百合にハマった私、本当に百合になる
【登場人物】
岸波芳佳:30過ぎのOL。無趣味だったがあるとき百合を知ってどハマりする。
弓崎智巳:芳佳より少し年下の社会人。大の百合好きで関連書籍を多数所有している。
人生において何に生きがいを求めるかは人それぞれだ。
自分が出世することを第一に考える人もいれば誰かの役に立つことに生涯を掛ける人もいるし、趣味を全力で楽しむ人もいる。
生きがいがあることでつらい仕事を頑張ろうと思えたり、日常のストレスを発散できたりするものだ。
じゃあ何の生きがいも無い私は――岸波芳佳は何を目的に生きればいいんだろう。
趣味も無く、かといって仕事に打ち込むわけでもなく、ただ漫然と毎日を過ごしている。テレビを見ないわけではない。好きな歌手がいないわけでもない。でも休みを使ってまで熱中するかというと、そこまでのものじゃない。
本だって話題書以外はほとんど読まない。追いかけているマンガとかがあればまだ違うんだろうけど、せいぜいSNSで回ってきたマンガを読むくらい。
30歳を過ぎてしばらく経つのにそれでいいのか、と自分でも思う。このまま数十年を独りで生きていく姿を想像すると虚しくなったりもする。だけどじゃあ何からやればいいのか。
(中学、高校の頃はアイドルとか好きだったんだけどなぁ)
年を経るごとに、いつまでもキャーキャー言ってるのは恥ずかしいと思ってしまった。
今となっては年代問わずそういう人達を見るたびに、あれだけのエネルギーを出せているのが羨ましくなる。
(やっぱり趣味なら読書が無難かな。小説は読むのに時間かかるし、マンガの方がいっか。でも巻数多いと追いかけるのもしんどいんだよね)
色々考えながらスマホを触っていると、広告のバナーが目に入った。
『6月25日は百合の日! 今日だけ百合マンガポイント大還元!』
百合というジャンルがあるのは知っている。女の子同士の恋愛とか友愛を描いた作品。
正直いまいちピンと来ない。中高と今までずっと共学のところだったし、身近でそういう噂は一つもなかった。
(まぁせっかくだしどういうのがあるか見るだけ見てみようかな)
バナーをタップして表示されたサムネイルをぱっと見ていく。
(星高いの多いな。レビューもそこそこあるし)
評価が高そうなのを選んでサムネイルをタップ。詳細に目を通す。
高校生の女の子がいきなり女子の先輩に告白されて色々ありつつ進展していくとかそんな感じの内容。
(まぁ男女の恋愛ものでも似たような感じじゃないの)
軽く息を吐きながら画面をスクロールしていき、レビューのところで指が止まった。
(なにこの熱量?)
誰も彼もがこの作品についての熱い想いを語っている。何故この人達はそこまで思い入れを持てるんだろうか。
レビューを読んでいくうちに興味が湧いてきた。
(巻数も多くないし、なにより今買うと実質半額だし、試しに読んでみよっか)
ぽちぽちと操作して、早速電子書籍版を購入してみた。
(言って別にちょっと変わった恋愛マンガでしょ? そんなたいしたものじゃ――)
読了後。
「はぁぁぁぁぁ……終わったぁ……終わっちゃったぁ……」
なんだこれは。私の胸に去来する様々な想いは。
読み始めはなんてことなかった。へぇ百合ってこんななんだくらい。それが少しずつ二人の仲が深まってくると見ているこっちが嬉しくなり、すれ違いから二人の距離が離れてしまったときには内臓すべてが締め付けられたように感じ、最終的にハッピーエンドへ収束したときは目尻に涙すら浮かんでいた。
「……これが、尊いってこと?」
レビューにも散々書いてあった言葉だ。
言葉で明確に言い表せない幸福感をそう呼ぶのだとすれば、まさしくこれは尊かった。
「え、この作品って本当にこれで終わり? もうないの?」
素晴らしかったからこそ読み終わったときの喪失感もすさまじい。これ以上ない終わり方だったのは分かってるしこれが最終巻だというのも知っている。それでも調べずにはいられなかった。
「番外編がある……! え、っていうかこれアニメにもなってたの!? 待って待って、しかもこの作者の人、読みきりで違うのも描いてるし!」
まずは番外編を購入。アニメは後でネット配信をチェックするとして、読みきりの載ったアンソロジーも購入。そのアンソロジーでまた別の作者さんが気になり検索して既刊のコミックスも購入。それを繰り返していけば同人誌に行き着くのも必然なわけで。
見事なまでに落ちた。百合の沼に。
いや、これを沼なんて呼ぶのは失礼だ。私はたどり着いただけ。百合の花が咲き乱れる楽園へと。だから正確には落ちたと言うより昇ったと言う方が正しい。
とにかく――私はようやく自分の生きがいと出逢うことが出来た。たとえ仕事がつまらなくても上司に怒られても、家に帰れば百合マンガやアニメ、グッズが私を出迎えて癒してくれる。フォローした作者の方たちがあげてくれるマンガやイラスト、新刊案内がストレスをあっという間に吹っ飛ばしてくれる。
もう誰も私の人生を寂しいなんて言わせない。百合さえあれば私の未来は永遠に明るいのだから。
「ありがとうございましたー」
多くの人で賑わう店内を抜けながら、私は右手に提げた青いビニール袋を一瞥し、こっそりと笑った。
土曜のお昼過ぎ、私は某アニメ系の本屋に来ていた。目的は今日発売の百合マンガ。店舗特典の小冊子が欲しくて休日にわざわざ出向いてきたのだ。
(やっぱり特典でもらうならポストカードとかよりおまけマンガよね)
ここだけでしか読めないお話、というのが何よりも購買欲をそそる。無くなる前に無事手に入ってよかった。
あんまり露骨に喜び過ぎていると端から見てアレなので(年齢的にも)、なるべく無表情を意識しながらお店を後にする。
出口を出てふと横にずらりと並んでいるカプセルトイ――いわゆるガチャガチャが目に入り、通りすがりになんとなく眺めていると。
(こ、これは――)
私のお気に入りの百合作品のストラップがあった。
(ガチャガチャで出てたんだ。アニメ化してたのってちょっと前のはずだけどずっと置いてたのかな――いや経緯はどうでもいい。今必要なのは小銭と摘まみを回す指のみ!)
ショルダーバッグから財布を取り出して硬貨を確認。ガチャガチャは一回二百円。よし。そこそこ回せる。
さっそく硬貨を投入して摘まみを回し、出て来たカプセルをぱかっと開けた。
(きた! 主人公!)
当然これだけで満足するはずがない。
すぐさま次弾を装填して回す。狙いはヒロイン。こういうのは二人一緒に揃えてこそ意味がある。
しかしカプセルから出て来たのは主人公のポーズ違い。どうやら二種類あるらしい。まぁまだ始まったばかり。被らなければ問題ない。
その後の結果は、主人公の友達ーズ、主人公のポーズ違い(被り)、先生、主人公(被り)、主人公のポーズ違い(被り三個目)。
(うがぁぁぁぁっ! どんだけ主人公出んの!? そりゃ主人公が一番出やすいかもしんないけどさ、ヒロイン一個も出ないって偏りすぎでしょ!! ヒロインも二種類あるのにぃ!!)
熱くなりかけたところで深呼吸をして落ち着く。ガチャは望んだものほど出ないのが当たり前。であればどうするか。
(出るまで回す! 30越えた独り身社会人の財力なめんな!)
立ち上がり、カプセルの空を専用ゴミ箱に捨てて両替のためにレジに向かおうとしたとき。
「あの」
見知らぬ女性が話しかけてきた。
年齢は私と同じくらいか少し下。外見は美人系で服装も落ち着いたもので纏められていて、こう言ってはなんだけどアニメとかに興味なさそうな人種に見える。
「……なんですか?」
少し警戒しながら返事をするとその女性は自分のバッグを持ち上げて持ち手の根元を指さした。そこには今まさに私が回していたガチャガチャのストラップがぶら下がっていた。しかも主人公とヒロインがセットで。
「もしかしてですが、何か欲しいストラップあったりします?」
警戒が一瞬で消えた。この口調や雰囲気は間違いなく『いい人』だ。わざわざ話しかけた理由は容易に想像がつく。
「――そうです、そうなんです! このヒロインの子が全然出なくて」
女性がほっと息を吐いて微笑んだ。
「だと思いました。よかったら差し上げましょうか?」
「いいんですか!?」
「はい。私が回したときは主人公が全然出なくて、ヒロインの子ばっかり被ってしまったので」
「ありがとうございますぅ~!」
目の前の女性が女神に見えた。世の中捨てたものじゃないなぁ、とひとり感慨にふける。
「ですがその、まとめて家に保管してあるので、どうしましょうか。ご住所を教えていただければ二種類とも郵送でお送りしますが」
まさかのヒロイン二種類とも。女神に後光が差して見えた気がした。
有り難い限りではあるけどそこまでお手数を掛けるのも申し訳ない。それに郵送だと破損の恐れもある。
「あ、じゃあ今から取りに行きますよ。って、すみません、そちらも都合ありますよね」
「大丈夫ですよ。今日の用事は終わりましたし」
バッグの中に手を入れて青い袋を覗かせた。私は何か通じるものを感じてにやと笑う。
「もしかして、小冊子ですか?」
「です」
そう言って彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
一緒に家へと向かう間にお互いの自己紹介を済ませた。
この女神の名前は弓崎智巳さん。都内の会社に勤めるOLだという。勤め先が私の会社とそこそこ近くて驚いた。年齢も近いし何となく親近感が湧いてくる。
そういうのも含めて、あの場に弓崎さんが居合わせたのは本当に幸運なことだ。
電車に乗っているときにふと尋ねてみる。
「そういえば、弓崎さんはよく私がストラップ欲しがってるの分かりましたね。もしかしてそんなに顔に出てました?」
「まぁ、そうですね。あれだけ真剣にガチャガチャを回して、回すたびに表情固くして、何かを決心したように店内に入ろうとしていたので」
冷静に第三者目線で語られて恥ずかしいというより情けなくなる。
「す、すみません、いい歳して……」
「なんで謝るんですか? 自分の欲しいものが手に入らないときに悔しがったりムキになるのは年齢関係ありませんよ」
「ですよね!」
「それに、多分私が回してたときも同じような顔してたと思いますので」
本当にいい人だ。観察力はもとよりその気遣いは、見ず知らずの人相手にそうそう出来るものではない。
(同じ百合好きだったからこその優しさなんだろうけどね)
地元が同じ、部活が同じ、趣味が同じ。何らかの共通点を持った人に対してときに仲間意識が芽生えて親切にすることがある。とくに色んな場所から人が集まってる都会では尚更。
弓崎さんのマンションに到着し部屋に上がった私を出迎えたのは大きな本棚だった。壁の端から端までを埋める本棚に並ぶ書籍を前にして思わず感嘆の息が漏れる。コミックスや小説、同人誌や画集に至るまで、よくぞこんなに集めたものだ。また書籍だけでなく小さなフィギュアやグッズなんかも棚の上や空いている所に並べられていた。
「これ、全部百合関連なんですか?」
「全部が全部ってわけじゃないですけど、百合系がほとんどです。さすがに多すぎるからちょっとずつ電子書籍に切り替えていってるんですけどね。特典が紙にしかついてなかったりするとどうしても買ってしまって」
「あー、分かります!」
やばい。今日初めて会った人の家なのにめっちゃテンションあがる。
勝手に本を取ったりするのは失礼だと思い背表紙だけをひたすら目で追いかけていた私に、弓崎さんが呼びかけてきた。
「岸波さん、はいこちらどうぞ」
渡されたのは私が求めてやまなかったガチャガチャのストラップ。言っていた通りヒロインのを二種。
「ありがとうございます!」
両手でそれを受け取るとすぐに他のストラップと同じく丁重に袋にしまった。家に帰ったら私もバッグの持ち手のところにペアで吊るしておこう。
「そうだ、お金」
財布を取り出した私に向かって弓崎さんが手をぶんぶんと振る。
「余ってたのを差し上げただけなのでお金はいらないです」
「そんなのダメですよ。お金が掛かってるんですから」
「高いものじゃないですし、ほんとにいいです」
「高い安いの問題じゃないんです。諸々込みで千円でいいですか?」
「千円!? 元手一個二百円ですよ?」
「だから諸々込みですって。ネットで買ったら多分それ以上しますよ」
「私は差し上げてるのでどのみちお金はいりません」
どうにも弓崎さんは引いてくれないようだ。まぁお金目的じゃないのに渡されようとして拒否する気持ちは分かる。
小さく息を吐いて提案してみることにした。
「じゃあ私の余ったのと交換にしませんか? 弓崎さんの方はもう揃ってるから要らないとは思いますけど、やっぱり無償では受け取りづらいです」
弓崎さんが僅かに考えてから頷いた。
「でしたらそうしましょう。それならお互い平等ですよね」
私は被っていた主人公のストラップ二種を取り出して弓崎さんに手渡した。
これでここに来た目標は達成した。普通に考えれば長居せずにすぐ帰るのが正しい。正しいが……。
「岸波さん、よかったらうちの本読んでいきます?」
「……また顔に出てました?」
「まぁ、雰囲気が」
弓崎さんが笑いを噛み殺している。
いやもうこれは許して欲しい。誰だってテーブルの上に大好物が並べられていたらそわそわしてしまうものだ。私にとってはそれが百合なだけ。
「で、でもそこまでお言葉に甘えるっていうのは、その……」
「また対価がないと申し訳ないって話ですか?」
「対価っていうとちょっとアレですけど、そんな感じです」
「岸波さんってほんと律義ですよね」
「すみません……」
友達ならいざ知らず、初対面の人相手に厚顔にはなれない。一応私にも大人として、社会人としての矜持がある。
弓崎さんがふっと息を吐いた。
「分かりました。では今日の晩ごはん、岸波さんが奢ってください。そうしたらここにいる間は好きなだけ読んでいい、ということで」
「あ、じゃあそれでお願いします!」
一食分くらいどうってことない。そんなの単行本数冊で元がとれる。
私が元気よく返事をしたせいか、また弓崎さんがくすくす笑っている。
「それではご自由に読んでください。コーヒー淹れますけど岸波さんもどうです? あぁこれはサービスですので」
「いただきます」
なんて幸せな空間なんだろうか。
読んでも読んでも終わりなく百合が続いていく。作品によっては読み進めるごとに苦しくなるような百合もあったけど、それでも彼女たちの感情を、生き様を尊いと思う。
「ふぅ……」
「それ、結構重めですけど大丈夫でした?」
「あ、大丈夫ですよ。逆にこんな百合もあったんだ、って感銘を受けてます。まぁイチャラブ系の方が性には合ってますけど」
「イチャラブいいですよね。甘~いやりとりとか見てるだけで幸せな気持ちになれます」
「ホントそれです。切ない百合もいいんですけど、ずっと頬がにやけちゃうような甘々な百合が大好きなんです」
「それってもしかして岸波さん自身の願望が入ってたりします?」
「私の?」
急に聞かれて思わず笑う。
「付き合ってる人も付き合いたい人もいませんよ。百合は眺めて楽しむのが至高ですから」
「名言ですね」
あはは、と立ち上がって本棚に単行本を戻す。
(次はどれ読もっかな。うーん、ちょっと気分変えて同人誌にしよ。今度は明るいラブラブなやつがいいんだけど)
私は二次創作でもあまり気にしない。登場人物の関係性さえ書いていてくれれば十分楽しめる派だ。
同人誌の並ぶ棚から適当に一冊抜いてみる。表紙をこちら側に向けて、一瞬固まった。
裸の女の子二人が抱き合っている。右下にはR18表記。
すぐさま何も言わずに同人誌を元の場所に戻す。
(そりゃそういうのもあるよね。私だってちょっと買ったし。でも人の家でこういうの見つけると妙な恥ずかしさがあるというか……いやいいんだよ? 大人なんだしそういうの買っても全然いいんだけど)
「岸波さん」
「――――」
いきなりすぐ後ろから声を掛けられてビクっと肩が跳ねた。
「な、なんですか?」
「同人誌で何か読みたいの探してます?」
「えーと、明るくてさくっと読めるのがないかなぁ、と」
「そうですね……」
弓崎さんが私の背中にぴったり付いて腕を棚に伸ばした。
(……なんか近くない?)
もし私の体の向きが反対なら俗に言う壁ドン体勢だ。
「二次でも平気ですか?」
「あ、うん、何でも大丈夫です」
気にしているのは私だけだ。弓崎さんはちゃんと私の為に同人誌を選んでくれている。
「岸波さんはガールミーツガール系ってどう思いますか?」
「ガールミーツガールっていうと、女の子同士が出会って恋に落ちて――みたいなやつですか?」
「はい。百合にもよくありますよね? 初めて見かけたときに一目惚れして、とか、突然相手から告白されて、とか。あぁいう運命の相手みたいな話は嫌いですか?」
「いや、嫌いじゃないですよ。どんな始まり方だって恋愛は恋愛ですし、最終的に二人が仲良くしてるならそれで」
「でしたら例えばこれなんかは――」
そう言って弓崎さんが引き抜いたのは、さっき私が戻した同人誌だった。肌色の多い表紙が私の方に向けられる。
「たまたま出会った二人が意気投合して仲良くなって身も心も結ばれるお話です。こういうのはどうですか?」
「い、いいんじゃないですか?」
つっかえながら答えると弓崎さんが同人誌を置いて、その腕でいきなり私を抱き締めた。
服越しに伝わる感触と体温。状況が理解出来ずに動悸が激しくなる。
「ゆ、弓崎さん?」
「岸波さん」
耳元から声がする。躊躇いながらも確かな熱のこもった声が。
「私達の出逢いも、運命の出逢いになりませんか?」
「え……?」
どういうこと? 運命の出逢い? ガールミーツガールのような?
分からない。たまたま街で出会った私にそこまで好意を抱く理由がない。
「なんで、私を?」
弓崎さんが私の首元に頭を乗せたままふっと笑った。吹いた息が肌に当たってこそばゆい。
「私が一番好きな百合作品のガチャガチャをひとりで熱心に回してるんですよ? そんなの、嬉しいじゃないですか」
その気持ちは多分私が弓崎さんに親近感を抱いたのと同じだ。自分の趣味を理解してくれる人がいるのは本当に嬉しいから。
「百合について語り合うのも楽しいし、律義で義理堅いところは信頼できるし、思ってることが顔に出るのが可愛いし、というか顔が私の好みだし……もし一生に一度の運命の日があるのなら今日以外にないと思うんです」
いきなり告白をされる百合マンガの登場人物の気持ちが少し分かった気がした。
焦る。混乱する。感情の整理が追いつかない。一度今のページにしおりを挟んでティーブレイクを設けて欲しいくらいだ。
「ダメ、ですか?」
でも一つだけはっきりしてることは。
「……いやその……嬉しい、です」
好意を向けられるのが純粋に嬉しかった。
弓崎さんが挙げたことは私にだって言える。百合について語り合うのが楽しい。優しくて気遣いが出来るところが尊敬出来る。笑った顔が可愛い。そもそも美人。
(正直断る理由がないんだけど)
相手の反応を待つ。しばらくして「え」と意外そうな声が返ってきた。
「ほんとにいいんですか?」
「いいですよ」
「今から彼女になるんですよ?」
「知ってますよ」
「名前で呼び合ったりデートしたりするんですよ?」
「でしょうね」
ここまで受け答えしてからようやく実感が湧いたらしく、小さく「よかったぁ」と呟く声が聞こえてきた。
(まぁそれを言ったら私もいまいち実感は湧いてないよね。スイッチのオンオフみたいに恋人モードに切り替えられるわけでもないし、どういう振る舞いをするのが正解なのか)
考えていると弓崎さんが唇を私の首筋に這わすように登らせ、そのまま耳たぶをつついた。
「芳佳……キスしていい?」
「って切り替え早いな!」
「え――」
「いやそんな絶望的な顔はしなくていいんだけど」
振り向いた私の剣幕に驚く弓崎さんにフォローを入れて。
「その、そこまで急に変えます?」
「だってもう恋人なんでしょ?」
「まぁそうなんですけど」
「イチャラブ好きなんでしょ?」
「そうなんですけどぉ」
「私は早く芳佳とイチャイチャしたい」
「…………」
どんどん逃げ場を潰されているような気がする。
弓崎さんが正面から私の手を握った。
「今日、泊まっていくよね?」
「あ、えーと、着替え無いし……」
「晩ごはん買いに行くときに一緒に買お。ご飯代は芳佳が出してくれるからそっちは私が払うよ」
「いやいや私のなんだから私が払うべきでしょ」
「ってことは、着替え買うってことだよね?」
「…………」
にこにこ顔でこっちを見つめる弓崎さん。降参の意味を込めて私は溜息を吐いた。
「選ぶのは智巳がやってよ」
「じゃあすっごい色っぽいの選んであげる」
「紐とかはやめてよ」
「えー、似合うと思うけどなぁ」
楽しそうに笑う智巳を見てるとこっちまで笑いそうになってしまう。
出会って話して打ち解けてそのまま恋人になる――進展が早いことこの上ないけど、まぁ数ある百合作品からすれば割と普通の始まり方なのかもしれない。
二人が幸せなら、始まりなんてどんなものでもいいのだから。
ある日の休日。私は昼間から智巳の家にお邪魔していた。
「芳佳、せっかく来たのにマンガばっかり読まれると私がつまらないんだけど」
ベッドの上で寝転がって百合マンガを読んでいるとクレームが入った。しかし私の視線はページから離れない。
「ここにあるの好きに読んでいいって言ったの誰だっけ?」
「言ったけど、だからって来てすぐずっとマンガばっかりっていうのはひどいと思う」
「わざわざ作品ごとにオススメ度書いてどれから読むのがいいかも教えたくせに」
「それは、いち百合ファンとして良い作品を普及させるのは義務だから!」
「じゃあ薦められた作品を読むのもいち百合ファンとしての勤めなわけで」
「貸すから帰って読んで」
「持って帰るのが重い」
「そこは頑張ってよ!」
「あぁはいはい、おいで」
ぷんすかと怒る智巳を手招きして呼ぶ。怒ったように見えても智巳は素直にベッドの上にやってきた。腕を広げて智巳を迎え入れる。
「こうすれば抱き締めたまま本が読める」
「……私がついでになってない?」
「両方同じくらい愛情こめてるから」
「ならいい」
智巳が私の首元にキスをしてきた。色々言いながらも私の読書の邪魔にならないように頭の位置を下げてくれている。
私は本を置いた。智巳の頭を優しく撫でつける。
「智巳」
「……なに?」
「広いとこに引っ越して一緒に住もっか」
「え!?」
「二人の今の家賃合わせればそこそこのとこ住めるでしょ?」
「そうだけど、芳佳はいいの?」
「いい。っていうか一緒に住みたい」
「なんで? あ、いや、私も一緒に住めるなら住みたいけど」
「そうしたら読書の時間も、二人だけの時間も十分取れるし」
「別に私は芳佳の読書の時間を削りたいわけじゃないからね」
「知ってる。ありがと」
それなりに同じ時間を過ごして智巳の性格や考え方はよく解ってる。彼女の優しさを知っているからこそ尚のこと一緒に住みたいと思うのだ。
「私が百合にハマったのは最近なんだけど、百合に出会えたから毎日が楽しくなった。どんなに疲れていても家に帰って百合マンガや百合アニメを見れば癒された。まぁ簡単に言うと百合が生きがいになったわけなんだけど――」
顔を上げた智巳と視線を合わせて微笑みかける。
「生きがいがもうひとつ出来たんだ。正確には『もうひとり』か。その人がそばにいるならこれからの人生がもっと楽しくなるだろうし、何より家に帰ったときにその人が出迎えてくれたなら――もしくは私がその人を出迎えてあげられたなら最高だって思った」
何に生きがいを求めるかは人それぞれ。仕事でも趣味でもなんでもいい。
でも一番はやっぱり、好きな人と生涯を共にすることじゃないだろうか。
好きな人が待っていてくれるから仕事を頑張れる。好きな人が隣にいるから趣味をより楽しめる。生きがいが二倍にも三倍にもなるんだから、これほど幸せなことはない。
智巳が表情に花を咲かせた。
「すっごい偶然。そのセリフ、私もまったく同じかもしれない」
「そりゃすごい偶然だね」
「でしょ? じゃあ早いとこ引っ越し先決めないとね」
「そうだね。まぁ問題は――」
私と智巳の視線が自然と本棚に向かい一致する。
「箱詰めが大変ってことか」
「あれ? 生きがいの人がそばにいれば楽しいんじゃないの?」
「そうでした。楽しい箱詰め作業を二人で頑張りましょうか」
「うん」
きっとこの先の苦労も、二人一緒なら笑顔で越えていけるから。
終
お待たせいたしました。
6月25日は百合の日、ということでそれにちなんだものをと。
なにがきっかけで人生が変わるか分からないというお話です。