【幕間】ゼニスの間にて
薄闇の中にぽっかり浮かんでいるトンネル出口に向かって、大蛇の横をパタパタ駆け抜けてゆく、棒のような手足の少女。
その後ろ姿を見つめているのは、気品漂うグレーヘアの貴婦人と美麗な若き女性。
2人がいる部屋の大きな姿見には、シャイラの様子が映し出されていた。
ゼニスの侍女エーゼの、胸の前で組んだ祈りの両手指先に、ぎゅっと力が籠もる。
「ゼニス様、凄いですわ。シャイラちゃんは遂にアルシアの短剣を取り戻しました!」
定時にゼニスに飲み物を運んだまでは良かったが、シャイラを映し出す鏡に見とれたエーゼは、その場を動けなくなってしまっていた。
「あらあら? アルシアだけでなくエーゼまで。あの娘を随分と贔屓にしていること」
片眉を上げたゼニスの口調には、呆れとエーゼへの戯れが混じっている。
「嫌ですわ、ゼニス様ったら。私はそんなつもりは・・・」
「エーゼ? あなた、シャイラのリュックに短剣の鞘を仕込んだでしょう?」
小さくギクッと息を飲んだエーゼは、ソロソロと下がる姿勢に変わった。
「・・・えっと・・・あはは。どうだったかしら〜?・・・で、では、私は次の仕事に・・・」
「お待ちなさいな? お話があります。そこのソファにおかけなさい、エーゼ」
エーゼは、美しい蠱惑の瞳をキョトキョトさせながら、サイドに置かれた一人掛けのソファに浅く腰掛けた。
「・・・全くこの娘は。わたくしに誤魔化しなどききませんよ?」
「ですよね~・・・ハイ」
急にしょぼんとうなだれたエーゼを見て、そのかわいらしさにうっかり微笑んでしまいそうになるのを抑えながらゼニスは続けた。
威厳を保つのもゼニスの役目の内なのだ。
「あなたが鞘をこっそり持仕込んだことが要因となり、シャイラは短剣を見つけることが叶い、窮地を救われました・・・」
「いいえ、ゼニス様。それはシャイラちゃんの機転あってのことですので・・・」
「そうですね。その通りだわ。そしてシャイラの心が鞘に通じなければ、鞘は片割れの在り処を示してはいないのです」
「そう、そこなんです! 鞘はシャイラちゃんがアルシアを慕う気持ちが本物だと示しましたわ! 私は彼女たちの偽りのない友情に感銘を受けました」
ぽわんと頬を赤らめるエーゼは、アルシアとシャイラの友情物語をいたく気に入っていて、密かに応援していることがわかる。
「しかし、昨日の突然の豪雨での湖出現について、エーゼはどう思って? タイミングも不自然だとは思いませんかしら」
シャイラ本人にも内緒のままで、鞘を荷物に忍ばせたエーゼは動揺した。あれがあるのと無いのとでは、短剣を見つけ出す手間は大違いなのを知っていたのだ。
「・・・・・えっ、まさか・・・えっ、えっ!? 天罰・・・? シャイラちゃんにはこのことに関しては一言も何も言ってはいませんのに」
「わたくしはその可能性が高いと思いますよ」
「・・・う!」
「シャイラは、鞘を持っていくことを要求してはいなかったのでは? 焼き菓子などと違って、そこは試験クリアに大きくかかわる部分ですよ」
赤くなったと思えば今度は青ざめたエーゼの顔。表情豊かなこの娘は、素直過ぎて心のままが表れてしまう。
ゼニスは、うっかり浮き出そうになる笑みをこらえながら話を続けた。
「けれども湖出現の難関も無事乗り越え、短剣も見つけることができましたから、結果的には正解でしたわね」
ホッとして、「ハァーッ」と息を吐き出したエーゼを見て、ゼニスは横を向いて小さくクスリと笑う。
優しくて明朗で賢く気が利き、くるくる変わる表情がいかにもチャーミングなこの娘は、今までの侍女の中でも特にゼニスのお気に入りであった。ゼニスとて、ついつい彼女には甘くなってしまう自覚はある。
ゼニスも贔屓が過ぎぬよう心がけてはいるが、心というものはもともと中庸ではなく、不条理に出来ている。その身が神格に近づいていようとも。
神聖で高位の立場の者とて、時には喧嘩もすれば、いがみ合いもする。中庸を求めても偏らぬことなど無い。
ゼニスは思う。
────心とは誠に難きもの。思考と理解だけではなく、幸福の基礎となるもの。そこに個性があるからこそわたくしはこうしてわたくしでいられるのです。
「けれど不思議ですこと。シャイラには、誰もが手を差し伸べてしまうのです。あなたといい、アルシアといい、あの変わり者のトレイルまで。究極には魔物のアトラク=ナチャまでも。あの子は無意識に人を惹きつける生まれ持った才能があるのです」
神格に近い自分よりも、まだ人間の悪意や欺瞞を知らぬシャイラのような少女の方が、その心はおおいなる神に近い、と思う。その真の心の部分を守るのがゼニスの仕事。大人になる前に、穢れぬうちに、アルシアに共通する純粋なる部分を保全する。
「まさかシャイラちゃんが魔蜘蛛をお供に進むとは、思いもしませんでしたわ・・・」
「あの魔蜘蛛も一物あるようです。最終的にシャイラの試験にどう影響するのか気になるところね」
「はい、ゼニス様。魔を持っているから邪悪とは限りませんしね。今のところシャイラちゃんには素晴らしいパートナーだと思います」
「古代巫女残滓承認試験に魔物と協力して挑む子など、前代未聞ですしね。『清廉の雫』が最終的にどう捉えるかは、このゼニスにも予測がつきません」
「私、シャイラちゃんならきっと合格すると思います!」
「あらあら? そういえばエーゼ。あなたはお腹が空いて、枝を使って湖で魚釣りをしたら大魚を引っ掛け、そのまま引きずり込まれ、危機一髪なんとか助かったけれど、身を持って知った自然の恐ろしさにリタイアしたのでしたね?」
「(〃∇〃) 嫌ですわー。ゼニス様ったらそんな数百年も前のことを。私が使ったリュックでシャイラちゃんが試験に合格してくれたなら、私の無念も晴れるというものですわ♡」
「あら? わたくしはエーゼが巫女になることなく、わたくしの側に仕えている運命に感謝してますけどね」
ゼニスは、すっかり冷めているお茶のカップルを口元に置きながら、ツンと澄ました顔で言った。
「ハイ! 私も今では不合格にすっごく感謝しておりますわ、ゼニス様♡ すぐに新しいお茶をお持ちいたします」
腰掛けたソファからシュバッと立ち上がり一礼したエーゼの瞳には、景色がうっすら滲んで見えている。




