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48話 ヨーコの目醒め

いつの間に眠っていたんだろう。

うつ伏せで寝ていたから背中にクロが座って重い。


「ぅぅ、クロ、どいて……」


ヨーコは背中に手を回して猫をどけようとした。

寝ぼけた彼女の手の甲に、黒猫特有の少し硬めの猫っ毛が触れた―――気がした。


「………クロ!?」


思わず飛び起きた。こちらの世界では夢の中でしか会っていない実家の猫が背に乗っていた感触が、確かにあった。


部屋を見渡す。何もいない。


「夢、かぁ」


ガッカリして布団に倒れる。

クロどころか、こっちの世界に来てから猫を見ていない。外に出ないからだ。


ヨーコはため息を吐く。

昏睡状態だったから体が訛っているのかと思っていたけれど、いつまで経っても頭は重く、体は怠い。関節に力がまっすぐ伝わらないし、握力も戻らない。


そろそろ別の病気を疑った方がいいよこれ。ねえ、フェリオン先生…………なんてね。


ベッドでうつ伏せになりながらそんなことを考えていた。

手を強く握って自分の無力を再確認する。自分の握力は今どれほどなんだろう。確認するすべはない。ヨーコは拳を開いた。


「………あれ?」


手のひらに、自分の爪の痕がついた。

自分の変化に気づいて上体を起こす。

苦もなく上体が持ち上がる。

そうだ、さっき自分は「飛び起きた」のだ。

腕を上げて伸びてみる。腰を捻ってみる。


………昨日と、全然違う。


同時にノックが響く。


「おはようございますヨーコ様」


メイドのクララが入ってきた。


「今日も天気が良いですよ」


そう言いながら窓を開けてくれた。

鳥の羽ばたきが聞こえ、爽やかな風が部屋に吹き込んだ。


「お、おはよう……」


ヨーコは目を見開き、やっと声を出した。


昨日と、全然違う。

耳に届いたクララの声は「今日も天気が良いですよ」と、ちゃんとそう聞こえた。


眩しい日差しを浴びたクララは笑顔のまま首を傾げる。


「どうかしました?」



―――――


フェリオンは悩ましげな顔で朝食を食べていた。

食卓にはリューディガーもいる。


「……フェリオン、話があるなら言いなさい」


穏やかな声でリューディガーは言う。

父の言わんとしていることは明白だ。フェリオンの体に溜まった黒い魔力。それに魔力量自体も少ない。


一昨日ヨーコの背に触れて魔力を全て吸われた。そしてあの部屋の真っ黒い魔力。体が魔力を求めてそれを取り込んだ。ダメ押しでヨーコの膝枕。体内の黒い魔力が吸われていった。


あの循環は悪魔の所業と言っていい。酷い目眩と渇きの中、ヨーコが何を言っても誘惑に感じるあの甘い時間は破滅の匂いがした。


思いだして項垂れるフェリオン。軽口を叩く余裕もない。

みひろがいた時の、輝くような白い魔力が満ちていた頃とは雲泥の差だ。


「何もありませんよ、父上」


フェリオンはパンをちぎって口に入れた。

リューディガーは小さくため息をついた。一日でこれだ。先が思いやられる。


国王の下命により、魔法塔の仕事よりヨーコを優先することになったのに―――この有様だ。


「お前しかおらず苦労をかけるが―――みひろ様が不在の今、黒の聖女に侍るのは並大抵の精神力では耐えられまい」


その通りだ。

フェリオンは昨日のことを思い出し苦い顔をした。

気落ちしている彼女の手を握りながら何度正気を失いそうになったことか。フェリオンだってクロードのことは心配だ。だが彼女のクロードを思う姿を目の当たりにすると、途端に黒い感情が湧き出てくる。理由を知らなければ闇に落ちていたに違いなかった。

リューディガーの懸念は当たっているのだ。


「……何かあったら直ぐに言いなさい」


難しい顔をして口元を拭うと、リューディガーは席を立った。


「返事は」


「―――はい」


フェリオンは驚いた。念押しするなんて、傍から見ても様子がおかしいのかもしれない。


しっかりしろオレ!クロードもみひろもいない。しばらく2人きりなんだぞ。

フェリオンはパン!と両頬を叩いて気合いを入れた。

しかし、ヒリヒリと傷む頬の奥に愛しい黒髪の聖女への熱が潜む。




―――――


フェリオンは魔法塔での午前の仕事を終え、クロード邸へ向かう。


みひろが居ない今、フェリオンが自身に白い魔力を満たすには、自作の白い魔力を貯める石を使うしかない。しかしあれは痛みに耐えながら魔力を補給するような欠陥品だった。

これから毎日、ヨーコに黒い魔力を吸われた分あの石に頼るのか。


「勘弁してくれ………」


馬車の中、フェリオンは頭を抱えた。

せめてみひろとしていたような授業がヨーコと出来れば、彼女自身でその性質を抑えられるかもしれないけれど。

ヨーコもまた、みひろと同じように魔力を知覚しているような素振りはない。言葉の壁がある今は、彼女に見えないものの指導は無理だと思っていた。


廃人になりたくなければ策をねらねばならない、早急に。

ため息が出る。

無慈悲に馬車が止まり、クロード邸に着いたと報告される。



フェリオンは背筋を伸ばして息を吐いた。

淑女に会うのに暗い顔をしていては貴族の風上にも置けまい。

そういう建前で、ヨーコに会える高揚した気持ちを誤魔化した。


ゆったりした様子で馬車から降り、クロード邸の門をくぐると、執事のコンラートが出迎えてくれた。


「こんにちはコンラート」


「ようこそいらっしゃいました。ヨーコ様が、首を長くしてお待ちしております。お早く」


コンラートは興奮した様子だ。早口でまくし立ててくる。

いつも落ち着いた感じなのにどうした?


「さ、お早くお早く」


「分かった分かった。急かさないで」


なんだかとても嬉しそうだ。クロードが遠征に行っているのにどうしたというのだろう。

フェリオンは邸のエントランスに入る。

そこにはメイドのクララと話す黒髪の彼女が、支えもなく立っていた。


「フェリオン!」


振り返り、輝くような笑顔を振りまくヨーコ。


「え、ヨーコ?」


驚くフェリオンにヨーコは駆け寄り手を取る。


彼は動揺した。ついにヨーコが輝いて見えるようになった。涙が出そう。

だって、ヨーコが「駆けて」来たから。


「体が軽いの!」

嬉しそうにフェリオンの手を握って跳ねる彼女は妖精みたいだ。抱きしめてキスしてしまいそう。


「待って、待って待って」

待て待て、オレも待て。


両肩に手を置きヨーコを落ち着かせてフェリオンは息を長く吐いた。


「どういうこと?」


満面の笑みを称えたヨーコは言った。


「うふふ。言葉も分かるわ」


ああ、もう。全然意味がわからん。

でも。

困惑の陰に隠れた感激の波がフェリオンに押し寄せた。


「……良かった。ヨーコ!」


フェリオンはそっとヨーコを抱きしめた。体から黒い魔力がヨーコに流れ出るが構わなかった。

目頭が熱くなる。溢れる涙を見せたくなくて、彼女の肩に顔を埋める。

言葉の壁は心の壁だとフェリオンは知っていた。それが無くなったということは、ヨーコがこの世界を受け入れたことにほかならない。それが嬉しかった。


「もう、泣き虫ね」


ヨーコがフェリオンの頭を撫でた。彼女の中で彼は感激屋の可愛い人だった。


「………また、可愛いとか思ってない?」


涙声でフェリオンが言うと、ヨーコは肩をすくめて笑った。


「バレた」


目をローブの裾で拭い、フェリオンは笑いながらヨーコを離す。優しい黒曜石の瞳に、格好悪い自分が映る。


「これから沢山話せるよ」


それが何より嬉しいと、彼女は笑う。

フェリオンも笑う。


「そうだね。沢山、勉強もできる」


「え?」


「沢山しようね」


「えっ」


ヨーコは驚いて彼の顔を見る。

異論を許さないフェリオンの笑顔は大輪の花のようだった。


フェリオンは希望の光を見出し、心の底から笑みがこぼれた。これで「黒の聖女」の性質をどうにか出来るかもしれない。


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