43話 ヨーコの夜
灯りを落とした部屋は真っ暗で、妙に心細い気持ちになる。
何度も何度も寝返りを打つ。ベッドの軋む音がやけに耳につく。
眠れない。
心臓がずっと体の奥で鳴っている。
まるで、鼓動だけが別の生き物みたいに騒いでいる。
――「嘘つき」
思わず口から出た言葉が、自分でも信じられないほど鋭かった。
クロードの、あの顔。
驚きでも怒りでもない。
絶望と、悲しみの混ざった表情が、焼き付いて離れない。
私が、嘘つきと言ってしまったから。
彼が、私に嘘をついていたから。
長い夜が、あの時の光景を私に何度も追体験させる。
彼は私を足の間に座らせ、お腹に手を回して童話を読み聞かせていた。
それをフェリオンが見て、呆れたように言った。
「それは治療でも学習でもない」
「この、二人でくっついている状態、好きで、やってるの?」
その瞬間、頭の中に鈍い音が響いた。
フェリオンの言葉の意味を、私は理解してしまったのだ。
ああ、そうか。
この国では、あれは“普通”ではなかったのだ。
顔が一瞬で熱くなった。
フェリオンを連れて、クロードの書斎から出る時。
廊下のひんやりとした空気の中で、これまでの“優しさ”が、全て“偽物”に変わっていくような気がした。
私を包んでいた安心が崩れ、知らない世界に放られたような、頼りない気持ちに足がすくんだ。
いつから、あんなに近づいてしまったんだろう。
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目覚めたばかりの頃、身体は鉛みたいに重くて、寝返りさえできなかった。
あの時、彼は言った。
「怪我をさせてしまった責任は、私にある」
あの時は聞き取れなかったけれど、何度も繰り返してくれた言葉が、今なら分かる。
毎朝、彼は「身体機能回復」と称して私を起こしに来た。
最初は、起き上がる手助けだけ。
背に手を添えられ、その温かさに支えてもらうたびに、安心していた。
痛みや疲れを堪える私を見て、彼はいつも優しく言った。
「無理はするな」
その声が胸の奥まで沁みて、気づいたら、いつも私は笑って頷いていた。
それが、最初の一歩だった。
そのうち。彼は手で背中を支えていたはずなのに、いつの間にか身を寄せ合うように抱き止められていた。
「支えないと倒れるから」
平然としているクロードに、私は「近いわ」と小さい声で返した。
随分密着するのだと恥ずかしく思っていると、それに気づいたクロードは「普通だよ」と笑った。
「騎士は寄り添うものだ」
彼の笑顔があんまり優しくて、私はそれを信じた。
汗を拭ってくれた指先。
息が乱れた私に差し出された水。
「頑張ったな、君は本当に健気だ」
その言葉を、私はまっすぐに受け取っていた。
この国の騎士は、なんて親切で熱心なのだろう――
そう信じていた。
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歩けるようになる頃には体力もついてきて、勉強の時間も増えた。
本を読むとき、私は隣に座り、彼が指で文字をなぞってくれた。
難しい単語を読み違えると、彼は笑って訂正し、私の背をさすった。
けれど、ある日。
彼は1番足の低いソファがあるからと、書斎へ私を連れて行った。確かに背の低いソファに腰を下ろしながら、彼は言った。
「落ちたら危ない。ここに座るといい」
私を、自分の足の間に座らせた。
そして童話を開き、物語を読み聞かせながら、私のお腹に手を回した。
私が単語につまずいて身体を揺らすと、その腕がわずかに強くなった。
胸の鼓動が背中から伝わってきて、妙に落ち着かない。
「分からない?」
彼の声が近い。
私は頬に熱を感じたけれど、頑張って無視をした。
分からない単語を指さすと、泣いている妖精の絵を指さして「涙を流しました」と教えてくれた。
「ありがとう」と言いつつ、内容が入ってこない。
これはクロードの優しさから来ている普通の行動なのに、意識してしまって恥ずかしいとさえ思った。
フェリオンが指摘したその瞬間まで、私は――過剰に思えるそれが、この国の「寄り添う文化」だと信じて疑わなかった。
メイドのクララさんにも尋ねていた。
「ああいうの、普通のことですか?」
彼女は微笑んで「はい」と答えた。
だから私は、納得していた。
まさか、その“はい”に別の意味があったなんて思いもしなかった。
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布団の中で、膝を抱えた。
彼の笑顔も、気遣いも、撫でる手も、全部――
「文化」でも「習慣」でもなかった。
あの後、クロードは何も言わなかった。
扉を閉める時、彼の顔を見た。
ただ、深く傷ついた顔で、私を見つめていた。
寝返りをうつ。
シーツの端がひんやりする。
―――私は、何に嘘をつかれたのだろう
彼は“責任”という言葉の影に、自分の感情を隠していた。
“護る”という言葉に隠れて、私と距離を縮めていた。
クロードの気遣いが伝わっていたのに。彼の笑顔が私の胸を打ったのに。触れてくる彼の事を「普通」とみんなが言うから。
私は私の本心を、その言葉の影に隠していた。
今だって隠してる。
だってフェリオンが言っていたもの。
「過保護」「お父さん」って。
嘘のないクロードの気持ちは、私の気持ちとは違うって気づいてしまったから。
心臓が、体の芯で鳴る。
「……嘘つきだわ」
小さく呟いたその言葉は、もうクロードに向けたものではなかった。
それは胸の奥の、自分自身に刺さっていた。




