9話 魔法医療研究の新境地
よろしくお願いします。
クロード邸の客室。
召喚の儀の余波をまだ残す静けさの中、フェリオンは濡れたローブもそのままに、寝台に寝かされた黒髪の少女の横につく。
ここは彼が滞在時に使う部屋――つまり、彼の手が届く範囲に必要なものが揃っている部屋だ。
それが、いま唯一の救いだった。
彼女の周囲には黒い靄のような魔力が絡みついていた。
そのせいで彼女自体の魔力的な状態が分からない。
もし魔力不足であるなら治療と共に、できるだけ白い魔力を流し込んでやる必要がある。
目を凝らし、彼女に触れ、よく視た瞬間フェリオンは息を飲んだ。
――空っぽだ。
魔力を一切、保有していない。
この世界の生命であれば、生まれながらにして体のどこかに魔力の流れを宿す。
それがまったく感じられない。
それは、“生きていない”に等しい。
背筋に冷たいものが走った。
「ゲホッゲホッ」
彼女が血を吐いてフェリオンは我に返った。
彼女の呼吸は浅く、喉の奥で泡立つような音がした。顔色も青い。
時間がない。
思考より先に体が動いた。
城でしたように治癒魔法を施してみる。
彼女に反応はない。
白い魔力を流し込んでもどこかへ流れて行ってしまう。
フェリオンは自分の息が浅くなっているのに気づいた。
「落ち着け。魔力がなくても生きてるんだ、優先は傷」
棚を探る。フェリオンが召喚の儀のために自分用に作った魔道具が置いてある。
乱雑に置いていたはずなのに、今は全て綺麗に並んでいる。
「さすがだな、クロード。几帳面にもほどがある……」
すぐに目当ての皮袋を取り出す。
そこには《魔力精製石》がいくつも入っていた。
普通は大気中の魔力を白黒関係なく吸う代物。
これは召喚の訓練で使っていた特注の石――魔力を選んで貯めておける装置だ。白い石は白い魔力を。黒い石は黒い魔力を貯めておける。
そして机の奥から、小型の《魔力定着環》。注ぎ込んだ魔力を留めるための補助具。
「待ってろよお嬢さん」
震える指で笑うように呟き、彼は準備に取りかかった。
白い石を踏む。
石が砕けて白い魔力が体の芯へと流れ込む。
澄みきった光が血管を通るたび、冷たさと痛みが同時に走った。
空の黒い石を寝台の下にいくつも転がす。黒い靄のがじわじわと吸い取られていく。
これで彼女の様子がよく見える。
指に《定着環》をはめ、フェリオンはそっと彼女の傷口の上に手をかざす。
「……これで、どうだ」
静かな声。
傷口の中にだけ治癒魔法を注ぎ込み、定着環で治癒の効果を留めてみる。
みるみる魔法の効果が消える。
「まだだ、まだ!」
できることを片っ端からやるしかない。それしか選択肢がない。
あれもダメこれもダメ。魔力がどこかに流れて行ってしまい、体に定着しない。
「きっとある……大丈夫。君も、頑張って」
知らず、励ましの言葉が口からついて出る。
幾度目かの試みで、やっと治療の糸口が見られた。
糸のように魔力を引き絞り、斬られた断面に沿わすと、わずかに光を帯びる。
傷の内側の細胞と結びつき、体内にそのまま入っていくような手応えがあった。
希望が、胸に灯る。
「はっ!肉を縫う羽目にになるなんてな」
まるで野蛮人にでもなった気分だ。
棚の上には、召喚の儀で溢れた白い魔力の残滓を吸った《精製石》がまだあった。
フェリオンはそれをいくつも踏み砕き、痛みに耐える。体の奥底から絞り出すように魔力を練り上げ、細い細い糸にする。
魔法で体液に近い水の玉を出して傷口に流して清潔にする。少量だとすぐに消えてしまうから一度に大量に流す。床が水浸しになる。
傷の断面に練り上げた魔力の糸を刺す。それを引き絞る。糸の周りの細胞が光り、血管や肉同士が付いていく。
傷口が少しずつ閉じる。
彼女の肌がかすかに温かさを取り戻し、体の強ばりが抜けていく。
フェリオンの手が彼女の体に触れる度、微かに瞼が震える。
フェリオンの額の汗が滴り、指先が震える。
だが――止めなかった。
(必ず、助ける。だから、生きてくれ)
静かな祈りが、白い光とともに滲む。
どれだけの時間が経ったのだろう。
ついにフェリオンは彼女の命をつないだ。
部屋を包む黒の気配は未だ濃いが、彼女の寝顔は穏やかだ。
フェリオンは彼女の手や首に触れ、やっと大きく息を吐く。
「はぁぁ……今日、ハードすぎ」
呟いて、濡れた絨毯の上に崩れ落ちる。濡れた服のまま治療していたから気にはならない。
倦怠感が波のように押し寄せたが、不思議と心地よかった。
寝台の下の黒い石を見る。
フェリオンの体からも黒い魔力が抜け落ち、世界が少しだけ明るくなったように思えた。
床で砕ける大量の白い石。
どちらも発明した時は気分が乗って、必要以上に作って取り置きしていた物だ。
「……はぁ……石がなかったら、終わってたな」
過去の自分に助けられた。
ベッドを見上げる。
静かに眠る黒髪の少女。
その胸がゆっくり上下しているのを見て、ようやく確信する。
「……頑張ったな、お嬢さん」
フェリオンは微笑んだ。
疲労で震える指先には、まだ微かな光が残っていた――
まるで、命が繋がった証のように。
ありがとうございました。




