袖、触れ合って
教室にじっと座っていることができなくなった成海が、中学へ通えなくなって久しい。全ての刺激が取捨選択されることなく、同じレベルで届いてしまう成海にとって学校に身を置くことは、嵐の中、丸裸で雨風にさらされているかのようなものだった。
幸い成海の両親は、成海の傷を目に見えないというだけでないものにしたりしなかったため、勉強は独自で進めること、毎日散歩をすることの二つを条件に、成海が不登校となることに賛同した。
どんどん寒さが増し、外に出るのも億劫になるほどの風の強い日だった。両親との約束だ、成海は意を決して日課となっていた散歩へ出る。だいたいのコースを決めながらも、あてもなく歩いている時だった。
「見かけない顔だなあ」
向こうからやって来た歩行者とすれ違いざま、ほとんどマフラーに埋もれた成海の耳に声が届いたが、成海は立ち止まることもなしにやり過ごす。
「おーい」
再度声が聞こえて、成海は初めてそれが自分にかけられたものだと気づき、慌てて振り返る。成海と同じ中学生くらいの少年が立っていた。
「あ! 私に話しかけてますか?」
「そうだよ、お前誰?」
「それは失礼しました、成海って言います」
「ふうん、俺は」
「あ、名乗らなくていいです。どのみちあたしたち、二度と会うことないから」
その日はそのまま二人して、会釈もせずに各々の向かう先へと別れた。
目が覚めた時に起床し、眠気を覚えると横になる成海の生活は、昼夜逆転とすら呼ぶことのできぬ乱れようで、散歩の時間も日によってまちまちだったが、それから数日後の昼過ぎの散歩中、また向こうからやって来た少年と成海は出会った。
「成海! 俺の名前は圭太。ははっ、ついに名乗ってやったぜ。平日昼間にうろついてるだなんて、成海も不登校なんだろ?」
弾むようなリズムでそう言った圭太に成海は嘘をつく。
「勝手に仲間にしないでください。私は今日はたまたま休みなんです」
圭太はきょとんとした顔をして、「へぇ」と言った。
「でもさ、週末になるとほっとすることないか? 平日と違って学校は休みだからさ、どの時間帯でも堂々と外をうろつけるって」
思わず「そうそう!」と大きくかぶりを振りそうになるのを抑え、成海は注意深く息を吸う。
「さあ。一方で、土日はクラスメイトに出くわす確率も上がりますから」
半ば不登校仲間であることを自白するような成海の返答に、圭太は機嫌良く頷く。
「出くわすとまずいことでもあんのか?」
「人と出会いたくない時もありますから」
「出会わないことには始まらんぞ」
「とにかく私は先を急ぎますんで」
「どっか行くのか?」
「圭太さんには関係ないです」
足早に去ろうとする成海の背中に圭太は声をかけた。
「どうせ出会うよ、また」
圭太の言葉通り、成海と圭太はその後も何度も出会ってはすれ違った。
圭太は成海を見つけるたびに、ぱっと顔を輝かせては声をかけた。取り合わないではないが、かといって乗り気でもない、といった風の成海の受け答えの言葉にも、徐々に温度がこもっていく。
圭太からは言葉通りのものが感じられた。圭太がぽんぽんと繰り出す台詞を聞きながら成海は、通常の対人関係において、成海を悩ませ続けていたある種の疲れを感じていないことに気づく。まっすぐに伝えてまっすぐに受け取られる、圭太からは嘘偽りない思いがほとばしっており、とりつくろう必要がないことが成海をすっかり安心させた。
あっという間に季節は一周した。相変わらず成海は、登校する代わりに散歩を続けていた。
初めて出会った日と同じような風の強い日だった。成海は向こうからやって来る圭太の姿を認めたが、圭太は成海を目に留めるや踵を返して逃げ出した。当然いつものように声をかけられると思っていた成海は、目を見開いて茫然自失と立ちすくんだが、すぐさま圭太の背中を追いかけ駆け出した。
散歩は欠かさぬといえど、あとは食べて寝て、だらだらと机に向かうだけの毎日の成海だった。上手く走れるわけもなく、足がもつれそうになりながら、圭太に追いつけぬことを観念した成海は叫んでいた。
「ほうら、そうやって。あんたもどのみち去っていくんじゃん。わかってたんだ! みんな私の元から消えてくんだ! だから出会いたくなかったのに!」
今にもこぼれそうな涙を堪える成海の方を振り向きもしないで、足を止めた圭太は言う。彼こそ泣きそうになっていた。
「悲しいこと言うなよ」
圭太に言われて成海は言葉を探す。怒りの奥から底知れぬ寂しさが湧き上がってきていた。
皆と同じように学校に行くことができないことに、成海は自身が考えていた以上に傷ついていたのだろう。圭太を仲間のように感じ、このままずっと散歩さえしていればよいならばどんなにいいかと考えながら、同時に、そういうわけにはいかず、いずれ得た仲間と離れ離れになるであろうことに、言いようのない焦燥を感じていた。
処理しきれぬ心の動きに、口を固く結ぶことしかできない成海に圭太は問う。
「なら出会わなかった方がよかったのかよ?」
「圭太の方こそ悲しいこと言わないで! そんなわけないでしょう」
咄嗟に叫んでいた成海はいよいよ幼子のように声を上げて泣き出した。
顔を両手で覆った成海が指の間からのぞいた世界に、まっすぐ届く視線があった。こちらを向き、目を逸らすことなく成海の方へ近づいてくるのは、まぎれもなく圭太その人だった。
成海の目の前まで来ると圭太は立ち止まり、成海が泣き止むのを待った。しばらく二人は向かい合ったまま、お互いを、成海にいたってはぽろぽろと涙をこぼしながら、これでもかとにらみつけた。
「まあずっとはいれないんだよ」
先に視線を逸らし、申し訳なさそうに言う圭太に、成海はわかってる、といった様子で頷いた。
「高校は、隣町のフリースクール? に行くことになって」
「取り乱しちゃった」
ひとしきり泣いて満足した成海は、指で涙をぬぐうと右足のつま先をとんとんと地面に打つ。
「まあそういう時もあるさ」
圭太に言われて、成海は再度頷く。そういう時、の繰り返しだった。そしてそういう時、が今後もずっと続いていくことを自然察知した二人の瞳には灯火が灯る。抗ってなのか、受け入れてなのか、もしくは諦めてなのかは、二人にはわからないにしても。
「忘れないでね」
圭太に向かって言ってから、間を開けずに成海はすぐに言い直す。
「忘れてね、あたしのこと。ずっとずっと忘れたままでいて」
「俺は誰の指図も受けねえ」
圭太に言われて、成海は笑う。
「だと思った。だから安心して言えた」
それを聞いて圭太も笑顔になる。
「あたし人に命令したの初めて」
成海は満足した。たとえ聞き入れられなかっとしても、想いを形にして相手にぶつけるという過程にこそ意味があった。自分の言い分を大切にしてやったのだ。
「たまにはさ……」
成海がしまいまで言わぬうちに、成海の思いを受け止め圭太が続けた。
「いいよ、会えるさ。いつでも」
「いいの?」
「いいさ。修行じゃないんだから。そんなに追い込まなくてもいい」
成海が肩をすくめたのは寒さに由来するだけではなかった。込み上げる喜びに、成海は背中をむず痒く感じていた。
「気楽にいけよ」
最後に圭太はそう言って、頷く成海を確認すると去って行った。
北風が成海の足下の枯れ葉をからからとさらう。帰ろう、そう考えるが成海は足を動かすことができない。
圭太の消えた方角を見つめ、寒さに身を縮めそうになりながらも成海は、しばらくその場に佇んで、足をしっかりと踏ん張り続けていたのだった。まるで圭太がいなくとも、立っていられることを確かめるかのように。
今までだってそうだったように、これからもずっとそうしてゆくことを、明らかにするように。
お読みくださり感謝します




