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33話 ねおき


〈 クロード・フェリオン 〉



「……私は、ヨーコ」


 その声に、クロードの肩が小さく震えた。

 何度も、何十回も、眠り続ける彼女の唇から零れた声。夢のように繰り返された夜の記憶——けれど、今は違う。

 その黒い瞳が、はっきりと自分を見ている。生きて、呼吸して、確かにここにいる。


「……ヨーコ。それが、君の名なのか」


 かすれた声でそう呟くと、喉の奥が熱くなった。込み上げる感情に、言葉が続かない。

 安堵と歓喜と愛しさがないまぜになり、目尻からひとすじ、涙がこぼれる。


「……戻ってきてくれて、ありがとう」


 震える手でそっと頬に触れる。温かい。やっと、失われた温もりをこの手に取り戻した。


 ヨーコはまだ夢を引きずるような儚い表情で微笑むと、ぼんやりと彼を見つめた。


「……あなた、クロじゃないの?」


 その一言に、クロードは息を呑んだ。

 自分の胸の奥で、何かが強く鳴る。


 ヨーコはゆるく手を伸ばし、クロードの髪を指先で撫でた。


「……似てるの。目が……すごく、似てる」


 それは、彼女の別の世界の記憶にいる、小さな神の姿。温かく寄り添ってくれた存在。

 クロードはそれを知らない。ただ、その言葉がなぜか離れなかった。


「……俺はクロード。君を守ると誓った騎士だ」


 名乗ると、ヨーコはまばたきし、ふわりと笑う。


「クロー…………」


 名前を確かめるように繰り返す声は、どこか寝言めいている。


「奇跡だ……」

 フェリオンが小さく呟き、震える指で寝台の端を握った。

 クロードが促すように目を向けると、フェリオンはそっと身を屈め、ヨーコを覗き込む。


「ヨーコ。私の声、聞こえるか?」


 ヨーコはしばらくじっと彼を見つめ、ぽつりと言った。


「……すごい、きれい」


 フェリオンは一瞬きょとんとしたあと、小さく笑って肩を揺らす。


「ふふ……またそれを言うんだね」


 ヨーコも微笑み、まぶたを閉じた。再び眠りにつくが、その寝顔はもう昏睡のそれではない。

 浅く、静かに、安心して眠る人の呼吸——。


 月明かりが部屋を照らす中、クロードとフェリオンは黙って彼女の傍に座っていた。

 失われた灯が、再びともった夜だった。



---



〈 ヨーコ 〉


目が覚めたとき、まだ夢の中にいるのかと思った。


ぼんやりと霞む視界の先で、ヨーコを抱き上げるように支えていた人がいた。温かくて、大きな手。ゆっくりと瞬きをして、その顔を見上げる。


「……誰?」


声は、ちゃんと出た。


その人は、驚いたように目を見開いて、それからほっとしたように微笑んだ。


「―――、クロ―――」


クロ……。

そう名乗った彼に、彼女はつられるようにふわりと笑って、


「……私は、ヨーコよ」


と、思わず口にしていた。


ふたりで顔を見合わせて微笑んだあの瞬間は、きっと、夢の中の続きだったんだと思う。


というのが、多分昨日のことだ。



でも翌朝、ヨーコはようやく気がついた。


――言葉が、通じていない。


あのときは、夢心地でぼんやりと聞き流していたけれど、今しっかり耳を澄ませてみても、彼の言葉はまるで外国語。どこの国の言葉かさえも分からない。


昨日の大柄な彼が、「クロ」とだけ発していたのはかろうじて聞き取れた。きっと、彼の名前なのだろう。ならば、自分の名乗りも伝わっていたのかもしれない。


……と思っていたら、彼はやってきた。


朝の光に照らされながら、昨日とはまるで別人のように清潔感のある姿で、まるで騎士様みたいな格好をしている。よく見たら、整った顔立ちで、昨日よりもずっとかっこよく見える。


彼はヨーコの顔を見て、またあの優しい笑みを浮かべながら、何か話しかけてくる。


けれど――わからない。


本当に、ほとんど何を言っているのか分からない。


申し訳なくなって、とりあえず笑ってみせた。

すると彼の顔が、ふっとぎこちなくなり、声もどんどん小さくなっていく。


そんなに小声にされても……こっちは大声でも分からないのに……


と思っているうちに、彼は気まずそうに手を振り、部屋を出て行ってしまった。


ぽつんと取り残されたヨーコは、ゆっくりと体を起こそうとして――すぐに後悔した。


肩は痛くない。きっと、もう治っているのだろう。

でも、体が重い。胸がざわざわする。


……うん、身体がなまってる。なまりきってる。


自分がどれくらい寝ていたのかは分からない。でも、この身体の違和感が、彼女の時間が止まっていた証拠のようだった。


肩を抱いて、小さく息をついた。


――もしかして、さっきの彼は、そのことを気遣って声をかけてくれたのかもしれない。


そう思ったら、どこか心細かった胸の奥に、ほんのりとしたあたたかさが広がった。


「クロ」


そう名乗った彼の優しい声と笑顔を思い出しながら、ヨーコはもう一度、ゆっくりと目を閉じた。






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