表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/57

41話 解決しない

フェリオンは渡された文書を開いた。

それは――報告書だった。


記されているのは三つの名。


カレハ・アムナール。

リゼ・アデーレ。

そして、レオナルト・マクスウェル。


カレハとリゼに関しては、ヨーコ襲撃の件でフェリオン自身も調書を取っている。

だが、あのとき二人の言葉は支離滅裂で、まともな話は聞けなかった。


手元の調書には、黒髪の女に異様な執着を示す様が、克明に記されていた。

最初の数ページは怯えと憎悪に満ちている。

だが、ページをめくるたびに――文体が、語調が、変わっていく。


フェリオンは息を呑んだ。


「彼女が夢に出てきて赦すの。それが、嬉しいの」

「私が居ないといけないの。黒髪の渡り人様」

「俺のものだ。黒髪の、俺の聖女」



紙面の上の文字が、まるで熱を帯びて脈打っているように見えた。

指先が震え、調書が床に滑り落ちる。


――三人とも、気が触れ、投獄されたと記されていた。


「ち、父上……俺もこう……なるのですか」


青ざめた声に、リューディガーは静かに息を吐く。

その眼差しはまっすぐ息子を射抜いた。


「そうはなるまい」


短く、それでいて揺るぎのない断言だった。

ブルブルと震えるフェリオンに、リューディガーは珍しく穏やかな声音で言葉を続けた。


「あれらは黒い魔力を聖女に吸われ、飢餓状態となった。

それを知らぬまま、体内の魔力が彼女に引かれていることも気づかず――

求める理由の分からぬままに、心と体の均衡を崩したのだ。」


ゆっくりと近づいたリューディガーは、フェリオンの頭にそっと手を置いた。

大きな掌の温もりが、奇妙に現実的だった。


「フェリオン。だからお前は、調書のようにはならぬ」


「……父上」


涙が滲むのを、フェリオンは奥歯を噛んで堪えた。

まさか父の手が、自分の心を救う日が来ようとは。


「……これは、議会には?」


震える声で問う。

ヨーコはまだクロード邸から出られぬが、やがて回復し、外に出るだろう。

彼女の存在――“黒の聖女”としての在り方は、あまりに危うい。


魔法塔の幹部として知られるリューディガー・スヴァルトハイムは、

無表情の奥でわずかに冷笑を含ませ、静かに唇を歪めた。


「前から言っているだろう。

魔力の善し悪しも分からぬ者に話してどうする。――戯言にしか聞こえまいよ。」


低く、確信に満ちた声。

フェリオンは小さく頷いた。


魔力など、多くの者にとっては“多いか少ないか”の指標にすぎない。

“濁り”を見通す目を持つのは、今のこの国ではスヴァルトハイムだけだ。

リューディガーは誰よりも厳密に、正確に、魔力の性質を識別できる観察者だ。


それを知らなければ、この書の意味も、「黒の聖女」の本質も、

ただの伝承や寓話として葬られるだろう。


「では、父上は誰にも話さず……?」


「そうだ。だが――お前までそうする必要はない。」


フェリオンは息を詰めた。

クロードとみひろには、“黒い魔力が見える”話をしている。

このことも、話すべきだろうか。

だが、どこまで語ればいい?


「黒の渡り人に“溺れない”ためには、己を知り、理解せねばならん。

……それが、できるか?」


父の声が、深く胸に響く。

フェリオンは机上の古文書に目を落とした。

指先で「黒の聖女」の文字をなぞる。掌にじっとりと汗が滲んだ。


黒の聖女――いや、「彼女」は。

自分が惹かれているのは感情なのか、それとも――


分からないままでは、いられない。

彼女に溺れていたことを、自覚しなければ。


「……考える時間をください」


それだけ言い残し、フェリオンは古文書を胸に抱えたまま部屋を後にした。

リューディガーは黙ってその背を見送り、瞼を静かに伏せた。


―――――


フェリオンは自室のソファに身を投げ出した。

腕を広げ、天井を見上げる。


「……俺は、惹かれていたんだよな」


誰にともなく呟く。

自分でも気づいていた。

ヨーコに。みひろに。

けれど、それは本当に“恋”だったのか?


魔力の流れに触れるほど、心の奥から“欲”が生まれる。

理屈ではなく、本能が引き寄せられる。

そのことを、ようやく理解した。


けれど――


「でも……それだけじゃなかったって、分かる。」


彼女たちの笑顔。

小さな悩み。

不器用に真面目な仕草。


そこに宿るものは、単なる魔力の共鳴ではない。


敬愛。

思慕。

慈愛。


それは確かに、自分の心が生んだものだった。

もし魔力が“炎”なら、最初に灯った“火種”は、自分の感情だ。

燃え方が激しすぎたとしても――それが偽物だったとは、もう思わない。

あの文書が。

そして、スヴァルトハイムの血が。


俺を、救ってくれた。


「……もう惑わされない」


フェリオンは静かに呟く。

胸に抱いた黒革の表紙をそっと閉じ、深く息を吸い込んだ。


立ち上がると、その瞳には――

静かで、揺るぎない決意が宿っていた。




―――――



フェリオンは緩慢に意識を取り戻した。


どれほど眠っていたのだろう。

ヨーコの背に触れた途端、全身の魔力が一気に持っていかれた、あの感覚。


寝起きのぼんやりした頭で思考していると、ヨーコが顔を覗き込んできた。


「おはよう、フェリオン」


自分の身を案じる彼女の優しさに、昨夜胸に刻んだはずの理性の決意が、もう揺らぎ始める。


これは恋なのか?

それとも……違う。わからない。だからこそ、今日、この感情の正体を確かめに来たのだ。

「黒い聖女」の核心的な話も、クロードにしておかねばならないのに。


「大丈夫だよ」


そうは言ったものの、体内に染み入った黒い魔力のせいで最悪の気分だ。

ひと月以上、純粋な白い魔力しか取り込んでいなかった身体は、この異質な魔力に慣れていない。


フェリオンはぼんやりとした視界の中で、自分の置かれた状況に気づき、思わず声を上げそうになった。


彼は床に寝ていた。

そして、ヨーコの膝枕で。


「あ、ごめんなさい。運べなかった」


フェリオンの動揺を察してヨーコは慌てて謝った。

身体にかけられているのは、ヨーコの毛布だ。


フェリオンは毛布をぎゅっと握りしめ、一度目を閉じた。


だめだ。


今から、理性を試される時間が始まる。


フェリオンは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。自分を鎮めるために。


「毛布ありがとう。もう大丈夫だよ」


そう言って、彼は静かに起き上がる。ヨーコの周囲に満ちたのと同濃度の黒い魔力が体内で揺れている。こんな汚れた魔力でも、魔力切れの飢餓状態よりはマシだ。


問題は、ヨーコと密着していたことだ。


体内の黒い魔力が、どんどん抜けていく。昨日文書を読んだからすぐ分かった―――飢餓状態に陥っている。クラクラするのに、得も言われぬ心地よさがある。

それと理解して神経を集中するとよく分かる。黒い魔力が体から抜ける感覚は、純粋に気持ちがいい。これは、極めて危険な感覚だ。


そして、普通にヨーコの膝枕にドキドキする。


「足、痛くなかった?枕でも良かったのに」


フェリオンが振り返って笑うと、ヨーコは頬を少し赤くした。


「枕を貸す、事、恥ずかしい」


膝枕は恥ずかしくないのか。

彼は軽く目眩を覚えた。


ヨーコは恥じらって手の甲で口元を隠し、俯いた。

背中にはもう、あの羽根のような白い光はなかった。見間違いだったのだろうか。


その仕草が可愛らしくて、フェリオンはヨーコの顔を覗き込み、ほっぺをそっと突いた。


「……もう」


彼女が目を細めて、自分の頬を押さえる。


『いじわるな顔したわよ、フェリオン』


恥ずかしそうに、母国語で流暢に話す彼女は、急に大人びた感じがしてフェリオンの胸を突いた。


「うん。ちょっとね。反省してます」


仕方ない人と笑う彼女の指が、そっとこちらの指先を包む。もう一方の手が、彼の頬を優しくさする。

その手の温かさに、心まで掴まれる。


内に秘めた思いが、暴れそうになる。


「顔色、いいね。今日は、もう帰ろうね」


違う、これは……。恋なんかじゃない。ただ守りたいだけ。癒されたいだけ。……なのに。


「ごめん」


そう言うと、彼女はゆっくり首を振った。


「だいじょうぶ。フェリオン、やさしいよ」


「……それは、ヨーコが優しい、から」


「いつも、ありがと。フェリオン、きもち、あたたかいよ」


にっこりと、彼女は笑顔を見せた。

それだけで、全身が満たされる気がした。


きっと。


この気持ちは、恋なんかじゃない——

恋じゃ、無いのに。


名前の無い温かい気持ちに、胸が苦しくなる。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ