来訪者①
どこからともなく、祈りの祝詞に似た讃美歌と風に乗ってやってくる。
それは天に在すると云われるお父様が言い伝えた伝承と異なる、死を仄めかす言わば黒き言霊。
“死による魂の安楽を”
それを享受し説く後ろ姿にはすっかりと取り付き離れずにいるのは骸骨の笑み。
それが彼らの頂点に君臨する者の姿でもある。
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かつん かつんと踵を鳴らしながらずんずんとその男は人目に憚りながら一室を目指す。
ここは、このような男には不必要であり不似合いな場所…、所以清廉なる野戦病院。
病院といえど諸事情で正規の診察を受けれない者が集まる御上非公認で在する場所。
そこは医師免許を剥奪された者や一風変わった所以偏屈者、表世界、世間を追われた非公認での闇医者が集まりでもあった。
殺し屋であるユリアも例外なく、重傷を負った彼女を連れアサギがやってきたのはそんな、後ろめたさを隠し得ないそんな場所だった。
そのような場所に対し、スーツを着下して、ボタンをいくつ外してワイシャツは胸が大きく開いておりそこから見えるのは随分古びてしまっている臙脂色の十字架。
そして抱えられた大量の深紅の薔薇の花束。
どこからともなく口笛が流れ聞こえてくる。
それは男が奏でる物だということは云わずとも周知の知るところであるが。
「…すいませーん。そこの白衣の天使さま、ちょっと俺と話でもしようよ。ちょっと聞きたい事もあるし」
姿そのものと態度というように、少しばかり軽口を挟みひらひらと掌を動かしながら男は通りかかった一人の看護婦に話しかける。
「…はい?何か用かしら」
少しばかり不機嫌を雰囲気に醸し出して、眉間に皺を寄せて怪訝そうに男を睨み付ける看護婦。
どうやら、話しかけられた事に関して不満が生じたのだろうか。そんな様子にも臆する事なく小さく感嘆の声をあげて言葉を繋ぐ。
「なんと悲しきかな、最近の天使さまはにこやかに対応してはくれないんだなあ。
俺の師事をしていた白き羽根の天の使いはそれはそれは母なる愛を持ちその笑みは慈悲深きものとされていたのに」
頭に手をやり悲観を表している男に対して、嘲笑うようにふんと一蹴する看護婦。
「おあいにく様、あたしはそう易々と笑顔の安売りはしていないの。
ただのナンパか世間話なら他、当たってもらえる?安月給なのに、バカたちの面倒を看せられてて今忙しいんだから」
看護婦にあるまじき姿、彼女は懐から煙草を取りだし火をつけながらきっぱりと言い放つ。高飛車と捕られる傲慢さを隠そうともせず、逆にそれを全面的に押し出しながら。
「おっと、それはそれは失礼、麗しの天使さま。お見舞いにきたんだよ、ほら、この花束が目印。」
「深紅の薔薇…。そんなのが似合う奴が入院してたかしら…」
はぁと紫煙を吐き出しながら看護婦は頭上にはてなマークを浮かべて入院患者の名前を思い返してみる。花が似合いそうな戦闘狂…。
「…あ。もしかしてあんた、あの金髪のお嬢ちゃんに会いにきたの?」
看護婦の記憶に該当する者が一人存在したようだ。目を大きく開き、思い出した事を嬉しそうにぱぁんと手を叩く。
そんな姿を見て男も口角をあげて眼に嬉と下心を浮かばせて口を開く。
「そうそう、見た目繊細で華奢で、目付きが超怖いんだけどかなり可愛い女の子。
病室どこかわかる?あの子、ユリアちゃんって名前なんだけど」
瞬間に看護婦に近付き、身体を密着させて腰を抱き、問いかけながら男は看護婦の長いブロンドの髪をくるくると指に巻き付けながら弄ぶ。
「…この先の角を曲がった202号室で寝んねしてるわ。まだ完治には程遠いんだからそう長くは面会させてあげられないわよ、だからさっさと帰りなさいね。
大体あんなの、とんだヘマをしないか若しくは自分より格上に挑まないと負わないような怪我よ。あんた、お嬢ちゃんの知り合いならよく注意してげる事ね。命が惜しいなら寿命を縮めるようなおバカな真似はおよしなさい ってね」
腰を抱く手をぴしゃりと叩き遠回しの男の誘いをなぎ払い、少しばかりの忠告を突き付け看護婦は男に背を向けその場を後にする。
「じゃあね」とひらひらと手を振りながら。
「…おーぅ。いいねえ。
けど気が強い女はなかなか好かれねぇぞーっ。
まあ、俺はああゆう女のプライドとか芯を粉々に砕き壊して調教して自分好みに仕立てるのが嗜好だったりするけどね。
さて、202号室か。まだ姫様は寝てるかなー?」
そんな、軽口を叩いて指示された部屋へ向かう。勿論深紅の薔薇を抱えながら。
示唆された部屋に一歩足を踏み入れると、白いカーテンが風に靡き、穏やかな陽光が部屋に射し込み今日と云う日が小春日和と呼ばれるものだと安易に直結出来る。
こじんまりとした部屋に唯一置かれている白いベットには、静かに寝息をたてる金髪の少女…ユリアの姿。
その寝姿はまさに眠り姫のようで、寝息で上下に肩を動かす以外一切微動だにせず固く瞑られた瞳。
痛々しく各所に包帯と絆創膏で治癒に当たっている。か細い腕には、これまた細いチューブがつけられておりその先は点滴に繋がっていた。
ふわりと風が彼の髪を揺らしていても起き上がる気配は一切見られない。
「…まだ朝早いもんなー…。てかこんな穏やかな顔して寝るんだ、ユリアちゃんて」
ベットのすぐそばにある花瓶に乱暴に薔薇を挿して、眠るユリアに近付いていく。
それさえも気付かないのか、未だに静かに寝息を立てているだけ。
縮まる距離、固く閉じられた眼。
ベッドサイドのパイプ椅子に腰をかけ、眠るユリアの髪に手を伸ばす男。指先が髪に掠めるか否かの瞬間に固く閉ざされていた筈の瞳が大きく開き、瞬く間に起き上がり手には銃を持ち男の眉間に銃口を向ける。
がしゃあん!!
勢い余ったのか、繋がれていた管を無理やり抜いた為に点滴の装置は盛大な音を立てて倒れ真空パックに入れられていた液体は衝撃とともに破裂。それは床に流れたまま放置される。
髪を振り乱し構うことなく銃口を向けたユリアの腕にも引き抜いた形跡が残り、白いシーツの上に滴り落ちる血液。しかしそれは彼女にとってさほど大した問題ではなかったようだ。
相手に一切の視線を向けぬまま銃口を突き付けながら言葉を発する。
「…気配を消したら気付かれないと思ったのかしら。誰かは知らないけれど残念ね。あたしの根首を取ろうなんざ100年早い…って!ボス!?」