きながら左へ顔を向ける。
人の多い場所を通るときだけ、右手が黒い短剣の近くへ寄った。
ほんの少し顎を引く。
イレーナに何か言われ、少し困ったように笑った。
歩く速さも覚えている。
視線を動かす順番も知っている。
グラスタとイレーナの間へ入るとき、わずかに位置をずらすところまで変わらなかった。
通りの向こうで《スクリッド》が顔を上げた。
集まった人々へ順に視線を送り、その途中で一瞬だけこちらを見る。
目はあったが、止まらなかった。
当然だ。
今の俺は《ウェンド》で、向こうからすれば見覚えのないその辺の男でしかない。
グラスタとイレーナの前で《スクリッド》を名乗っても、目の前の男と俺のどちらを信じるか……。
――無理だろうな。
直接見れば違いが見つかると思っていた。
ところが近くで見るほど、余計に分からなくなった。
白竜に殺されたはずの男が普通にグラスタとイレーナの隣を歩いている。
俺が25年間使ってきた姿のまま。
その背中は人混みの向こうへ消えていった。
追えば、声をかけることくらいはできたかもしれない。
だが、俺は追わなかった。
《スクリッド》は生きている。
少なくとも――この世界では。
腰に手をやる。
指先に触れたのは黒でも青銀でもない。
ミルカの工房で買った、細くて少し変わった短剣だった。
刃には昨日ついた傷が残っている。
そういえば、また持ってくると言った。
振り返ると、大通りから何本もの道がザルクの街へ伸びている。
この長い年月で何度も来た街なのに、《ウェンド》として歩いたことのある道はまだ一本もない。
今の俺が帰る場所は一つだけある。
俺は《スクリッド》の背中が消えた方とは別の道へ歩き出した。
◆◇◆◇◆
【EPILOGUE】
中継都市『ザルク』へ入ってから数時間後。
宿の一室で俺――《スクリッド》は一人、開いたメニューを見つめていた。
《スクリッド》――Lv96。
Lvも装備も変わっていない。
腰にある黒と青銀の短剣も、白竜戦で使っていた二本のままだった。
最後に覚えているのは、白竜の前脚が頭上から落ちてきた瞬間だ。
次に目を開けたときには前線拠点の治療施設にいて、グラスタたちから15日が経っていると聞かされた。
その間の記憶はない。
ただ、それ以前の記憶に抜けはなく、体にも大きな違和感はなかった。
自分で確認できる範囲では、白竜戦の前とほとんど何も変わっていない。
最初は長く意識を失っていた影響で、何か特殊な状態が残っているだけだと思っていた。
だが、一つだけどうしても見つからないものがある。
俺はメニューを閉じた。
少し待って、もう一度開く。
上から順に見ていく。
やはり……ない。
いつも一番下にあった項目だけが見当たらなかった。
――〈ログアウト〉。
選べないわけではない。
灰色になっているわけでもない。
最初からそんな項目などなかったように、どこにも存在していなかった。
「……何なんだ、これ」
俺はしばらく何もない場所を見つめた後、メニューを閉じた。
窓の外からは、まだ《スクリッド》の名前を呼ぶ歓声が聞こえていた。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この作品を書き始めたきっかけは『攻略組が帰った後から始まるVRMMO』を書いている中で、あちらの世界観には合わないものの使ってみたい設定やストーリーがいくつか出てきたことでした。
「それなら完全に別の作品として書いてみよう」と思い、始めたのがこの短編になります。
ブックマークや★などをいただけますと、大変励みになります。
それでは『攻略組が帰った後から始まるVRMMO』のほうも、引き続きよろしくお願いいたします。




