22話 アデルもやもや回
その日、私は朝から妙に落ち着かなかった。
最近、公務以外で聖女に会っていない。
そのせいか、珍しく夢を見たのだ。
陽の光を受けて、亜麻色の髪が柔らかく揺れる。
振り返った彼女が、微笑みながら私の名を呼んだ。
手を伸ばす。届くはずだった。
――だが、次の瞬間には背を向け、遠くへ駆けていく。
追いかけても、距離は縮まらない。焦燥だけが胸に残った。
「……夢にまで見るとはな」
思わず漏れた言葉に、自分で驚く。
彼女への興味は好意ではなく、打算――そのはずだ。
聖女という肩書き、あふれる魔力、国に益をもたらす存在。
理性的に見れば、それ以上でも以下でもない。
それなのに、夢の中で手を伸ばしたのは理性ではなく、心だった。
報告書を前にしても、指先が止まる。
視線は文字を追いながら、意識は別の場所にあった。
地図の端。魔物被害が減少した村。
――彼女と共に慰問へ行った記憶が蘇る。
子どもたちに囲まれ、花束を抱いて笑っていた。
あれほどの光に満ちた存在は、ほかに見たことがない。
(彼女の魔力密度は異常だ。癒しの力が働いて、周囲が落ち着くのも道理……)
理屈を並べてみても、心のざわめきは収まらなかった。
「……外の空気を吸ってくる」
侍従が驚いたように目を見開く。
私は構わず立ち上がり、廊下を歩いた。
気づけば、いつものように城門へと足が向かう。
聖女が講義を終えて外に出る時刻を、体が覚えてしまっている。
そして今日も――。
「ああ……」
いた。
白の聖女、羽黒山みひろ。
密度の高い魔力が淡く空気を照らし、衣の裾を風がすく。
門番たちが自然に頭を下げ、誰もが安らいだ顔を向ける。
その中で、私はただ廊下の影から見下ろしていた。
(その“特別”は……誰に向けられている?)
胸の奥に小さな棘が刺さる。理屈ではなく、感情の方が先に疼いた。
書架の隙間から、金色の光が揺れる。
二階の図書室からは、城門へ続く庭園の道が見える。
あの道を、白衣の彼女が何度も歩いていく。
私は、その背中を、数え切れぬほど見送ってきた。
「羽黒山みひろ」――この国の誰も、正確に発音できない名。
リューディガー卿だけが、唯一その名を呼ぶ。
あの声で呼ばれるたび、彼女は少し笑う。
それを見た胸が、なぜ痛むのか。私にもまだ、答えはない。
思い出す。召喚の夜を。
陣が歪み、光がはじけ、彼女が現れた瞬間――視界のすべてが白に塗り潰された。
胸を締めつけるほどの光に耐えきれず、私は倒れた。
目覚めたのは二日後だった。
そのとき、彼女がいた。
白衣の裾をきゅっと握り、冷たい水をくれた。
「お加減、どうですか」と、小さく微笑んだ。
それが最初の会話だった。
あの頃、彼女の魔力に触れるたび、体の奥が熱くなり、眠れぬ夜を過ごした。
それを恋と呼ぶには、軽すぎる。
だが、あれほど澄んだ光を見たことはない。
夜。
図書室で彼女の好みそうな本を見つけ、軽い気持ちで使者を出した。
「申し訳ありません、聖女さまは講義中でございます」
「そうか」
短く返し、窓辺に視線をやる。
そこには、庭園を歩く二人の姿。
白の聖女と、黒の騎士。
彼女が笑い、彼が応える。
その光景を、私は息を止めて見ていた。
「今日も体調良さそうでしたね~」
「ええ。ずっと眠っているのです。快復しているのではないですか?」
「起きたら……また会いに行っていい?」
「もちろん。きっと喜びますよ」
「……なんだか緊張してきた」
「意外ですね。あれだけ話しておられたのに」
「ええっ、聞いてたんですか!?」
笑い声。まるで旧友のような柔らかさ。
その声が、なぜこれほど胸を掻きむしるのか。
彼女が、あの笑顔を私に向けたことはない。
胸の奥で、何かが沈む音がした。
侍従を下がらせ、窓辺に立つ。
グラスの中で赤い液体が月光を映す。
「なぜ、彼女は……私の傍にいない」
王族としてあまりに浅はかな言葉だとわかっている。
だが、この気持ちを知らないわけではない。
その度に思う。
答えなど、出してどうする。
召喚は成功だった。
現れた聖女は、容姿も能力も、理想そのもの。
優しく、控えめで、礼を弁え、衝突を避ける性格。
王族の伴侶として申し分ない――はずだった。
「……まだ、引きずっているのか」
呟いた声が夜気に溶ける。
窓の外では、月が平等に光を降り注いでいる。
それでも胸の内では、不平等な思いが渦を巻く。
聖女の周囲には、いつも同じ顔ぶれ。
朝は白の騎士と大神官。
昼は王族や貴族。
そして夜は、黒の騎士と魔法塔の幹部。
彼女は、夜だけ穏やかに笑う。
――私の傍では、決して見せぬ笑みだ。
夜風がカーテンを揺らし、グラスの表面に波紋が広がる。
みひろの魔力は、そばにいるだけで心を鎮める。
けれど、それは私の内側の黒い淀みを、そっと照らす光でもある。
癒されるほどに、苦しくなる。
「……困った女だ」
呟き、目を閉じた。
――白の聖女。私の国の宝。
そして、決して私のものにはならない女。




