「喰われる男」
前世、ボクと久美子は炎のような恋愛の只中にあり、それは宿命的な破滅への一方通行的な恋であった。
当時、幾重にも重なった大小様々な諸事情というやつが、これでもかこれでもかとボク等二人の間に溢れていた。まるで蛇口をひねりっぱなしの水道みたいに。どうあってもこれでは、二人で一緒に飛び降りるより他にはない。必然的にボクたちは、そんな状況に陥っていった。それ程に二人は愛し合っていたし、それ程までに世間(あるいは世間と称するボク等の周りすべて)は、二人の結婚を容認してくれなかった。
ボク等はわずかに過ごした、本当にとろけるようだった日々の思い出を胸に北に逃げ、適当な心中場所を見つけた。北に逃げたのは、多分心の中で、その方が「らしい」、そんな判断をしていたためだと思う。破滅的な愛の行く先は、北の方が、「らしい」と。
どうしてこんな事になってしまったのか。もう思い出すにも納得するにも疲れて果てていた。だからボク等は、確実に二人を飲み込んでくれそうな断崖の上に立って、むしろ安心したくらいだった。あまりにも複雑に絡まりすぎた現状は、北の大地で砕け散る波に、とてもよくマッチしていた。つまりは絶望感。それこそが、ボク等がずっと探し求めていた平安だったから。
死が二人を分かつまで、などと結婚の際に誓う言葉もあるけれども、ボク等の場合はむしろ、生きていてこそ引き裂かれる運命だった。であるならば、死が二人を結んでくれればいい。ボク等が地を蹴って飛び降りたその時は、そう言うわけで、とても前向きな気持ちだったのである。
来世でも変わらない愛を信じて、ボク等は絶命した。二人で幸せに愛し合える未来を夢見て。
小鳥に生まれ変わったボクには、もちろんそんな前世の記憶などなかった。大空を小さな羽根でパタパタと飛び回り、日々の糧の事で頭とくちばしをいっぱいにしていた。小鳥の一生はこれでなかなか忙しく、風に吹かれ雨に打たれ、今思い出しても震え上がるくらいの、あの恐怖の初飛行を経て、ようやく大人の仲間入りを果たした。
ということは、ボクも伴侶を探す年頃になった、ということだ。まだ飛び方もぎこちなくて、羽毛も生え揃ったばかりのつやつや、青二才だったけれど、ボクは一生懸命餌を探しながら、頭のはしっこではいつも一生懸命女の子の事を考えていた。
けれども、覚えたての求愛のダンスを踊ることは、ついになかった。巨大な黒い影とともに襲い掛かってきた爪が、ボクに最後を告げたのだ。小さな体が引き裂かれる瞬間、小鳥のボクの眼前に本流のように前世の記憶が押し寄せた。前世に誓った彼女との愛。永久に変わらないと信じたあの想い。ボクはすべてを思い出した。
そして、ボクを喰いちぎる鋭利なくちばしを持った大鷲が、久美子である事に気づいたところで絶命した。
次にボクはカエルとなり、雨の日の歌を生業として生きた。おたまじゃくしの段で兄弟たちのほとんどはひからびたりして死んでしまったけれども、ボクは立派な手足をもった若者に成長した。そんなボクを捕らえ、その歯牙にかけたヘビはまたしても、久美子だった。ボクは意識が消え去るその瞬間にヘビの──久美子の目を見つめ、彼女との愛を思い出しながら命の闇に包まれていった。
猛スピードで迫るキツネから必死に逃げたのは、ウサギになった時だけれども、ボクは追われながら、前世の事を思い出していた。逃げている時に既に走馬灯を見ていたらしい。
「久美子、ボクだよ、思い出してくれ!」
必死で叫びながら逃げるボクを、空腹に目を輝かせたキツネは追い続けた。ボクのやわらかい体に、飢えた牙をつきたてるまで。
魚になり、シカになり、ボクの輪廻転生の旅は続いた。そのたびに久美子に襲われて、生の幕を閉じた。ひどかったのはニワトリになった時だ。いや、ニワトリにはなれなかった。生まれたばかりの、自我どころか体さえ持たない黄身のボクを、彼女は丸呑みにしてしまったのだった。
「食べてしまいたいほど好きなの」
彼女は、その言葉通りの表現方法でボクを愛し続けてくれていた。まったく、言葉どおりに。次に人間に生まれ変わったら──人間だけが、捕食される恐怖のない命だ──ボクは彼女に伝えなければならない。本当に食べてしまうのは愛ではない、と。あるいは久美子は、人間のボクですら食べてしまうかもしれない。
「当分先だよ」
来世を管理する鬼が、ボクにそっけなく告げた。
「人間はずいぶん余っているからな」
「気の毒にな」
前世を見ていた別の鬼は、憐憫をもってボクをなぐさめてくれた。
「永遠ていうのは厄介なモノだな」
ボクと誓い合った永遠の愛でもって、彼女は永遠にボクを愛し続けてくれるのだろう。ボクもそんな久美子の気持ちがくすぐったいほどうれしいのだが、どうして「愛し合う」という選択肢がなかったのだろう。
「食べてしまいたいほど好きなの」
ボクは彼女の愛の言葉に応えた台詞を思い出して、ため息をつくのだった。
「ボクも食べられてしまいたいよ」
(完)
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