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18話 フェリオンよしよし回

召喚の翌日から、フェリオンは毎日夕暮れ時にクロード邸へ足を運んでいた。


表向きの理由は「渡り人の治療」。


実際にしていることも、一応は治療の範疇に収まっている。だが、彼の中では半分は実験で、残りは――まあ、「観察対象の維持管理」という名目の趣味だ。

もう研究し尽くしている白い魔力の源泉である聖女より、この黒く淀んだ空間に眠る空っぽの渡り人の方が彼には興味深かった。


フェリオンはこの邸の主人である親友のクロードの事も興味深く感じていた。

彼は魔法に頼らない。自身の魔力量の少なさ故かもしれないが、魔石も使わず、その類稀な体力や件のセンスで他の騎士を圧倒していた。

ついでに言うと、勇気も誠実さも、彼には敵わない。

そんな彼のことを、研究対象としてではない。1人の人として、フェリオンは尊敬していた。

そして彼に嫉妬しないでいられるのは、自分にも彼に誇れるものがあるからだとフェリオンは気づいていた。

魔法だ。


残念なことにクロードの魔力量は壊滅的で、魔力の色や流れといった感覚はまるで分からない。

「今日は白っぽい魔力を流してみた」などと話しても、彼は「そうか」としか返さない。

その温度差だけはどうしても埋まらなかった。


拾われた渡り人――黒髪黒目の女は、フェリオンの尽力で一命を取り留め、傷跡もない。しかし今は深い眠りの中にある。

クロードが見る限り、容態は安定しており、穏やかに眠っているだけだという。

しかし、フェリオンの目には違って映った。


「また澱んでる」


フェリオンは渡り人の眠る部屋の窓を開けた。

来るたび部屋の魔力が黒く澱んでいる。


気分の問題じゃない。ここに長くいると息が詰まる。黒の魔力は、理屈では説明できない重さを持っている。

夕方の夜露を含んだ風が、フェリオンの頬を涼やかに撫でた。


フェリオンは渡り人の眠るベッドの脇に座り、いつものように顔を覗き込んだ。

頬には弾力があり、血色もいい。長い黒髪は艶やかで、指通りも滑らかだ。香油をつけてもらっているのか、甘く、それでいて爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。指先は荒れておらず、爪の状態も美しい。


だが、彼女の手をそっと握り、魔力を探ると――その内側は空っぽだった。


フェリオンは小さく息を吐く。

魔力が体内にまったく存在しない人間など、これまで見たことがない。

魔法を使いすぎて魔力が枯渇する者はいるが、大抵はすぐに大気から魔力を取り込み、完全な「空」の状態を保つことは不可能に近い。


稀有な生体――いや、稀有な“存在”として、フェリオンの興味はいや増した。


彼は毎日、魔力を流しながら観察を続けた。白、灰、薄墨、そして黒。時には全身を魔力で覆い、頭から流し込んだり、足元から満たしたりもした。もちろん、常識の範囲内で。


それでも、彼女の中に魔力が「貯まる」気配は一向にない。それどころか、自分の方から何かを吸い取られているような感覚さえあった。しかも、それは黒い魔力から――そんな現象を感じ取れるのは、フェリオンと父リューディガーぐらいのものだろう。

つまり、この異質さに気づいているのは彼だけ。


「君は何者なんだろうね」

探究心と優越感が、喉の奥で甘く転がった。


「診察」が一通り終わり、寝台横の椅子に座る。

目を閉じ窓からの風に身を任せる。木々のざわめきが耳に心地いい。


静かな空間にいると、父の声が耳の奥に響く。


『よくやった』


認めてくれた訳じゃなかったのに。

無意識に縋る自分が恥ずかしくて、惨めに思えた。


フェリオンは眠る渡り人をちらりと見た。

穏やかな、美しい寝顔。


「いい気なもんだよね」


彼は寝台で頬杖をつき、ちょっと意地悪な顔をした。

彼女の柔らかな頬を指先でつつきながら、つい甘えた事を言った。


「君たちを呼び寄せるために、オレは随分頑張ったんだから。起きたら褒めてくれよ」


軽い冗談のつもりだった。

起きない彼女に、個人的な苛立ちを些細な形にしただけ。――なのに。


手を取られた。


息を呑んだ。

体が震えた。でも、手を離そうとは思わなかった。

だって、彼女が言ったから。


「……偉いね」


その一言に、胸を刺されたような衝撃が走る。

赤い唇。穏やかな寝顔。目が離せない。


「君は……」


オレの事なんか知らないくせに。

それなのに。


繋がれた手が温かくて。


これまでの苦労が報われたような、自分の背負う重荷を見透かされ、受け止められたような感覚。

気づけば涙が頬を伝っていた。


「おいで」


囁かれ、フェリオンは眠る渡り人の傍へ身を寄せた。

背中を撫でるような温もりが、鬱屈も焦燥も溶かしていく。喉の奥から嗚咽がもれる。


口が勝手に動いた。

周囲への愚痴も、自分の奢りも、尊敬の言葉も、すべてぐちゃぐちゃになって溢れ出す。文法も脈絡もない、まるで子供の駄々のような言葉を、彼女はすべて受け止めた。

「かわいい」――そんな言葉までくれた。


「可愛いって……絶対、オレの方が年上なんだけど」

苦笑しながらも、彼の心は満たされていた。




それからの「日課」は決まった。

魔力を流しつつ、彼女の傍らで過ごす。頭を撫でられ、赦されるようなひととき。誰にも邪魔させたくない、この密やかな時間。

報告書にはもちろん、寝言のことなど一行も書かない。「魔力治療の試行錯誤中」とだけ記す。


フェリオンは強く思った。

国益にならなくても構わない。

この時間、彼女は――オレだけの聖女なのだから。




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