表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/57

25話 盗み聞きはろくな事にならない



〈メイド達〉


ラングレイ邸の厨房には、夕餉の片付けを終えたメイドたちが集まり、湯気の立つ食器と共に、ひそやかな笑い声が満ちていた。


「ねえ、フェリオン様、今日もまだいるんだって」


「え、こんな時間まで?よっぽど心配なのかしらあの黒髪の子の事」


「違うわよ。見たんだから、わたし。部屋を出る時、めちゃくちゃ柔らかい顔してたの……。なんか……溶けそうだった」


キャッ、と声を上げて笑うメイドたちの手元には、拭き終わったばかりの皿やカップ。完全に乾いてから棚に戻すまでの少しの間。深夜前の静かなひととき。

彼女たちはほんの少しだけラングレイ邸の秘密の話をする。


そこへ、ノックが響いた。

「はい、ただいま」と返事をしたが、扉にいちばん近いメイドが立つより早く扉が開く。


「……水、もらっていいかな?」


その声が厨房を割った瞬間、全員の動きがぴたりと止まった。


立っていたのは、濃藍のローブを纏い、夜のしずくを宿したような長い銀髪の魔法使い――フェリオンその人だった。


魔塔のエリート、才気あふれる若き魔法使い。その凛とした佇まいが厨房の空気を凍らせる一方で――


彼が、ふと微笑んだ。


――やさしく、まっすぐに、ねぎらうような眼差しで。

メイドたちの瞳が釘付けになる。


「はい、ただいま」

声を上げたのは噂話の輪から離れていたメイドのリゼだ。


水差しとコップを盆に乗せ、平然とフェリオンに近づく。

「お部屋にお持ちします」


「ありがとう。でも君、ものすごく顔色が悪いよ。休んだ方がいい」


そう言って、水の入った水差しとコップだけを受け取り、どこまでも柔らかい仕草で扉を開けた。。


 「じゃあ、行くね。おやすみ」


フェリオンはもう一度だけ、にこりと笑みを浮かべて出て行った。


扉が閉まる音と同時に、残された厨房の空気が爆発する。


「うそでしょ……? あんなのずるい……」


「目が合った! 今、絶対に目が合った!」


「リゼ、もう抜け駆け!でも助かった!私たち立てなかったよー」


「“ありがとう”って……あれ、反則でしょ……!」


誰もが頬を染め、崩れ落ちそうになっていた。


そんなメイドたちを、リゼだけは冷ややかな態度で見つめた。




〈フェリオン〉


夜のラングレイ邸は静かだった。騒がしかった昼間の気配は消え、廊下も庭もひっそりと闇に包まれている。


フェリオンは、黒髪の娘――名もまだ知らぬ彼女の部屋の扉を静かに開けた。


ランプの淡い光の中、彼女はいつものように静かに眠っている。穏やかな呼吸。閉じた瞼の奥で何かを夢見ているのだろうか。微かに緩んだ唇。フェリオンは彼女の寝台の脇に腰を下ろし、白い手をそっと取った。肌から甘くて爽やかな香りが漂う。


「……可愛いお嬢さん、今日も来たよ。早く目を覚まして。」


声に出しても彼女は目を開けない。それが分かっていても、言葉をかけずにはいられなかった。


魔力を流し込む。澄んだ水を注ぐように。

結果はいつもと同じ。どこに抜けていくのか……。今まで彼女に溜まったことの無い魔力を流し続けるフェリオン。本当は、もうする必要がないほど、検査も実験もし尽くしていた。


毎日癒されてるのは俺の方だ……


毎日の疲労、苛立ち、幾つもの重責。彼女の手を握るだけで、それらがゆっくりと溶けていく。

魔力を注いでいるのに、まるでこちらが癒やされているような不思議な感覚。彼女は淀みを引き受けるのに、決して濁らない。


 ――なんて、奇跡みたいな子なんだろう。


 自分の魔力の流れが安定してくると、フェリオンはそっと椅子に座り直し、彼女の布団に頭を預ける。

黒い魔力に晒されながら、彼女だけがまっさらで、どうしようもなく惹き付けられる。

体は重くとも心が丸ごと癒されるこの空間に、少しだけ甘えたくなる。頭を彼女の肩の近くに寄せると、温もりが伝わってくる。うっすらと微笑んで、彼はそっと目を閉じた。


ふいに、彼女が囁いた。


「……かわいい」


フェリオンの口元が緩む。


……今日は、「かわいい」。


言葉にするまでもなく、心の中でたけ反芻する。

何度かこうして寝言を聞いたが、これは明らかにこちらに向けて言われたものだ。


目尻まで緩みそうになる。――こんな事のために通ってしまっている。認めたくなかったけれど。


そんな自嘲が過る中、ふたたび彼女の唇が動いた。



「……クロ」


空気が凍る。


フェリオンの体から一気に血の気が引いた。甘い時間が終わる。


(クロ……?)


誰だ、それは。


彼女の指先が、何の疑いもなくフェリオンの銀の髪を撫でる。

フェリオンは動けなかった。思考が勝手に答えを導く。


いや、待て。まさか――まさか、クロード?


脳裏に赤銅色の髪を持つ騎士の顔が浮かぶ。


あいつ……そういえば坊ちゃん時代、家で"クロ"って呼ばれてたとか言ってたか?


いやいや、このひとはまだ目覚めていない。話したこともない。けれど、だとしたらなぜ名前を……。夢の中で呼びかけている?認識されてる?


……冗談だろ


胸の奥に小さな棘が突き刺さる。


彼女が自分に向けて名前を呼んだ事はない。

触れてくれて、「かわいい」と撫でてくれて、でも……呼ばれたのはクロ。自分じゃない。


この手の嫉妬など、無縁のものだと思っていた。けれど今、胸に巣くうもやもやとした感情は、確かにそれだった。


「…………」


言葉にならない想いを押し込めるように、彼はそっと彼女の手を布団の上に戻した。

彼女は相変わらずすやすやと寝ていた。

その安らかさが、今は少しだけにくい。


静かに部屋を出る。


いつものように、クロードへ経過報告をするために書斎へ向かったが、その足取りは普段よりずっと重い。

水を貰いに行き、気持ちを整える時間を稼ぐ。



「遅かったな」廊下に出ていたクロードが言う。


「水を貰ってた。書斎に行こう」


何でもない顔をして言う。が、クロードがふいに言葉を重ねた。


「……最近、治療が長くないか?」


メイドと同じことを言いやがる。心を見透かされたようで、フェリオンはわずかに眉を動かした。


「……そうか?」と、とぼける。


内心では、思っていた。


あの時間は、俺だけのものだ。誰にも譲らない。


知られたくない。あの微睡みの中の囁きも、彼女の寝顔も、すべて。


けれど――名前を呼ばれたのが、もしクロードだったなら。


胸の奥で小さな焦りがくすぶっていた。




〈 クロード 〉


意識のない黒髪の彼女は、柔らかな手でクロードの頭を撫で、今日も「いい子」「かわいいね」と、無垢な声で甘やかしてくれるのだった。


最初は彼女に話しかけて覚醒の手助けをしているつもりだった。

しかし、いつしかその目的は失われ、気づけばこんなことになってしまっていた。

これは最早彼女のためではない。逆に、クロードにとって何よりも甘い時間になっていた。


朝、彼女の部屋に寄ってから訓練場に向かい、夜は騎士団の報告を終えてからまた彼女の枕元に立つ。それが日課になっていた。


――その一方的な、蜜月のような日々に、少しだけ波が立ったのはいつからだったか。


「……クロ」


鼓動が跳ねる。

クロ。

黒髪の少女が気まぐれに口にするその名に、クロードはいつもかき乱される。

やはり自分のことではないのか? いや、そうだ。間違いない。

彼女のそばにいて、名に「クロ」が含まれていて――他にいるはずがない。


目を覚ましていないのに、彼女は自分を認識している?


そのことに浮かれてしまった自分を叩きのめしたのは、屋敷の廊下でのメイドたちの噂話だった。


「最近クロード様、朝夕ずっとあの部屋にいらっしゃるよね」


「出てくる時は、恋人に会った後みたいな甘い顔されて……可愛いよね」


そこまでは良い。

顔から火が出そうな程恥ずかしかったが、まだ許せる。


問題はその次だ。


「でもさ、フェリオン様も最近、やたら長くない? 治療ってそんなに時間かかる?」


その一言が、クロードの心に鋭く刺さった。

顔の筋肉が引きつった結果、無言で睨んでしまい、彼の姿に気づいたメイドたちは蜘蛛の子を散らすように逃げた。



そう言われてみれば、彼は以前より遅く報告に来るようになっている。しかも、ぼんやりしていたり、目が赤かったりすることもあった。


――まさか、あいつも……彼女に……?


同じように、彼女のそばで、頭を撫でられて、甘やかされて――。それどころか、まさか、「フェル」なんて呼ばれていたり?


考えたくない。

だが、疑念が頭を離れない。尋ねたら最後だ。もし「そうだ」と答えられたら、自分は、きっと理性を失う。


彼女の心に誰がいるのかも分からない。誰が最初に触れたのかも、彼女が目を覚ましたとき、最初に微笑む相手が誰なのかも――まだ分からないのに。


その夜も、クロードは書斎でフェリオンを待っていた。


既に予定の時間をとうに過ぎている。


部屋を出て廊下に出ると、ようやく青いローブの男が歩いてくるのが見えた。手に水差しを持ち、呑気な顔で一口含んでいる。


「……遅いな」


クロードが無意識に睨むと、フェリオンは肩をすくめて言った。


「水を貰ってた。……書斎に行こう」


フェリオンの行動の何もかもが怪しく感じる。気づくとらしくない言葉が出ていた。


「最近……治療、長くないか?」


メイドと同じ言葉だった。自分で言っておきながら、胸の奥が冷える。


フェリオンは一瞬止まり、そしてごく自然に――演技かと思うほど自然に、とぼけてみせた。


「……そうか? 変わらないつもりなんだけどな」


その余裕、その柔らかい笑顔、その目。何もかもが気に障る。


彼女との時間は、自分だけのものではないのか?


嫉妬が喉元まで迫るのを飲み下しながら、クロードは無言でフェリオンの背を追った。


熱を抱えている。あの部屋に通い、癒され、焦がれている。


お前もそうじゃないのか? 


彼女が目覚めてくれるなら、最初に邂逅するのは誰が先でも、後でもいい。そう思っていたはずなのに。

そんなの詭弁だった。

本当は、誰よりも先に――彼女の目に映る男でありたい。


自分が嫌になる。

こんな心持ちの男が、騎士なものか。




―――――



きっと今夜も彼女の目覚めを夢見るだろう。


それは誰の呟きだったろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ