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53話 センスのいいヨーコ

 昨日フェリオンがスヴァルトハイム邸へ戻るうちに突風が起こった。その風は馬車を揺さぶり、木々を折り、様々なものを巻き上げて、終いには二次被害で城壁の一部が欠けた──その事実は、フェリオンの胃をつかんで彼を憂鬱にした。

あの風の中心は、真っ黒な魔力だった。


 昨日。ヨーコに黒い魔力の性質を説明し、ヨーコが「黒の聖女」と教えた。

人が体内の黒い魔力を吸われると、心地よさと同時に「渇き」に似た喪失を覚え、強く求めてしまうようになる。君が無意識にそれをしていると。

その性質を制御する練習をしようと提案した。

黒い魔力を知覚しない彼女一人では練習出来ないだろうと、あえて昨日は対策をちらりとも教えずに帰ったのだ。


 その直後に突風。

 怪我人こそいないが、王都は一時騒然となった。


「本部の西側の窓が一枚割れてねぇ」

「いや、研究棟の庭木なんて根元から倒れたよ」

「うちの防風結界が杭ごと飛ばされてだな……」


魔法塔での幹部会議が始まる前。幹部たちはお互いに被害を報告しあっていた。


最近は誰に会っても「ヨーコに会わせろ」とうるさいから、フェリオンは必要以上に不機嫌そうにして人を寄せ付けないようにしていた。

今日も不機嫌そうにして遠巻きに話しを聞く。耳が痛い。

気まずくてふいと目を逸らすと、その先にいたリューディガーと目が合った。父はものすごく怒っていた。真顔でこちらを見据えてくる。フェリオンは不機嫌顔を崩さなかったが、冷や汗が吹き出した。

これは、突風が黒い魔力のうねりと気づいている。恐らく、ヨーコの関与にも。


フェリオンはまた視線を彷徨わせため息をついた。


リューディガーもため息をついた。


フェリオンは魔法塔からクロード邸に向かう馬車の中でもずっと考えていた。


 ──オレが帰ったあとで、彼女は一人でなにかしてしまったのか?

それとも自分の正体がショックで無意識に?


 否定する根拠も肯定する材料もない。

 考えれば考えるほど、胸の底にざらついた罪悪感が積もっていく。


 ヨーコに伝えなければならない。

 制御できるようになろうと言った翌日に、これだ。


 気が重い。

 それでもクロード邸に向かわないわけにはいかなかった。


  

―――



 重たい心を抱えたまま玄関ホールを抜け、ヨーコの部屋へ向かう階段へ足を向けた瞬間──


「スヴァルトハイム様、歓談室へご案内いたします」


 メイドのクララが、まっすぐ立ち塞がった。


「……歓談室?」


 思わず足を止める。

 これまで何度も訪ねているが、いつもはヨーコの部屋へ通される。それが決まりのようになっていた。


 クララは淡々とした表情のまま、フェリオンの考えを読んだように続ける。


「クロード様より。ヨーコ様のご体調が回復されたのち、スヴァルトハイム様に限らず、皆様を歓談室にお通しするよう申し付かっております」


 フェリオンは、はっと息を飲んだ。


 ──そうか……。

 あの部屋は寝室でもある。

 これまでヨーコが弱っていたからこそ、彼女の枕元で話しても許されていたのだ。


 回復した今、あの密室に二人きりで籠もるのは……良くない。


「……わかった。案内を頼む」


「承りました」


 クララは少しも崩れない無表情で一礼したが、その歩き方から、クロードの命を守る強い責任感が滲み出ていた。


    ***


 歓談室の扉が開くと、ヨーコがすでに座っていた。

 フェリオンを見るなりぱっと立ち上がり、嬉しそうに小走りで近寄ってくる。


「フェリオン、こんにちは」


 その表情は、昨日説明した “黒い魔力の仕組み” を聞いたときとは違い屈託がない。

 その無垢さに、フェリオンも思わず口元を緩めた。


「こんにちは。……ん?」


 と、ヨーコの笑顔に気を取られ気づくのが遅れた。

 この部屋の魔力密度──異常なほどに薄い。


 昨日まで、ヨーコの周囲は常に黒い魔力がたゆたい、彼女の周りは暗くぼんやりとする程だった。

 それが今日は、ほとんど「大気と同じ」。


「ヨーコ、これ……」


 言いかけたが、クララがまだ部屋にいる。

 黒い魔力のことは口にできない。


 戸惑いながら言葉を探しているフェリオンの後ろで、扉が静かに閉まる音がした。

 クララが退出したのだ。

 歓談室には、ヨーコとフェリオンだけが残された。


「フェリオン? どうかした?」


 ヨーコが首を傾げ、笑顔で手を伸ばしてくる。

 その仕草があまりに自然で、美しく、柔らかかったため──


 フェリオンは考えるより先に、その手を握っていた。

そして更なる違和感に気づく。

「……え?」


 ヨーコが驚いて瞬きをする。

 フェリオンはその手を握りしめたまま、息を呑んだ。


 ──吸われない。


 自分の身体に満ちる黒い魔力が、ヨーコに触れてもまったく揺れない。

 いつもなら触れた瞬間に吸われ、渇いて水を求めるように、ヨーコの心が欲しくてたまらなくなるのに。


「えっ……えっ……?」


 信じられず、ヨーコの肩に触れる。

 頬に触れる。

 腕を取り自分の胸に当てる。

 肩口に顔を寄せ──

 しまいには強く抱きしめていた。

彼女の匂いが、息遣いがこんなに近くにある。

 それでも。


 黒い魔力は一切反応しない。


「フェ、フェリオン……くるし……」


 胸元でヨーコがもがいた。

彼が見下ろすとヨーコは黒髪が乱れ、困ったように上目遣いでフェリオンを見ていた。

彼はその顔をうっとりと見つめた。今までなら黒い魔力が奪われる快感に引きずられていた。でも今はこんなに穏やかな気持ちでいられる。

それがとても心地よくて―――

「フェリオンてば!」


ヨーコの大声と共に、急に体内の黒い魔力が抜けた。

突然の癒しと渇望がフェリオンを襲う。

「ぅっ…んっ」

口から声にならない声が漏れる。足に力が入らない。

まずい。これはまずい。

反射的にフェリオンはヨーコから腕を離し机に寄りかかる。


「ご、ごめん……!」


 顔が真っ赤になり、フェリオンはそれを隠すので精一杯だ。


 しかしヨーコは胸を押さえて息を整えた後、ふっと笑った。


「成功したみたい」


「え?」


 ヨーコはしたり顔で手を口元に当てた。そんな小悪魔みたいな顔もできたのか。


「フェリオンがいないと実感できなかったのよ」


「……実感?」


「昨日、練習したの。体の中に黒い魔力が入ってこないように、って。」


 フェリオンは口をポカンと開けたままヨーコを見た。


 ──昨日、オレが黒の魔力の存在を教えたばかりだぞ。


 みひろですら、白い魔力を自在に扱えるようになるまで相当時間を要した。

 条件は同じはずだ。

 黒い魔力は、人の感知に乗らない。

 知ったばかりのはずのヨーコが、見えもしない魔力を “弾く” など──


「まさか、魔力を感知できるようになったとか?」

怖々と聞くフェリオンにヨーコはご機嫌で答えた。

「ううん、全然。だからフェリオンが来るの待ってたよ」


待ってくれていたのは嬉しいが。フェリオンはなんだか複雑な顔をした。


 つまり見えない黒い魔力を、まるで自分の息遣いを整えるかのように扱ってしまったという事だ。


 フェリオンは呆然とした。

 最新の魔術理論を教えてもすぐ理解してしまう研修生を見ることはあるが──これは別格だ。


 ヨーコの魔力適性は“規格外”だ。

 そう確信せざるを得なかった。


「ヨーコ……本当に、教えてないのに……これを自分で?」


「うん。やってみたらね、なんかできた。」


 驚くほど簡潔に言った。


 フェリオンは思わず口に手を当てて息を飲む。

 彼女本人は無自覚なのだ。

 フェリオンでさえ苦労して何とか操れる程度の黒の魔力を、一日であれほど力強く使いこなすとは。


 ……とんでもない才能だ。


 だが、その才能は今のところ “危険” と紙一重である。


 フェリオンは真剣にヨーコの両肩をそっと掴み、ゆっくり言った。


「……ヨーコ。危ないから。」


「え?」


「こういう練習は、オレといるときにしよう。絶対に。」


 ヨーコは瞬きをしてから、ふっと笑った。

 その笑顔は「またまた、心配しすぎだよ」と言わんばかりだが、フェリオンは首を横に振った。


「本当に。危ないんだ。」


 昨日の“突風”の被害を思い出す。

 伝えなければならないことは多い。

 だがその前に──


 ヨーコは、自分がどれほど特異な力を持つのか、理解していない。


 まず、それを伝えなければ。


 フェリオンは深呼吸し、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。


「昨日の続き、話させてくれる?」


 ヨーコは素直に頷き、向かいの席に座った。


 ──この少女の力を、どう導くか。

 それが、フェリオンの責任であり、彼にしかできない役目だった。



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