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27話 ヨーコを斬った奴の話

レオナルト・マクシミリアンは、あの黒髪の女の瞳を思い出さないようにしていた。


……はずだった。


あの日、衝動的に剣を振るった瞬間の感触は、何度も夢に再生される。


刀身が肉を裂く感触、血飛沫が自分の頬や首に飛び、温かく肌を伝った時の匂い。


その瞬間自分を捉えた彼女の、漆黒の瞳。


行動の理由は簡単だ。黒の魔女は災厄の徴。だから斬った。それだけのこと。


――そう言い聞かせれば、罪悪感など感じずに済むはずだった。


しかし、牢に閉じ込められた静寂は、己の心の奥底を容赦なく掻き乱した。


何もない石壁。

湿った藁。

水の滴る音。

そして、なぜか頭の奥にこびりつく。


彼女のあの髪、あの目。


眠れば夢に出る。

夢の中の彼女は、あの時とは違う。

血まみれでも、怯えてもいない。

静かに微笑み、自分を赦し、抱きしめ、温かな声で囁く。


「大丈夫」


「私は、あなたを赦す」


――そのたびに胸の奥がきゅうっと締めつけられ、目覚めた瞬間、どうしようもなく彼女に会いたくなる。


「……会いたい」


不意に漏れたその言葉に、自分でぞっとした。


まだ二日目の夜だった。

昼間暴れたせいで拘束された。足を特にきつく縛られ、縄がくい込んで酷く痛む。


冷えた鉄格子越しに現れたルーカス騎士団長の足音は、やけに重く響く。

彼は顔を寄せ、怒りを隠そうともせず低く言った。

「お前が何をしたか分かっているのか、レオナルト」

その声は冷たく、裁きの刃のようだった。


親は来なかった。

マクシミリアン家は「勝手にしろ」と突き放したという。

閉鎖された空間の中、夢と現実の境界は日に日に薄くなっていく。


彼女の声が耳元で囁く気がする。

赦してくれる声。――愛おしい声。


――いや、違う。これは幻だ。幻だと、分かっているのに。


三日目。

様子を見た者たちは顔を曇らせた。


「このままでは会議にかける前に……」


何やら小声で話す看守や役人の声が、石壁の向こうで響く。

“沙汰”は、思っていたより早く下るかもしれない。


そして、その時――自分は彼女に会えるのだろうか。


それとも、もう二度と。



―――――



今日は何日なんだろう。


牢は湿りきっていて床に座ると凍えそうだ。

壁を伝う水滴の音が、心臓の鼓動と同じリズムを刻む。


――彼女の声が聞こえる。

遠くから、確かに。


「レオナルト」


耳元で、囁くように。

背筋が熱くなる。


鉄格子の向こうに、ぼんやりと黒髪の影が立っていた。

薄い唇が動く。


「赦すわ」


その瞬間、胸の奥が安堵で満たされ、涙が溢れそうになった。

だが、瞬きをするとそこには誰もいなかった。


……幻覚だ。


自分で自分にそう言い聞かせながら、足元を見る。

藁の上に、赤黒い染みが広がっている。

それは血ではないはずだ。

だが、嗅ぎ慣れた鉄臭さが鼻を刺す。

あの時の匂いだ。自分の顔に作いた、彼女の血。


――いや、いや違う。


自分は彼女を傷つけてなどいない。

あれは……夢だったのでは?

混乱が渦巻き、記憶がぐらりと揺らぐ。


その時、外から重い足音が響いた。

看守二人と役人らしき男が現れる。


「レオナルト・マクシミリアン」


名を呼ぶ声が、やけに遠い。

「会議での裁定を待たず、特別処置が下った」


頭の奥で警鐘が鳴る。


それは死刑か、それとも……。


告げられる沙汰の内容を理解する前に、鉄格子の隙間から差し伸べられた“彼女の手”を掴んでしまった。

冷たくも、確かにそこにある指先。


「……会いに来てくれたんだね」


役人たちは互いに目を合わせ、何も言わずに連れ出そうとしてくる。


やめてくれ、邪魔しないでくれよ!


足を引きずりながらも、手を離さなかった。

牢を出た瞬間、その手はすり抜け、空気に溶けた。


でもいいんだ。


――沙汰はもう決まった。

あとは“彼女”のもとへ行くだけだ。


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