表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/57

31話 肉球の救済

クロードは絶望していた。

圧迫して止血しても、渡り人の体からは、温かくて重い血がじわじわと流れ続けていた。

傷の場所は悪くない。なのにどうして―――血が止まらない。

いくら騎士としての経験があっても、戦場で幾度も負傷者を抱えてきたとしても、今だけは、知識も技術も何の役にも立たなかった。


「フェリオン……! 早く来い!」

声がかすれていた。必死に大声を張り上げているつもりなのに、震える喉がそれを拒む。

抱きかかえた彼女の体温が、確実に奪われていく感覚だけが、容赦なくクロードの心臓を締め付ける。

その温もりを失えば――もう二度と取り戻せないと、理解してしまうから。


背後では、数人の騎士がカレハを押さえつけ、部屋から引きずり出していった。

あの女が何を喚こうが、今はどうでもいい。クロードの視界には、ただ一人の女しか映っていなかった。


――彼女を失うわけにはいかない。


荒い足音が近づき、フェリオンが飛び込んできた。

額に張り付いた銀髪が汗で濡れて光っていた。肩で息をし、目だけは強い光を放っている。


「見せて!」


短い言葉に、全てを託すしかない。クロードはゆっくりと、しかし震える手で彼女を横たえた。


真っ赤に染まった夜着が視界に広がると、フェリオンの表情が一瞬だけ凍り付く。


――なぜ、この子ばかり。


心の奥底で怒りが噴き上がる。

この世界で何をしたというのか。誰を傷つけたというのか。

それでもなお、彼女はただ、優しく生きていただけなのに。


「……くそっ」


止血している布を取る。

深く刻まれた傷口が露わになり、血がドロリと溢れる。

フェリオンはすぐさま、白い魔力を精製した。研ぎ澄まされた純白の光は、彼が聖女に会って以来、さらに純度を上げていた。

魔法で水の玉を作って傷口を洗い流す。


これなら、すぐにでも塞げるはずだ――そう信じて、傷口に魔力を添わせたその瞬間。


「……っ!?」


白は、一瞬で漆黒に染まった。


「どうした!?」


クロードの低い声が鋭く響く。

フェリオンの指先が僅かに震え、青ざめた顔で息を呑んだ。

傷口に指を当て、そこから糸くずみたいな黒いものを引っ張り出した。


「……呪いだ」


その一言が、室内の空気を一気に凍らせた。


呪いは魔法使いの専門外。

解かれるまで、癒しの魔法は一切流れない。

つまり――このままでは。


「……何とか、やってみる」


自分に言い聞かせるように口にしたが、フェリオンは呪いを解いた経験がない。

それでもやるしかなかった。この国には解呪専門の魔法使いはいないのだから。


目を凝らすと、傷の奥に細く絡み合った黒い魔力の糸が見える。

その一本一本を解きほぐすように、慎重に指先の魔力で触れていく。

時間がかかる――その間にも、彼女の命は失われていく。


「……っくそ……!」


思わず息が乱れる。悔しい。

手の届く距離にいるのに、何一つ救えない自分が、ただの無力な人間に思えてならなかった。


クロードは、その涙を初めて見た。

フェリオンが泣くほどの絶望――それは、もう手遅れに近い証だった。


「フェリ……」

クロードは友の肩に手を置こうとして、そこで異変に気づく。



―――――水だ。



彼女の中から、透明な水があふれ出している。

2人が唖然とする間に、その水は彼女の全身を優しく包み込み、そのまま留まった。


彼女は完全に水の中だが、苦しい素振りは見せていない。

もしや、もう……。

「フェリオン! これは……これは何だ!?」


クロードが焦燥を顕に渡り人に手を伸ばす。

フェリオンはその腕をさっと制した。


「静かに」


フェリオンは彼女の奥の空間を見ていた。クロードも視線を移す。

そこは寝台のすぐ奥の空間。

そこだけ、雨がシトシトと降っている。


窓も空いてない。そもそも雲もない。当たり前だ。部屋の中だ。


信じられないものを前に、2人は動けずにいると、雨水が人の形を作った。

二人とも息をのんだ。それは、教会の教えにある水の神の形をしていた。


神はちらりと2人を見たが、すぐに渡り人に視線を移すと、言葉をかけた。



――私の愛し子


――世界の調和を保つものよ



声ではなかった。しかし言葉が頭の芯に染み入るような、不思議な感覚。


言葉が止むと、水の神は形を変えた。


黒猫だ。


「くろ、ねこ」


フェリオンが思わず口を割る。その言葉に、クロードはぎくりとした。


クロ……ね、こ?



おそらくオスの成猫だ。大きさが彼女の胴体くらいある。しっぽはしなやかで長い。

黒猫は水に包まれている渡り人の胸の上にひょいと乗った。


「あっ」


大の男2人がおろおろする中、黒猫は彼女の傷口をざりざりと舐めた。

ざらざらした舌に、呪いが絡め取られた。

フェリオンは絶句した。

「ぅそだろ……」


傷口の呪いを舐めとると、黒猫は伸びをして、今度は傷口をテンポよく踏み始めた。


ふみふみふみふみふみふみふみふみ…………


「ぁあっ!傷口をそんなっ」


クロードは思わず手を伸ばしかけるが、神の所業を止められず、その手は空を掴んだ。


肉球が傷を踏むと、みるみるうちに傷は塞がった。


「こんな奇跡…………」


自分たちは今、何を見せられているんだろう。


こんな、デタラメな、神の御業。


傷口がすっかり塞がると、彼女を包んでいた水が勢いよく流れた。寝台が、床が、脇にいたクロードとフェリオンもビショビショになった。



黒猫はゴロゴロと喉を鳴らし、彼女の顎に頭をグイグイと押し付けた。

彼女がの眉根が寄った。

「うう、ん」


2人は刮目した。彼女が――――――。


「よしよし、いい子ね」


黒猫を撫でた。


あ、ああ…………これは。


震える2人の脳裏に彼女との甘い時間が蘇る。

それが今、目の前で起こっている。


黒猫が彼女の頬を舐める。眠ったまま、彼女はふふっと笑って。

「んん、偉いね」猫の顔を撫で回した。


黒猫はもう一度伸びをすると、くるりと向きを変え、彼女のお腹の中に消えるように入っていった。


後には――びしょ濡れで、傷一つない彼女だけが残されていた。


クロードとフェリオンは情報量が多すぎてパンクした。



「……とりあえず、濡れたままはマズイ」


「そう、だな。部屋を変えよう」


クロードは彼女をタオルで包んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ