28話 ヨーコを斬った奴のヤバい婚約者
私はカレハ。もう少ししたら、カレハ・マクシミリアン伯爵夫人になるの。
あの人を初めて見た日のことは、今でもよく覚えている。
私たちはまだ学生だった。
陽の光を背に立つ、その背筋のまっすぐなこと。淡く、金褐色の髪が空気を切り裂くように揺れ、振り返った横顔に息を呑んだ。
高潔。
まるで本に出てくる騎士のよう。
あの人の名前を知れた時、胸の奥が甘く熱くなるのを感じた。
マクシミリアン様。
私の心にあたたかい火を灯してくれた人。
……あの頃はまだ、母と小さな家で暮らしていた。
父は伯爵。母は父の妻ではない。ただの外国人の愛人。
政略に使える年齢になった瞬間、私は強引に父の屋敷へと引き取られた。
母が付けてくれた「カレハ」という名前。それは、すぐに私を庶子だと知らしめる烙印になった。
食堂の空気はいつも冷たく、兄姉たちの笑いは私を刺した。
そんな日々の中、学園で出会った彼の背中だけが私を救った。
きっと、私の生きる意味は彼になる——そう信じた。
数年後、突然告げられた婚約の話。
あのマクシミリアン伯爵が、私を彼の婚約者に据えると。
耳を疑った。
高嶺の花と思っていた彼と、正式に結ばれる日が来るなんて——夢のようだった。
でも彼は淡々と、「このことは誰にも言うな」と言った。
親友にだけでも話したいと頼んだ。学園に入る前からの大事な友達だから。
でも許しては貰えなかった。
理由も教えてはくれなかった。
少し、胸が痛んだ。けれどきっと……立場のある人だから。まだ公にできない事情があるのだろう、と自分を慰めた。
そして彼は、最年少で召喚の儀に参加すると聞いた。
誇らしかった。
世界を救う儀式に彼が選ばれる——私の婚約者が。
きっとその輝かしい姿は、神々すら祝福する。
……それからだった。
理由もなく、私は邸に留め置かれた。
「安全のため」とだけ言われ、外出も面会も禁じられた。
あの人に会えない。
会いたい。
二週間以上、何も知らされないまま過ぎた。
偉い騎士の邸で働いてるメイドになにか知らないか聞いたけれど、曖昧にはぐらかされた。
夜になると、薄暗い廊下の先に彼の声が聞こえる気がした。
夢の中で呼ばれる。
「僕のところへ来て」
だから私は、何度も目を覚まし、何度も扉に手をかけた。何度もドアノブを捻ってみたけどガチャガチャと煩いだけで、開くことはなかった。
二十日目の朝、やっと許可が下りた。
面会できると知った瞬間、心臓が跳ねた。
やっと会える。やっと……。
現場の警備は緩かった。
牢へ続く廊下を歩く足音が、妙に響く。
扉の向こうに、あの人がいる。
会いたくて、喉の奥がきゅうっと詰まる。
そして——。
暗がりの中、彼は座っていた。
痩せたように見える。でも、その眼差しだけは昔と同じ光を宿していた。
私を見るなり、彼はゆっくり立ち上がり、鉄格子越しに腕を伸ばす。
細い指が、私の肩を掴んだ。
「……会いに、来てくれた」
その声音は、まるで泣き出しそうで——でも甘く、耳の奥を溶かす。
牢の中は暗かったのに、私の髪も瞳も、ちゃんと見えたのだろう。
彼は微笑んで言った。
「僕の……聖女」
胸が焼けるように熱くなった。
涙が溢れて、視界が揺れる。
——私が、この人の聖女。
やっと、やっと認められた。
その瞬間、私は決めた。
この人をこんな場所に閉じ込めた者たちを許さない。
たとえ、誰であろうと。




