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40話 フェリオンの家の話


フェリオンはヨーコの腕を支えながら、二人で長い廊下を歩いた。

この沈黙が、こんなにも長く感じられるのは初めてだった。


ヨーコはいま、どんな顔をしているのだろう。

思わず横顔を覗き込みそうになるのを、彼はぐっと堪える。


クロードの過剰な触れ合いを、ヨーコが“この世界の普通”として受け入れていた――

それが、どうしても引っかかっていた。

彼女の国では距離感が違うのだと、自分に言い聞かせてきたのに。

思わず非難してしまったのは、きっと嫉妬だ。

それに気づくと同時に、胸の奥が痛んだ。


(……俺も、気をつけたほうがいいのかもしれないな)


そう思った瞬間、すぐに答えが出る。

いや、無理。

フェリオンはヨーコに悟られぬよう、小さく肩を竦めた。


本当は今日、話したいことがあったのに。

この空気では、無理そうだ。


「さ、着きましたよ、お嬢様」


寝室の扉を静かに開くと、ヨーコが小さく顔を上げた。

「あ、ありがとうフェリオン。ごめんね」


その声音のいじらしさに、胸の奥がほどける。

彼はつい、いつもの調子で微笑んだ。


「いいよ。診察がてら、先生が愚痴を聞いてあげよう。――ほら、中へ」


軽口を交わしながら、つい頭を撫でてしまう。

癖のように。

結局、触れずにはいられなかった。


だがヨーコは、怒るでもなくそのまま彼を見上げた。

どうやら、怒りの矛先は“触れたこと”ではなく、“嘘をつかれたこと”にあるらしい。


部屋に入っていくヨーコの背を、フェリオンは何気なく目で追った。

その瞬間――彼の視界に、白い光がふわりと揺れた。


(……羽根?)


思わず目を凝らす。

ヨーコの背に、確かに白いものが見えた。

次の瞬間、彼女の身体がふらりと傾ぐ。


「ヨーコ!」


反射的に背を支えた瞬間、フェリオンの全身を重力が押し潰した。

視界が揺れ、膝が砕ける。


「フェリオン!?だ、誰か、」

ヨーコが慌ててしゃがみ込み、肩を支える。

フェリオンの顔は真っ青に染まっていた。


「……平気。呼ばないで」

床に手をつきながら、かすれた声でそれだけを言う。

あんな風に書斎を飛び出した彼女に、誰かを呼ばせたくなかった。


「でも――」

「それより、ヨーコの背中……」


「背中?」

振り返ろうとしたヨーコの腕の中で、フェリオンはようやく理解した。


――ああ、どうして。

これ、魔力切れ、だ。


意識が、音もなく暗転していった。



---


フェリオンは、夢を見た。

昨夜、父と交わしたあの話の続きのような夢だった。



「さて。塔での不始末なら、心当たりがあるような、ないような……?」


書斎に呼び出された時と同じように、軽口で場を繕う。

だがリューディガーの眼差しは冗談を許さない。


「冗談はいい。……お前のその魔力についてだが」


その声は冷ややかで、そしてどこまでも正確だった。

フェリオンは静かに息を吸う。


「……やはり、気づかれていましたか」


召喚の儀以来、彼はヨーコとみひろ、両方に触れてきた。

ヨーコには魔力を注ぎ、みひろには白い魔力を分けてもらう。

それを続ければ、自身の中に極めて純度の高い光が満ちるのは当然のことだった。


「今のお前の魔力は、危うい純度に達している」

「……承知しています。制御はできています」

「それが最も危険なのだ」


叱責ではなかった。

ただ、見透かすような静けさだけがあった。


「お前は、溺れているな」


その一言が、胸の奥に突き刺さる。

フェリオンは思わず目を伏せた。


(……俺が、溺れている?)


父の言葉の意味を測りかねて、思考が鈍る。

純度の高い魔力は、確かに燃費が良い。

だが、それ以上に――それは、心を侵す。


慢心するなと釘をさされた?


フェリオンは笑ってみせた。

「ご心配なく。ちゃんと弁えています。……この通り、小心者ですのでね」


だがその笑みを、リューディガーは受け流した。

「そうか。では、その《黒のお前の聖女》とやらの話だが」


「っ――どこでその話を!」


耳まで熱くなった。


“私の”聖女という呼び方は、恋人への呼称にも使われる、甘い言葉だ。

父がそれを持ち出すなんて、悪意が過ぎる。


しかし、リューディガーの表情は笑っていなかった。


フェリオンはハッとする。


「溺れている」とは慢心ではなく―――彼女に?



「……初め聞いた時はなんという慧眼かと驚いたものだが」


「……なんですか、息子の恋をおちょくって楽しむ趣味が閣下にあるとは驚きですよ」


精一杯の反撃。……なのに、軽く流される。


話しの筋が見えない。いつもの父の話し方に、今日もフェリオンは置き去りにされている。



「ここに、スヴァルトハイム家の“聖女”に関する機密文書がある」


黒革の装丁に封印が施された一冊を、父は静かに取り出した。

フェリオンの喉がごくりと鳴る。


「……それ、当主しか開けないはずでは?」

「継ぐつもりがあるなら、いずれ知る。だが、今は待てん。お前の“状態”を説明するには、これを紐解くほかない」


封印が解かれる音が、やけに大きく響いた。



---


《白と黒の聖女》


『白の聖女、天の光のもとに降り立ち、万物に悦びを与えるものなり。

これを見れば心躍り、触れれば魂たゆたう。

願えば応える。

理性のうちに好まれ、讃えられる、美と恵みの具現なり。


黒の聖女、黄昏の影より訪れ、命に深き静けさを与えるものなり。

目を逸らせど、その影は心に差し込む。

疲れ、悩み、傷つきし者は、気づかぬうちにそこへ辿る。

抱かれたなら、眠るように安らぎ、思考も痛みも手放す。


抗えど惹かれ、選ばずとも傾く。

それは愛や欲望に非ず。

本能が告げる――ここに在れと。


白は選ばれる。黒は抗えぬ。

白が“祝福”なら、黒は“終息”。

これは、生命の表と裏。

心の朝と、魂の夜。

並び立ち、交わらず、されど人は両方を知る。』



---


フェリオンは息を呑んだ。


あまりにも、自分の感覚に近かった。

ヨーコ――いや、“黒の渡り人”。

彼女に触れるたび、何かが浄化され、何かが削がれていった。

赦しと沈黙。

癒しと依存。

その境界を見失いかけていた。


白の聖女を前に感じた歓喜。

黒の聖女に抱かれた時の安寧。

それらが一冊の記録に重なる。


(……これが、俺の感じたものの正体なのか)


「お前が報告書に記さなかったのは、つまりそういうことだろう」

リューディガーの声が静かに落ちる。

フェリオンは報告書に彼女との蜜月の内容を書いていなかった。秘密にしておきたかったあの堕ちていくような日々が、恥ずかしいことにリューディガーにはお見通しだったのだ。


「この記述はお前の状態と一致している。……黒の渡り人が“黒の聖女”で間違いあるまい」


フェリオンは青ざめた顔で父を見上げた。

リューディガーは何も言わず、その視線を受け止めた。


それはまるで――

未来のフェリオン自身を見透かしているかのようだった。


「こちらの書類にも目を通しなさい」


差し出された文書を、震える手で受け取る。

軽い。

それが、恐ろしかった。


(この先に、俺は何を見るんだ――)


フェリオンは唇を噛み、息を止めた。




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