表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

 隣の部屋から、お母さんの喘ぎ声。俺はぷよに没頭している。

「は?」

 コントローラーを放り、周囲を確かめた。

 ……団地の部屋じゃん。

「うそだ、うそだうそだうそだ!」

 信じられなくて、俺はボロのふすまの前に立ち、勢いよく開けた。

 タケシとお母さんがセックスしている。

「うおおおおおおやったああああああ!」

 悲鳴をあげるお母さん。戸惑うタケシ。

「ママのいやらしい姿が見れてそんなに嬉しいのか」

 腰を振るタケシ。お母さんのおっぱいを両手で握りしめる。

「ちょっと、いや、有飛が見てるのに――」

 俺は背を向け、テーブルにあるお母さんの携帯を手にした。

 警察に電話をかける。

「お母さんと恋人の男がボクの目の前でセックスしてます。しかも男はボクを殴ったり蹴ったりしてきます。助けてください」

「ちょ、てめえ、どこ電話してんだ!」

 タケシは怒りながらも、お母さんから性器を抜かなかった。

「警察だけど?」

「お前なにしてんだ!」ようやく抜いた。

「助けて、また殴られるよぉ!」

 タケシに携帯を取り上げられ、殴られた。


 すぐにパトカーがやってきて、タケシとお母さんは連れていかれた。

 夜にはお母さんが戻ってきた。まるで仕事から帰ってきたみたいに「ただいまー」と言って、あとはなにも言わなかった。

 寝るときに、俺は隣の布団にいるお母さんに聞いた。

「タケシ、どうなるの」

「うーん、たぶん逮捕されちゃうんじゃない?」

「お母さん、俺を怒らないの?」

「悪いのは、お母さんたち。警察にさんざん叱られちゃった。……今回のことでね、目が覚めたの。タケシと付き合ってたら、アルくんの頭おかしくなっちゃう。あいつすっごくかっこいいから、もったいないけど、お別れするね」

「……ありがとう」

 無言のお母さん。

「ねえ、本当に怒ってない?」

「怒ってないってばー!」

「じゃあさ、お母さんの布団に行っていい?」

「いいけど?」

 俺はお母さんの布団に潜りこんで、抱きついた。

「どうしたのよぉ」

 頭を撫でてくれる。

 こみあげてきた。ボロボロと。涙が布団を濡らす。

「そっか。さみしかったんだね。ごめんね、アルくん」

 俺は首を振った。「お母さん、いてくれてありがとう」

 お母さんはふふっと笑った。「こちらこそ。あ、タケシがすぐ戻ってくるかもだから、報復されないよう、近いうちに引っ越そ」

「それなら俺、良い場所知ってる。遠くに海が見える団地。お母さん、絶対に気に入るよ」

「へー、楽しみだなぁ」

「お金が貯まったら、そこで家を買おうよ」

「家かぁ。買えたらいいなぁ。お母さん、がんばってお金持ちのオヤジつかまえちゃおうかな」

「お金は大丈夫。パソコンを買って、ネットができる環境を整えてほしい。あとお母さんの金、俺に預けて」

「どういうこと?」

「信じられないかもだけど、俺、これからどういう企業が成長するかわかるんだ。そこに投資すれば、あっという間に大金持ちだよ」

「うっそぉ、すごぉい!」

 お母さんはぎゅっと俺を抱きしめる。

「アルくん、頭いいんだぁ。天才だ。お母さんうれしい。お金、全部預けるから、いっぱいいっぱい増やして」

「うん、任せて」

 ……こんなんでよく詐欺に遭わなかったな。


「おじいちゃん、おばあちゃん、行ってくるね!」

 万実が出てきた。万実のおじいちゃんとおばあちゃんは、ニコニコして手を振っている。俺は頭を下げた。

「おはよう、万実」

 万実がこちらを向く。顔を見ると、強い想いがこみあげて、自然と微笑んだ。万実はそんな俺を見て、硬直した。

「なに? なんか変ないたずらでもする気?」

「さあ、どうだろう」万実のランドセルを持つ。

「いつもランドセル持ってくれてありがと」

「俺がここに住んでる間は、毎日持つから」

「どういうこと……?」

 歩きながら、事情を話した。万実は思いつめた顔をして、ごめんと謝った。

「どうしてお前が謝るんだよ」

「隣に住んでるくせに、あたし、なにもできなかった……」

 こういう優しさが、好きになっていた理由の一つなのだろう。

「万実がいてくれただけで、支えになってたよ」

 驚いた顔で、ぴたりと立ち止まる万実。俺も足を止めた。

「あのさ、明後日の七夕祭り、一緒に行ってくれるか?」

 万実はさらに目を見開く。

「有飛から誘われるなんて、びっくり」

「毎年、誘ってくれてたもんな。でも一度しか行かなかった。今年も俺を誘うつもりだったろ?」

 万実はうなずく。

「じゃあ一緒に行こう」

「……有飛、なんだか変わった。急に大人っぽくなった」

「いやお前、全然変わってないって言ってたじゃん」

「え、なんの話?」

「いや、こっちの話。まだ身長はお前の方が高いな」

「男の子は中学生で一気に背が高くなるって、漫画に描いてあった。有飛、きっとすごく大きくなっちゃうよ」

「実際にお前よりうんとでかくなるぞ」

 ふふと笑う万実。「なぁにその言い方」

 俺は笑みを返して、歩きだした。


 校門前にリムジン。純が降りた。いってらっしゃい、と車の中の男の声。いってきます、と純。リムジンが離れると、俺は歩度を上げて近づいた。

「おはよう、純」

「おはよう。えっと、永井有飛くんだ」

「ああ。こっちの名前も、覚えてるんだろ?」万実を指す。「純は同学年の生徒全員の名前を記憶してる」

「え……うん。人の名前をちゃんと覚えるのは大切だって、パパが言うから」

「そうか。純はすごいな」

 にこっと笑う純。俺の持つ赤いランドセルを見て、万実を見た。

「宮部さん、いいね。彼氏にランドセル持ってもらって」

「違うわよ!」

「でもいずれそういう関係になるな」

「はい?」

 ワァオ、とでも言うような口の動きをする純。

「有飛、純くんをからかわないで。毎朝なぜかあたしのランドセル持とうとするのよ。断ってもトレーニングを邪魔するなとかなんとかわけのわかんないこと言うの」

「毎朝?」純はいたずらっぽく笑った。「毎朝一緒に登校するんだ。絶対に特別な関係でしょ」

「ああ。熟年夫婦みたいなもんだな」

「ちょっと有飛!」

 万実はかわいらしく顔を紅潮させ、早口で同じ団地に住んでいると説明した。

「なんだかうらやましいな」ぽつり、と純が言った。「二人は、自由で、特別な世界に住んでる感じがする」

「いやいや純くんの方が、特別な世界にいる男の子よ?」

 純は意味ありげに笑む。

「あ、そうだ、明後日俺たちと七夕祭りに行かないか?」

「悪いけど、パパが許さないから無理だよ」

「お前を会社の後継者にするために、厳しいこと言うんだろ?」

 純は目を丸くした。「永井くんは、心を見透かすのが得意だね」

「まあな。一応、聞いてみてよ。純は絶対、祭りを気に入るから。そんで将来、七夕祭りのスポンサーになるんだ」

「面白いこと言うね。……わかったよ。パパを説得する」

 純は心を決めたように、真顔になった。

「永井くんとは初めて話したのに、前から知ってたみたいに感じる」

 純がスッと手を出す。俺は微笑み、純と握手を交わした。


 神社へと続く道が煌びやかに輝いている。出店がずらりと並んでいて、いろんな声が飛び交っていた。

 万実は楽しそうに店を回った。俺は万実を見守るように、傍にいた。

「それにしても、お前、そんな浴衣持ってたっけ」

「持ってたわよ……」金魚すくいに集中する万実。「去年も、一昨年も、祭りで着てたんだから」

「ふーん。似合ってて可愛いよ」

 ざばっ、とポイを水に突っ込んで、紙が破れた。振り返って俺を睨む万実。顔が真っ赤だ。

「もう、ほんと、なんなのよ、最近あたしをからかいすぎ」

 俺はくっくと笑った。

「永井くん、宮部さん」

 声に反応して振り向く。純だった。浴衣を着た綺麗な女の人と手を繋いでいる。

「おぉ、純。お前これないって言ったじゃないか」

「うん。でもパパを説得した。そしたらパパも来てくれたんだ」

 純の後ろには、リンゴアメを食べている四十代くらいの男。

「そちらの方がお父さん?」

 俺の声に、リンゴアメの男はにこやかに笑って、「こんばんは」と言った。

「パパ、お仕事休んでまで来てくれたんだよ」

 純は嬉しそうだった。

「よかったな。綺麗な姉さんと一緒でうらやましい」

「姉さんじゃないよ、ボクのママ」

 俺と万実は同時に「え」と声をあげた。女の人はにこにこ笑う。

「姉さんだなんて、嬉しい。いつも純と仲良くしてくれてありがとう」

「し、失礼ですが、おいくつですか?」

 こら、と万実が俺を叱る。

「いくつにみえるかなぁ?」

「セーラー服を着てたら女子高生にみえます」

 キャ、と言って顔を覆う女性。指の隙間から俺を見る。

「こう見えて、もうすぐ三十二歳よ」

 ……全然見えない。

「ねえあなた、この子たちになにか買ってあげましょう」

「好きにしてくれ。オレはあっちでたませんを買ってくる」

 純のパパは去っていった。

 俺たちは、純のママにかき氷を買ってもらえた。ベンチで食べていると純のパパがやってきて、大声で純を呼んだ。

「あっちに射的があった! はやくこい、やるぞ!」

 純はくすくすと笑う。「パパ、なんだかんだでお祭りを楽しんでる」

「あの人、子供っぽいところあるから」微笑む純のママ。

「じゃあボクら、行くよ」

「ああ。かき氷、ありがとう」

 俺は純にそう言ってから、純のママに頭を下げた。ママは笑顔で頭を下げ返してくれた。

「じゃあね、永井くん、宮部さん。お幸せに」

「えっ、えぇ! 純くんまであたしをからかわないで」

「結婚式は呼ぶから絶対来てくれよ」

「なに言ってんのよぉ!」

 俺を叩く万実。かなり強めだった。

「宮部さん、顔が真っ赤だ」

 楽しそうに笑う純は、もう一度手を振って、去っていった。

 万実は自分の顔をずっと手であおいでいる。

「あぁ、もうあっつい……」

「もっと暑くなること言ってやろうか」

「これ以上からかわれるとあたし溶けて消えちゃうよ」

「俺、万実を一度もからかったつもりない」

「え……」

「俺と結婚してくれ」

「え、ええええええ、あんたなに無茶苦茶言ってるの――」

 万実の両肩を、ぐっと掴んだ。

「純じゃなくて、俺を選んでくれるか?」

「ど、どうして、純くん?」

「いや、ほら、あいつ金持ちだし、いいやつだし、かっこいいじゃん。もしも純がお前に告白したとしても、俺を選んでくれるか、って」

「わけわかんない……」

「俺のこと、好きだろ?」

 万実の目が泳ぐ。

「俺も万実が好きなんだ」

 万実の瞳が、俺の目にぴたりと重なった。

「だから、万実と結婚したいんだよ」

 万実の顔がくしゃくしゃになっていく。

「有飛、本気なんだ……」

 俺はうなずいた。万実は、嗚咽した。

 俺にひっついて、しばらく泣いていた。


 打ち上がる花火を眺めながら、神社への長い階段を上る。

 境内に並ぶ竹には、無数の短冊が飾られている。七夕祭りでここに願い事を飾ると叶うことで有名だった。まあ、これだけ短冊があれば、誰かは叶うだろう。

 そんな野暮なことを思いつつも、俺たちは短冊をもらい、それぞれ願いを書いた。

『幸せのまま、人生の幕が閉じますように』

「なんて書いたの?」

「教えない。万実が教えてくえたら見せるけど」

「あ、あたしは、恥ずかしいから無理」

「じゃあお互い見せないでおこう」

 ぷくっとふくれっ面になる万実。

 結局見せ合わず、それぞれ別の場所に短冊を飾った。


 神社を出ると、万実が言った。

「実はね、あたし、七夕祭りに飾るお願い、毎年同じなの」

「へー。そりゃ叶うといいな」

 ふふふ、と万実が笑う。

「なんで笑った?」

「内緒」

 万実は俺の手をぎゅっと掴んだ。

 万実の手を握り返す。

「なあ万実、どっかひと気のないところでファーストキスしよう」

「は、はあ? 急すぎる、なんでもっとムードを考えられないの?」

 その言い方は、キスをしても大丈夫ってこと。

 万実を引っ張って身体を寄せ、唇を重ねた。


 俺と万実は十八歳で結婚して、すぐ子宝に恵まれた。

 経済的余裕は充分あった。俺は世界的にも有名な投資会社の社長だったから。

 有り余る金を色んな分野にばらまいた。世界中に莫大な寄付もしていた。慈善家として名を知られると、小銭はいくらでも入ってきた。永井グループが展開するあらゆる事業は信用されて、誰もがウチの顧客になりたがった。純の会社も、永井グループの傘下に入ってくれた。

 万実はたくさんの子どもがほしいと言った。最終的には七人産んだ。子どもたちはやがて成長し、俺の仕事を手伝ってくれる。万実の育て方が上手だったから、みんな父親想いのいい子だった。

 六十歳を迎えると、俺は会社を引退した。

 それからはプライベートジェットで万実と世界中を旅した。特に万実の望みで、貧困の国に建てた学校を回った。俺たちがやってくると、みんな手厚く歓迎してくれた。

 八十四歳。くも膜下出血により、万実が突然亡くなった。

 いつか死ぬことは受け入れていたつもりだが、まだもう少し、二人で仲良くいられると信じていた。大きな病気もなかったのに。

 万実の死は、耐えがたい苦痛だった。

 前回の人生で、母が死んだときを思いだした。今回の人生で母が死んでも、俺には最愛の万実がいたし、二度目だったので、深い悲しみにとらわれることはなかった。

 俺は前回母が亡くなったときのように、ショックでベッドから起き上がれなくなった。子供たちはそんな俺を優しく介抱してくれた。

 三年経って、ようやく万実の死を受け入れられた。子供たちが傍にいてくれたおかげだった。孫も、俺を励ましてくれた。

 だが三年ですっかり俺の身体は弱り、大きな病を患った。九十歳まで生きられないだろうと医者は言っていた。

 じゃあ九十歳までは絶対に生きてやる、と俺は日々、病魔と闘った。

 九十歳の誕生日。家族一同、誰一人欠けることなく、俺を祝ってくれた。

 俺はベッドにいて、ほとんど喋れなかったけれど、幸せだった。

 このまま、死ねると思った。

 みんなが帰ると、張りつめていた神経が緩み、命が失われていくのがわかった。

 ……ああ、これで終わりか。

 瞼が重くなる。

 人生が思い返される。

 果てしなく長かった。

「神様、ありがとう」

 最高の人生を生きるチャンスを与えられた。

 俺は、それをものにした。

 永井グループの繁栄を思う。

 子孫の幸せを願う。

 先の未来を見られなくて、残念だ。

 意識が、薄れる――

 ――……。

 …………

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ