37話 ふりだし
クロードとフェリオンは、みひろの呼びかけで客間へと戻った。
扉を開けると、寝台に座るヨーコが、膝の上で手をぎゅっと握りしめていた。
隣にいるみひろは穏やかに微笑み、二人に視線で促す。
「――あのね、話せるけど、聞き取れないんだって」
みひろの言葉に、フェリオンが眉を上げる。クロードも彼女の隣へ腰を下ろしながら目を細めた。
「……どういう意味かな?」
フェリオンが問い返すと、みひろは少し困ったように肩を竦めた。
「だから、自分は自分の国の言葉で話してるつもりなのに伝わってて、でもこっちの言葉は聞き取れないんだって。不思議だよね。同じように口を動かしてるのに、違う言語みたいに聞こえるらしいの」
一斉にヨーコへと向けられる視線に、彼女はビクリと肩を震わせた。小さな声でぽつりとこぼす。
「……自分でも理由は分からないの。私の言ってること、通じてるなって感じはあるんだけど……皆さんの言葉が、頭に入ってこなくて」
視線を落とし、申し訳なさそうに唇を噛む。
「上手く説明出来ないから、言い出せなくて……ごめんなさい」
静寂が降りた。
クロードとフェリオンは言葉もなく顔を見合わせ、呆然と立ち尽くす。
「ねぇ、その顔……振り出しに戻ったみたいな顔、やめて」
みひろが手で陰気さを払う。彼女の冗談に、どちらともつかない呻きが返された。
「私が通訳するから、しばらく通ってあげる」
ふふんと鼻を鳴らし、みひろは得意げに胸を張る。
「随分誇らしげだな?」
クロードが鋭く睨むが、彼女は軽やかに受け流した。
そのときだった。ヨーコが、ベッド際の男二人の手をきゅっと握った。
「……早く言わなくて、ごめんなさい。頑張って、覚えるから」
彼女の健気さ、触れられた所から伝わる熱、上目遣い。クロードとフェリオンは固まる。
口を開くことすら忘れたように。
「……起きても人たらしだわ……」
みひろは小さく溜息をついた。
その口元には、どこか嬉しそうな、しかし複雑な笑みが浮かんでいた。
―――
それからみひろはヨーコとたくさん話した。元の世界の話。ここでの生活。国のこと。聖女のこと。ヨーコが隠されていること。
「私は薬莱ヨーコ」
ヨーコはベッドの上でぺこりと挨拶した。
彼女の話はわずかだった。当然だ。みひろと同じ日にこちらへ来たけれど、彼女はずっと眠っていたのだから。
「困ったことがあったらなんでも言って。すぐに駆けつける」
みひろはヨーコの手を強く握り、「でも、なんにもなくても来るけど」と笑った。
その言葉は力強く、ヨーコの心を暖かく満たした。
扉の向こうで、男二人の声が途切れるのを聞いた。
彼らはこの10日間の浮かれた夢から覚め、廊下で落ち込んでいる所だったのだ。
彼らはいつまでああやっているつもりなのか。みひろはため息をついた。
「ちょっと行ってくるね」
みひろは断りを入れると椅子から立ち上がり、窓から差し込む光を眩しそうに眺めるヨーコの横顔をちらりと見る。もう太陽があんなに傾いている。
みひろはヨーコに小さく笑って、部屋を出た。
廊下の先で鬱々としているクロードとフェリオンの背中は、どちらもひどく重たそうだった。
近づくと、クロードの低い声が耳に届く。
「……守ると誓ったのに……あの子の不安に、十日も気づけなかった」
胸がきゅっと締め付けられる。
みひろはため息を飲み込み、二人の間にすっと入った。
「ねえ、懺悔してる場合じゃないよ」
二人が揃ってこちらを見る。
その顔があまりにも深刻すぎて、みひろは少しだけ肩をすくめた。
「さっき、ヨーコちゃんに手を握られて、『頑張るね』って言われたでしょ」
その瞬間を思い出すと、胸の奥があたたかくなる。
握られた指の感触が、まだしっかり残っている。
「ヨーコちゃんは、ちゃんと前を向こうとしてる。だから……支えればいいじゃない。言葉が通じないなら、彼女が勉強すればいい。今彼女が困ってるなら、彼女の言葉は分かるんだから、話してもらえばいいの。ヨーコちゃんはもう起きてるんだから」
みひろは二人を見回し、にこりと笑った。
その笑顔は、あえて少し強がりを混ぜたものだった。
「今まで気づけなかったっていうなら、これから先は十倍、いや百倍くらい気をつけてあげてよ。
そういう人がいると、すごく安心するんだから」
クロードは唇を引き結び、ほんの少しだけうつむいた。
フェリオンも視線を逸らしながら、短く息を吐く。
けれどその背中からは、先ほどまでの底冷えするような気配は少し和らいでいた。




