記録保管者
記録保管庫の最深部は、地上を覆う不信と混乱から隔絶された、完璧な静寂に包まれていた。分厚い隔壁と、幾重にも張り巡らされた意識体シールドは、外で人々が熱狂する「ティアマトの核」が発する周期的なノイズすら、完全に遮断していた。
ここは、時の流れすら緩慢になる、真実と沈黙の領域だ。
私は、古びた記録の端末を起動させた。光沢を失ったその画面に表示されているのは、五十億の民が安堵に沸いた航海記録や移住記録ではない。
それは、プロローグで記録された、ごくわずかな不協和音――
「別方向へと旅立った数万の者たち」の、断片的な座標データと、曖昧な通信記録の残滓である。
人々は、沈黙した上位の意識体が、最後に残したであろう「救済の啓示」を求めて、この保管庫を漁る。彼らは、希望の地で起きた食料生産の失敗や、基幹施設のノイズといった困難を、導き手からの新たな指示で解決しようと依存し続けている。
だが、私が追うのは、指示ではない。
光の意識体が敢えて沈黙を選んだ理由、そして、このティアマト星が再び混乱に陥った根本的な真実。それは、導きに安住せず自立を選んだ者たちの記録の中にしか見つからないと、私は直感していた。
端末のタッチパネルに指を滑らせた瞬間、冷たい物質が、意識の奥底に潜む「過去の私」を呼び覚ます。
記憶の反芻
船団がティアマト星に到着し、最初の居住区画が地表に降ろされた頃を覚えている。私は、光に満ちたその星を前に、高揚感に包まれていた。
「ここからが真の歴史の始まりだ」と、私は記録媒体に最初の文字を刻んだ。
上位の意識体の導きは、我々に安全な場所を与えてくれた。それは、歴史上類を見ないほど完全な「安堵」だった。当時の私は、記録保管者として、この完璧な希望の成就を、後世に永遠に伝える使命を抱いていた。
あの頃の私は、疑いようのない希望に満ちていた。船団の誰もが、上位の意識体の愛が、この先も永遠に我々を照らし続けると信じていた。故郷の星の消滅という絶望は、遠い記憶の残響となり、人々は誰もが未来だけを見ていた。
だが、あの純粋な希望は、今となっては痛ましいほどに脆かった。
食料生産の失敗。原因不明のノイズ。そして、船内組と地上組の間に生まれた不信と嫉妬という、社会的な軋轢。上位の意識体は、相変わらずその「愛」を微かに感じさせるだけで、具体的な道筋は一切示さない。人々は再び依存する対象を求め、目の前に現れた「ティアマトの核」という巨大な遺構に飛びついた。
記録保管者としての私は、そのすべてを見てきた。安堵から不信へ、希望から依存へと転落していく、この数年間のティアマト星の短い歴史のすべてを。
端末の画面には、微かにノイズが走る。「数万の離脱者」の通信記録が、何かを語ろうとしている。私は知っている。あの不協和音の中にこそ、この混乱から脱するための「鍵」、すなわち上位の意識体が我々に託した「自立の記録」が隠されているのだ。
私は、人々の熱狂とは真逆に、この沈黙の記録保管庫で、ただ一人、真実の探求を続ける決意を固めた。
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