お伽噺の世界だけだと思っていたよ
『こんな事になってから会話を交わすなんて、可笑しい話だろうけど。とりあえずは自己紹介させてもらうね』
少女は書類か何かで俺の事を調べ上げているからそんな必要性なんてないのだろうけど。
「…わたしはユリア。あなたが言う通り、雇われた暗殺者よ」
予想に反して、少女…ユリアから口火を切ってすらすらと名を告げる。視線は勿論合わせず、ひたすら負った傷の治癒に専念していたのだけれども。
『ユリアね。初めまして。
君はもう知っているだろうけど、俺はアサギ。
とりあえず君と同じ同業者だ。まあ、世間には知られていない方の事を任されていたけどね』
少し目を見開き彼は包帯を巻く腕を止めて対峙するかのようにようやく俺に目線を合わせて静かに口を開いた。
「…世間にはって…、もしかして政府…御上の専属だったの?」
『…まあ。そういう事になるね。君は知らない?夜を支配する…“夜の統治者”の噂』
いつの間にか名付けられていたもうひとつの通り名。通り名を口にするだけで、人々は震え上がり罪人は慄き命乞いをしていたという影の逸話。この世界に身を置く者で在らば、知らぬ者は誰一人としていない筈なのだけれど。
「…知らない。噂話なんて興味ないし、自分の眼で見たものしか信じない性質だから」
表情ひとつ変えずに言い切る姿から見て、本当に少女は俺の存在を知らないのだろう。このような者がまだ存在していたのか。
『…成程ね。だから護身銃やら発光弾だなんて使用したんだね。随分甘く思われていたのは気のせいではなかった』
「これは依頼者からのリクエスト。発光弾使って目眩ましして背後を狙え…って。
わたしはそんな小細工使わないで普通に弾丸戦に持ち込みたかったけどね」
淡々と暴露を重ねる少女だが、情報を与えて“やっている”と云わんばかりの口調。微々たる情報を口にしても大した痛みも痒みもないのだろう。
『…ねえ、君はこの仕事は一人で行っているの?目的はなに?』
確かにこの世界に身を置く以上、誰かに恨み妬まれるのは当然の事。しかし俺は云わば“影の執行人”。この任に就いたあの日以来表舞台に立つこともなければ人に姿を見られた事などない。(自ら人と距離を置いて生きてきたし)俺の正体を知っているのは、本当に数少ない人間だけだ。
「目的?話す理由はない。それに何当たり前の事を言ってんのよ、部屋から見ても人の気配なんてあるわけ…、いた…っ。」
痛みに顔を歪ませ、二の腕にそっと手を添える。そこからまた新たな血がじわりと滲んでいる。真っ白い包帯が直ぐ様に朱色に侵食されるのを繰り返しており、ゴミ箱には使用済みの包帯が幾重にもなって放置されていた。
『…ごめんね、怪我を負わせてしまって…。手を弛めたつもりだったのだけれども』
「はあ?何を言ってんのよ、あなた、今の自分の状態を考えてから物を言いなさいよ。自分を殺った相手に何を気遣う必要が…」
言いかけて止まる、少女も俺も思考はひとつの考えで一致したからであろう。
『まさかね、幽体離脱なんてね。俺だってそんなのお伽噺の世界だけだと思っていたよ』
けれど、これは(信仰など持ち得ていないが)神がお与え奉った最期の好期なのかもしれない。最後の任務遂行とそして罪深き自身への贖罪。
『(きっと俺を怨む人間は数知れない。例え御上からの任だとしても、“黒薔薇の騎士”の称号を捨て成り下がり命を奪い続けてきた事には変わりなどありはしないのだから)』
その者が願うのならば、俺は喜んでもう一度命を差し出そう。その為に兎にも角にも、“ユリア”に懇願しなければならない。現状況で頼れるのは目の前の少女しかいないのだから。
『…ねえ、ユリア。俺と取引きしない?』