46話 ヨーコをお願いします
「南方にてアルジェント公国に勝利した黒の騎士団は、アーディアン部隊長率いる三十名が王都への帰路、プルーヴィアにて“嘆きの沼”と遭遇。魔物と交戦中との報。
陛下との謁見の後、聖女みひろ様と共に速やかに現地へ向かえ」
「はっ!」
黒の騎士団詰所。
クラウス・ローゼンベルク副騎士団長の低い声に、クロードを筆頭に十二名の騎士が呼応した。
質素な石壁に、統率の取れた声が重く響く。
ローゼンベルクは神経質な細面に力を込めて頷いた。
いつも冷静な藍の瞳が、今日に限って揺れている。
「本来なら、南方戦勝を祝すべき日だ。だが“嘆きの沼”が発生した今、喜びに浸る暇はない。……五年前の地獄を、忘れた者はいまい」
誰も表情を変えなかったが、部屋の空気が一段重く沈む。
五年前、森に現れた“沼”から溢れた魔物が、近隣の村を喰い荒らした。
鎮圧に一年、沼が完全に消滅するまでさらに二年。
生き残った村々の復興は遅れ、国中が嘆きに覆われた。
あの森はいまだ死んだままだ。
「今回の先発隊は貴様らをおいて他にない。……覚悟を決めろ」
“嘆きの沼”では体内の魔力が削がれ、二度と戻らない。
魔法使いにとっては死地、騎士にとっても生身で挑む試練。
五年前、クロードもその地に立っていた。
魔力に頼らぬ“地力”を持つ者だけが選ばれた部隊――
沼を掃討するには核の破壊が絶対条件。だが、それには魔法使いが必要だった。
無力な彼らを守り、無数の魔物を斬り伏せながら中心部を目指す。
体も、心も、魂も削られる戦い。
「今回は聖女様の護衛が要だ。使命を全うせよ!」
「はっ!!」
声を張り上げた瞬間だけ、恐怖は影を潜める。
戦場では、己を鼓舞できぬ者が最初に死ぬ。
「頼んだぞ……」
ローゼンベルクの呟きは、祈りのように静かだった。
―――――
王城・謁見の間。
黒の騎士団は王エルディス・リューン、王太子アデルの御前にひざまずく。
左右には白の騎士団、背後には貴族院・軍幹部・魔法塔の重鎮たちが列をなす。
白いローブに身を包んだ聖女みひろが凛として、黒の騎士団を率いるように前に立った。
「黒の騎士団、クロード・ラングレイ以下十二名。
陛下の命により、聖女みひろ様をお護りし、嘆きの沼の掃討に向かいます!」
ローゼンベルクの声が響く。
王の金の瞳が一人一人を鋭く射抜いた。
「プルーヴィアは国の命脈。けして魔物に奪われてはならん。……期待しておる」
「はっ、必ずや」
頷いた王は、次にみひろへ視線を向けた。
「聖女みひろよ。危険な任務だ。覚悟はあるか」
みひろの肩が小さく震えたが、その瞳は真っ直ぐ王を見つめ返す。
髪に挿された銀と亜麻色の花が、光を受けて淡く瞬いた。
「はい、陛下。死力を尽くしてまいります」
「うむ。長期戦になる。王都を離れることに、何か思うところはあるか」
みひろはわずかに息を吸い、ちらりとリューディガーを見た。
彼がゆっくり瞬く。――みひろも同じように、静かに瞬いた。
「恐れながら、ひとつだけ」
「申せ」
「友人のヨーコ様のことが、気がかりでございます」
ざわ、と空気が動いた。
クロードの肩がぴくりと揺れる。なぜ今、その名を出す。
アデルの瞳も驚きに見開かれた。
会場全体が息を呑んだ。
「……ヨーコ? 知らぬ名だ」
エルディスの声は鋭く冷たかった。
貴族たちの間に、不穏なざわめきが広がる。
「ヨーコ様は、私の大切な友人でございます。
今はご病気により、クロード・ラングレイ様の邸で療養中なのです。
私と、魔法塔のフェリオン・スヴァルトハイム様とで治療にあたっておりますが……未だ快復の兆しが見えません」
クロードは息を止めた。
社交界に流れる“謎の令嬢”の噂――。
王の御前で、それを「公の存在」にするつもりか?
ヨーコに関する情報はすべて秘匿されてきた。
白の騎士が斬った正体不明の「渡り人」であるがゆえに。
その沈黙が、いつしか不名誉な噂へと変じていた。
みひろは、その誤解をこの場で断ち切ろうとしているのだ。
王は片手を上げ、ざわめきを制した。
「……余程、大切な友人なのだな。よかろう。余が憂いを晴らしてやろう。望みは何だ」
「ありがとうございます。
ならば、フェリオン・スヴァルトハイム様をヨーコ様の治療に専念させていただけないでしょうか」
空気が凍った。
みひろの額に汗が滲む。
王と聖女の視線が交錯する――長い沈黙。
「ふむ……なるほど」
エルディスは視線を魔法塔の塔主レオポルト・シュナイダーに移した。
「塔主、どう見る」
レオポルトは恭しく一礼した。
「聖女様のお心、まこと尊きもの。魔法塔としても全力で支援いたします。
スヴァルトハイムには、どうぞご自由にお命じください」
「だそうだ。……これで良いな」
みひろはぱっと花が咲いたように微笑んだ。
「ありがとうございます! これで、心置きなく出発できます。」
その礼は貴族的ではなく、まるで異国の少女のようだった。
だが、誰もそれを咎めなかった。
この国を救う聖女の言葉には、理屈を超えた力がある。
クロードは密かに息を吐いた。
見事だ。――公にヨーコを認めさせ、フェリオンの出入りを合法とした。
噂も封じ、治療も守る。
これ以上の布石はない。
「ラングレイ」
「はっ」
「翠焔の剣士も、これで心置きなく戦えるな」
「はっ。陛下のご期待、必ずや超えてみせます」
クロードは深く頭を垂れた。
左の小指、傷が疼く。
――“傷が治るまでに、帰ってきてね。”
あの約束を守るために。
王の期待を超える。
黒の騎士団は、地獄へ向かう。




