シャイラの生涯
ああ、懐かしいこと。わたくしの始まりの物語。あれから地上の時間は、千年以上は経ったのかしら?
わたくしはそれから巫女見習いとして、人間界でシャイラという人間の生を全うしました。
人と言うものをよく知るために。
心とは何なのかを追求するために。
自然界と人間の関係を深く理解するために。
人が作り上げ、動かすものの得体を知るために。
ごく普通の、1人の女性としての一生を一通り過ごしましたのよ? シャイラが死んだのは、一人娘が産んだ愛おしい孫娘が15を過ぎてからですわ。
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巫女に承認されて間もなく、シャイラは幼いながらも家の農園の専業の働き手となりました。
自然と近しい仕事は、『芽吹き』の巫女見習いのシャイラにとっては好ましい仕事です。
兄たちは学校に通いつつ、農園の手伝い。けれども、人界の知識を得る兄たちは、次第に農園という家業を馬鹿にし、避けるようになって行ったのです。価値観の変化ですわね。
誰からどんな影響を受けたのかしら?
────農園が無くなったら、あなたたちは何を食べるの? 植物の芽吹きが無くなれば、種々の生き物の営みが叶わなければ、世界はあっという間に滅びるのよ?
学校に通う兄たちのプライドは高く、家業を見下すようになりました。
なのに、農園の手伝いしかしていないシャイラが、学校に通う兄たちを論破するから、シャイラは口ばかり達者だと両親からはたしなめられ、兄たち周辺からは生意気だと責められ、意地悪も随分とされたものです。
けれどもシャイラにとってはそれすらも、人々に固定された観念や、受け継がれた慣習、置かれた立場による人の心理を知るフィールドワークに過ぎませんでしたの。
シャイラは神格が住まうサンクチュアリと通じていたのですもの。上から見下ろし俯瞰する目を持ったシャイラの方が聡明で、怜悧なのは当然ですわ。
もともと聡明に生まれついたわたくしが、さらに次元の違う概念を、たった6歳で手に入れたのですものね。フフフ・・・
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シャイラは、じゃじゃ馬で、おしゃべりで、行動的で、機知に富む賢い娘でしたので、村ではとても目立つ存在でした。姿も美しかったので、年頃になる前から、結婚の申し込みもいくつか舞い込んで来ていましたが、本人が頑なに拒んで両親をがっかりさせていました。
けれどもシャイラは、18の時、1つ年上の村長の家の5男からの申し出を受け婚姻しました。シャイラも彼が気に入ったからです。
彼は村長の家にある、村人たちの為の貸本を管理する役割を幼き頃から与えられていたために、周りと比べてより博学だったのです。そして腺病質でもありました。
兄たちが4人いるために、病弱な彼は持て余されていたため。家業で食べていけるシャイラの家に婿入り出来るのは、向こうからしてもありがたかったのですわ。
シャイラは農園の跡継ぎとなり、シャイラを理解してくれる良き夫を得ました。村長の家柄とも程よい繋がりを持ち、可愛らしい娘も生まれ、順風に生きることになりましたの。
体の弱い夫のために薬草研究するという名目もあり、シャイラが植物の知識を求めることについては誰もが納得するところでした。周りの協力の下、人々に役立つ調剤を幾つも完成させました。
夫は普通の人よりも寿命は短いだろうと大きな街の医者に言われていたそうですけれど、シャイラが症状に合わせ調薬した薬が効いたようで、孫の顔を見ることも叶いましたのよ。
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わたくし、シャイラの時代で、ミュリナスの箱を1つ開くことが出来ました。
それは眠りの薬の一種でした。ぐっすり眠ることにより、身体と心を回復させる薬でした。
夢に見ましたの。ミュリナス目線の景色を。
材料が分かれば、調合はわたくしのカン次第ですもの。成分配合によって、眠りの深さを調節することが可能ですわ。
身体は眠っているのに脳は覚醒させておくことが出来る黄金比を見つければ、人が自我を保ったままの転生が叶う薬になり得ます。けれども死と眠りの世界の法則を知らねば、ただのリアルな夢にしかなりませんし、うっかりすると死に向かってしまう可能性すらある危険な薬です。
わたくしは、我が愛おしい娘にも試飲して貰うことにより、遂に自我を保ったまま転生が叶う薬を完成させましたのよ。この危険を冒したのは、我が子にも自我を保った転生を願ったからです。我が子に託したいことがあった故に。
けれども残念なことに、それは神格サンクチュアリでも獲得している、同様の効き目の薬の劣位版なのですわ。
シャイラは巫女見習いに入った時、既に天界から授けられたその薬を飲んでいました。その薬は一生効果がありますのに、シャイラが得たレシピでは、効き目がたった1日しか保たない調合でした。
けれども、シャイラが自力で得た調合はシャイラのもの。シャイラが薬を作ることは自由です。
これは娘と孫限定の門外不出の薬としました。そもそも妖精の鱗粉を必要とする薬ですから大量に作ることは不可能ですし、知れたら妖精に受難が及んでしまうことは明らかですもの。作り方は、シャイラひとりの秘密です。これは誰にも知られるわけにもいかないのですわ。
一人娘は薬草を使った優れたシャーマンとなり、そのまた一人娘は、母よりも濃くシャイラの血を顕す聡明さを持っていました。シャイラが調剤した転生の薬はこの二人だけのもの。これをうまく使って娘と孫が、自我を保った転生を繰り返せるように願ったのです。
人が一度得た薬草の知識を、失うこと無きように願ってのことですわ。これが、森深くに住まい薬草を操る魔女の存在の始まりかも知れませんわね?
知恵や知識を後世に伝えることは決して容易ではないのです。時代の、時の波間に沈んでしまうことは、ゼニスおばあさまのお話から、わかりきったことでしたから。
眠りの薬については、夫には秘密でした。通常の輪廻が元々の彼の運命で、そちらの方があの人には幸せなのですわ。今頃は、どんな姿でどこを旅しているのでしょう・・・?
シャイラは、神格サンクチュアリの存在を、血を分けた娘や孫にも誰にも、一言も喋ってはいません。それが巫女見習いの掟ですから。
わたくしの志は、完全なるアルシアの眷族になること。『芽吹き』の巫女の座。不思議世界を体験したわたくしに、心変わりなど全くありませんでしたわ。
シャイラとして生きる間、国内では、西から押し寄せて来た謎の騎馬民族との戦いや、民族同士の争いなどもありましたが、病弱な夫と田舎の農園は巻き込まれることはありませんでした。
やがて都からは、隣国との不穏な噂が聞こえ始めましたが、実際に隣国との戦が始まったのはシャイラの死後、十数年後のことでした。
戦争が始まった頃には既に転生し、シャイラは新たな人生を生きていたのですわ。
あと数話で終わる予定。まだ書いてないけど。




