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20話 みひろよしよし回

揺れる馬車の中、フェリオンは落ち着かないみひろに言った。


「まだしばらく着かないから、ちょっと授業しようか」


城からクロード邸まで。

騎士のクロードが単騎で駆ければ10分もかからないが、この馬車では倍以上かかる。


「はい、フェリオン先生」

みひろは上機嫌だ。


みひろは秘密の授業で、世界の魔力が汚れていく課程を理解していた。


白い魔力が身体に満ちていても、魔法を使うと黒く汚れてしまう。

その魔力は大気に混ざる。身体にも蓄積され、次に魔法を使う時には体内の黒い魔力は使われない。

体内の黒い魔力は自然に排出されるが、その量は人によって違う。


これが続くと大気の魔力は黒く染まっていき、魔法に使う白い魔力は黒い魔力のせいで身体に貯められなくなってしまう。

聖女であるみひろから溢れる白い魔力はこの悪循環を打開する強力な一手となる。


「パルマー様と言ってること違いすぎて目眩がしたけど」


くたびれたようにみひろが言う。

教理では、体内の魔力の保有量は祈りや信仰心で増減するのだ。


「そりゃあね。あちらは黒い魔力が見えない皆の為の経典だから」


「私はどっちも見えないんだけど」


「でも理解してくれた」


したり顔のフェリオンにジト目で対抗するが彼の思惑通りになっているのでみひろの負けだ。


「もう。……それで、今回の授業はなんですか?フェリオン先生」


「今日も魔力を使うイメージの練習をしよう。この間は風を感じて貰ったけど、みひろ向きではなかった。

オレ、風の魔法頑張ったのに」


みひろは苦笑した。


彼女の身体からは常に淡い清浄の光が零れているらしいうが、本人にはその実感がない。だから教わるのは、感覚よりもイメージの組み立て方だ。


「今日は光を想像してみて。手のひらに“光”を集めるつもりで」


フェリオンはみひろに自分の両手で水を掬う動作をしてみせた。みひろもそれに倣った。


「ほら、聖堂の説教みたいに難解な話じゃない。もっと素直に、光が指先に落ちるのを待ってみて」


みひろはゆっくりと目を閉じた。教わったことを反芻し、公園の木漏れ日に触れた時の温もりや、ジリジリと肌をさす夏の太陽を思い出していた。だが掌の上には、何も「触れる」感覚がない。


みひろの眉間にシワがよる。

「風」の時と同じ結果になる予感がする。


「感じなくていい。想像できればいいんだ」


フェリオンは優しく促す。みひろの魔力を確認しながら言葉で導いていく。


「月が海に光の道を作るみたいに。あるいは、朝太陽が遠くの雲間から光の筋を落とすみたいに。

——なんでもいい。みひろの想像しやすいように、見えるだけの光を手のひらに落としてみて」


みひろの胸の中で、イメージがふわりと広がった。


夜の海に満月。


水面にキラキラと反射する。

その光の一片一片が集まって光の道を作り自分の掌へと集まる。


光に熱はなく、ただ柔く自分の方へ伸びてくる。手のひらに小さな月のかけらが“落ちる”


——その想像を、彼女は丁寧に抱えた。


「いいぞ、集まってきた」

「え」


フェリオンの声が近い。

驚いて目を開けると、触れそうな距離に彼の顔があった。


みひろの手のひらを見つめ、彼の青い瞳が優しく笑っている。

彼の唇が喜びに震えて、自分のことのように喜んでいるのがはっきりと分かる。


みひろは思わず頬を赤らめ、視線を手元に落とした。自分では魔力の流れなど分からない。それでも、掌の上に微かに温かな気配が残っているような気がした。


見えないものが、確かにそこにあると確信させられる瞬間だった。


「出来たね」


フェリオンは噛み締めるように言い、ゆっくりと手を差し出した。みひろの躊躇いながらもその手を握る。

彼はその手を優しく握り返した。


大きくて、温かい。世界を広げてくれる優しい手。


「一緒に練習していこう」


彼の声は静かで、しかし力強かった。手から伝わる熱が、言葉以上に約束を伝える。

みひろは小さく笑い、目を細める。

ずっとこの身から溢れている白い魔力。それを初めて“自分で”感じた気がしたのは、隣に彼がいるからだと分かった。それが彼女は嬉しかった。




馬車が軋み、馭者が到着を告げる。

二人は静かに興奮したまま馬車を降りた。


馬から降りて挨拶に来たラングレイ邸の主クロードに「そんなに楽しみにしてたのか」と驚かれてしまい、お互いの顔を見合わせて笑った。



―――




黒の騎士団クロードの邸は格式ある重厚な屋敷だ。そこに黒い騎士服の男達が並び、聖女みひろと魔法塔の幹部フェリオンを出迎えた。


もっと、軽い感じの訪問のつもりだったんだけどな。

みひろは気まずい気持ちをよそゆきの笑顔で隠して会釈した。


クロードは聖女に堅苦しい挨拶をした。

彼の親友のフェリオンは貴族然としたすまし顔でみひろの1歩後ろに控えた。


フェリオンと護衛の騎士達は一階に残り、みひろだけ二階へ通される事になった。


そこに彼女がいるんだ。


フェリオンに背中をぽんぽんと叩かれ、みひろは深呼吸した。

緊張しながらみひろはクロードについて行く。



―――会話がない。


長い廊下をゆっくり歩くクロード。みひろは後ろをついて行く。

背が高く、背中も広い。彼のピンと伸びた背筋。猫背になる時があるのだろうか。みひろには想像がつかなかった。


本当に、あの口から生まれてきたようなフェリオンと親友なんだろうか。


「こちらです」

「はっ!はい!」


失礼な事を考えていたみひろはひっくり返った声で返事をしてしまった。

咄嗟に口を抑え、恥ずかしそうに見上げるみひろに、クロードは表情を崩さず1度だけゆっくり瞬きをした。

優しい眼差し。それだけで何故かみひろは落ち着いた。

これがフェリオンの親友の力か。


「こちらです」


クロードは繰り返した。

そこは重厚な扉の前だった。


「離れてお待ちしますので、何かありましたらお呼びください」


「ありがとうございます」


階段の方へ歩いていくクロードの背中を目で追いながら深呼吸すると、みひろは扉に手をかける。思ったより軽かった。


最初に感じたのは花の匂い。


白いカーテンが揺れ、棚の花に柔らかな光が落ちる。

ベッドに眠る渡り人。


みひろは鼓動が高鳴るのを感じた。

一目で分かった。

黒い髪、淡いベージュの肌。何より顔立ちがそう。


「ほら、やっぱり……日本人」


こぼれる言葉は震えていた。


起きる気配のない渡り人の寝顔は穏やかで、聞いていた大怪我など嘘のようだった。

黒い髪には艶があり、色白の肌はまるで陶器のようにきめ細かい。呼吸は浅いが規則的で、見ているだけで胸がぎゅっとなった。


「……かわいい」


みひろが思わず呟いた言葉に、返事はなかった。ただ、寝息が静かに繰り返されるだけ。だがその静けさが、みひろには受け止めきれないほどのやさしさに思えた。


みひろは椅子を引き寄せ、ベッドの脇に腰を下ろす。ていねいに言葉を選ぶ必要はないように感じ、肩の力を抜いてぽつりと話しはじめた。


「わたし、羽黒山みひろって言います。なんか、あなたと一緒に呼ばれたみたいで……」


言葉は途切れ途切れだが、自然と口から出てくる。

王子や貴族。王宮での戸惑い。初めて見る景色。剣と魔法の世界。


話しているうちにみひろの気持ちはゆるみ、笑いも混じる。気がつけば、胸に溜まっていた重みの一部が解けていくようだった。

眠る彼女になら、その重みの話も言える気がした。


「私ね、私……あのね、今、聖女なの。世界のためにね、そのために……ここにいるのよ」


喉に言葉が詰まって上手く出てこない。

胸がいっぱいになって、みひろは渡り人から顔を背けた。


そのとき、寝台から小さな声が聞こえた。


「えらいね」


「……えっ」


反射的に渡り人の顔を覗き込む。

声はかすかで、でも確かに聞こえた。


もう一度。


そう願い見ていると、みひろの髪に彼女の手が伸びた。

柔らかく抱き寄せられたその温もりに、みひろの心は震えた。


「えらいね」


今度は聞こえた、ちゃんと。


唇が震え、視界が滲む。

聖女として振る舞う日々。うまく取り繕っていたはずなのに、あなたのせいで溢れてしまう。


琥珀の瞳から大粒の涙が零れた。拭おうとした指先が震える。それでも、頭を撫でられると心が軽くなる。


「……だめだ。心、折れる。もう聖女やめたい。でも、でもね」


信じられない、こんな弱音。


自分でも驚いた。名誉や期待、祈りの重圧に自分はこれほど押し潰されそうになっていたのだ。


「ねえ……私達、もう帰れないんだよ」


みひろは布団に顔を押し付けて肩を震わせた。


誰にも、フェリオンにさえ言えなかった絶望を。だけど、同じ境遇の彼女にだけは打ち明けられた。

眠る彼女はその言葉に、相変わらず穏やかに、「いい子、いい子ね」と頭を撫でた。


みひろは子供のように渡り人にすがりついて泣いた。

そこに言葉はない。

ただ、包み込むような優しさがみひろの胸の奥の塊を解きほぐし続けた。







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