47話 ヨーコしょんぼり回
クロードは「必ず戻る」と言って、騎士たちと邸を後にした。
ヨーコはぼんやりしていた。
冴え冴えとした空気が、いつの間にか陽だまりに変わっていた。
いつも通り朝食を取って、歩行練習で邸中を歩き回る。
昼食の後は、メイドのクララと言葉の勉強をする。
いつものクロード邸。昼間のクロード邸に主人はおらず、皆忙しなく働き、ヨーコに優しい。
いつも通りなのに。
ヨーコは気持ちがザワザワして、なんだか上の空だった。
昼食も残して周りを心配させた。
「大丈夫ですよ」
執事のコンラートも簡単な単語で慰めてくれる。
『ありがとう。そうだね』
簡単な言葉も日本語で話してしまう。
ヨーコはよろよろと歩きながら、エントランスに向かう。夕方フェリオンが来るからだ。
太陽が赤く染まる頃、彼はやって来た。夕日に染まる銀髪が、風に揺れた。
「ヨーコ」
心配そうに駆け寄ってくるフェリオン。
ヨーコは笑顔で迎えた。
『フェリオンいらっしゃい』
日本語でそう言った。
この程度ならどちらの言葉で言っても同じはずなのに、フェリオンは目ざとく気づいた。けれど、悲しい顔をしたきりで、何も言わなかった。
「早く来られなくてごめんね」
フェリオンは腕をヨーコに差し出しながら言った。ヨーコは素直に彼の腕に手を置き、階段を上る。
「ヨーコ。今日は少し話そう」
部屋に着くとフェリオンはソファにヨーコを座らせ、自身も横に座った。
ヨーコはフェリオンの腕に手をかけたままだった。
ヨーコは少し目をさ迷わせたが、フェリオンと目がかち合うと、小さく話した。
『………私、まだ難しい言葉を知らないの。だから、クロードが戦いに行くことしか分からなかった。みんな、大丈夫だよって、無事に帰ってくるよって言うの。でも、みんな、悲しそうな顔をするのよ』
ヨーコの伏せた瞳が揺れる。まつ毛がふるえた。
『知らないのが、怖いの』
「ヨーコ……」
フェリオンはヨーコの手を自身の手で包み込んだ。彼女が凍えそうな顔をしていたから。
「……じゃあ、今日は沢山話をしよう。君が、怖くなくなるまで」
顔を上げたヨーコに、フェリオンは優しく微笑んだ。
2人ゆっくり話し始めた。クララが紅茶とコーヒー、それに沢山お菓子を用意してくれた。
『クロードはこの国の人との戦いに行きましたか?』とヨーコが聞けば、
「いいえ」とフェリオンが返す。
『クロードは、外国との戦いに行きましたか?』
「いいえ。魔物と戦います」
「まもの?」
ヨーコの知らない言葉だ。
フェリオンは持ってきた資料を広げた。ヨーコにクロードの状況を教えるための図解だ。
「見て」
開くとそこには色々な魔物の姿が書いてあった。
ヨーコにはそれが、恐ろしい姿になった牛や兎や蛇に見えた。
『これが魔物?』
「はい」
『これが、沢山出たのね』
「そうだよ」
ヨーコはその絵をじっと見つめ、フェリオンの手をきゅっと握った。
『この魔物より、クロードの方が、つよい?』
「うん。強いよ」
フェリオンはヨーコの顔を見なかった。見たら、抱きしめてしまいそうだから。彼女の手はずっと強ばっていて、痛々しかった。
『クロード、必ず戻るって言ったのよ』
「うん」
『それって』
「うん」
『それって……戻れないかもって、事?』
「違うよ」
ヨーコは弾かれるようにフェリオンを見た。フェリオンの嘘を、暴くような眼差しだった。
フェリオンはヨーコの頬を優しく撫でた。
彼女は泣いていた。
「違うよ」
フェリオンは優しく、ゆっくりと言った。
ヨーコの唇が震える。
『本当?』
「うん」
『必ず帰ってくる? 』
「うん」
『元気に帰ってくる?』
「うん」
『じゃあ………いつ帰ってくるのかな』
フェリオンは答えなかった。
代わりに地図を広げた。
エルディフィア王国。この国の地図だ。
「ここが王都」
地面を指さしてから地図にその指を置く。
「ここがプルーヴィア」
指を地図の下にすーっと添わせ、止めた。そこは王都からずっと離れているように感じた。
『ぷるーびあ』
「プルーヴィア」
『ぷるーびぃあ』
ヨーコは上手く言えなかった。いつもなら可愛くて茶化す流れだが、今はその時ではない。
「馬で1週間の距離だよ」
ヨーコは頭を傾げる。フェリオンは地図上の王都とプルーヴィアを、指で行ったり来たりしてから、ヨーコに手のひらを見せ、1本ずつ指を折る。
「1、2、3、4、5、6、7」
『……7日?え、1週間もかかるの!?』
フェリオンは頷いた。
『じ、じゃあ、その魔物とは何日くらい戦う予定なの?』
フェリオンは唇をかんだ。目を伏せ、首を振る。
ヨーコはああ、と息を吐いた。
だから、あんな慌ただしいのにクロードは私と仲直りをしたんだ。
心残りを無くすために。
深いため息が漏れ、口を覆う。
そうとは知らず、「私の証」に噛み傷を選んでしまった。
あれでは目的地に着く前に治ってしまうにちがいない。
彼が戦いに身を置く時、私の何をも彼を助けたりはしないのだ。目の前が暗くなる。
『何も出来ない………』
「ヨーコ………」
フェリオンはヨーコの背をさすろうとしてとどまった。
あの白い羽のようなものは出ていない。
しかし不用意に触れて、また魔力を吸われてしまうと困る。
ノックの音が響き、コンラートが部屋に入ってきた。
「フェリオン様、お時間でございます」
「ああ、もうそんな時間」
フェリオンはため息を吐いて重々しく立ち上がった。
せっかくみひろが噂を払拭するために王に直訴してくれたのに、自分が長居してしまったら元も子もない。
「ヨーコ、明日も来るね」
ヨーコの頬を流れる涙をもう一度拭ってから、フェリオンは退室した。
せっかくクララが淹れてくれた飲み物はすっかり冷めてしまった。
―――――
ベッドの中。ヨーコは中々寝付けなかった。昨日も遅くまで起きていたのに目が冴えて眠れない。
フェリオンに会いたい。他の人ではクロードの仕事の内容はよく知らないようだったから。
早く明日が来て欲しいのに、眠れないから時計の針は遅々として進まない。
何度も寝返りを打つ。暗い部屋の中、クロードの姿がチラつく。
やけに距離が近くて、素直で明るくて、優しい人。
あんなに心が優しくて魔物を倒せるのかな。
フェリオンが見せてくれた魔物の絵を思い出す。
どれくらいの大きさなのだろう。沢山って、どれくらいいるんだろう。
言葉の壁がもどかしい。
もっと話せたら、クロードの事がもっとわかるのに。
体がもっと動けば、助けになれたかもしれないのに。
ううん、動けなくても、話せなくても、今ここにいてくれたら。
きっと彼を抱きしめた。それで何もかも伝わっただろう。
寝返りを打つ。
寝具の冷たい場所が、心を冷やす。
詮無いことばかり考えてしまう。
そしてふと、気づく。
目覚めてから初めてだわ。
ヨーコは今夜クロードと「おやすみ」を交わさない初めての夜を迎える。
目頭が熱くなる。
ヨーコは枕に顔を埋め、唇を開いた。
……でも、声は出なかった。




