ランキングのすべてが必然ではない
ランキングの重要な謎が解けたと思う。ランキングは上位をまとめて見て評価しないと価値が分からない。なろうのランキングでは、どれほどの数の人間が大絶賛しようとも、10作品のうち2作品ほどは読者にとって駄作としか思えない作品がある。
なろうのランキングではと書いたのは、これがもっと一般性の高いランキングなら変わると考えられるからだ。
何故違いが生じるか?と言うと、どれだけ好きでも似たようなファンタジーだけで占められた作品群のすべてがその人にとって面白いと感じることはないようだからだ。何作かどうしても理由を述べられない主観的な駄作が存在する。それにたまたま当たってしまった人はランキングの価値を認められないと言うのだと思う。そしてそれはファンタジーが好きでなろうに来てないとなお増加するだろう。
好みの問題なのか?と言うとそもそもファンタジーが好きで見に来てるのでその時点でその人の好みには合致してる。どれだけ好みのタイプでもそのすべてが面白いと感じるのは無理だと言う事のようだ。
じゃあ、すべて理由が無いのか?と言うとそうじゃないと思う。ただその時にその人が感じているつまらなさが過大評価なのか?それとも個人的なものなのか?は正直分からない。私の場合は一発屋で終るようなタイプの作者の作品を過大評価と見る傾向強い。それはある程度客観性があると思う。
1作品でも人気作を作るのは力だと言えるけど、多くの人がその作品を気に入って作者の名前を覚えるのはむしろ次回作への期待のためだと思う。次も面白い作品を作って欲しいという願いを1つの作品にこめてるとも考えられるからだ。
つまらなさに関する過大評価に対して、様々な理由が述べられる作品も割合としてはあると思う。だがどれだけ考えても何故これが受けてるのか?が分からない作品がある。それは上位作品ほど割合は少なくなるだろう。
だが、そのことについて考えるのは危険だと思う。そういった作品はランキングが事実として10位以内の作品であっても、仮に1000位の作品であってもなんら変わり無いようにも思えるが、そこを注視しすぎるのはよくないと思う。
なぜならそこを注視しすぎるとランキングなんて意味が無いと言うただの否定になってしまうからだ。
私は、作品に関する過大評価への思考停止をするために書いてるわけじゃない。過大評価の理由はいろいろあると思う。それはきちんと事実として認めるべきだと思う。もしかしたら、その根拠がきちんと客観的に理解できるものになってるかもしれないからだ。
インチキだと言うのが一番簡単だと思うけど、これは敢えて最後にする。私がランキングについて述べるようになったのは、インチキと言う前にお前はもっとランキングについて考えたのか?という怒りがあるからだ。
もちろん私はインチキがあるかもしれないこと自体を否定してるわけじゃないし、そういった事実や噂にはそれなりに敏感になってる。BANだけを根拠にせずグレーな部分には多少の批判があって良いと思う。
しかしそれグレーじゃないだろ?ってものを無理矢理批判する根底にはランキングについて分かってない思考停止があるからだ、と言っているのだ。私はこれを辞めさせたいし否定したい。
ランキングの意味とは、駄目だこりゃって感じる作品の割合が減ることであって、上位は絶対揺るがない面白さがあるという保障ではない。むしろなろうのランキングでは、上位作品でもこれ1000位でも良いわと当たり前に思える作品が主観的に多いことは否定しない。何故そうなるのか?は分からない。それはなろうの総合ランキングだけの現象で、他のランキング全ての現象じゃない。
なろうのランキング順位が妥当か?と言う事についてはいろいろもやもやするものがある。漫画の発行部数ランキングなどの上位作品をみると面白いと感じる割合がなろうとは比較にならない。
それはまずなろうがファンタジーでも特定の作品に偏ってるのがあると思う。次に、なろうランキング自体がそもそもそういった全体のランキングの中で上位じゃないって事。それからそもそも漫画とライト小説が較べられないと言う点が理由としてあげられると思う。
じゃ一般的に流通しているような小説と比べればいいのか?これも問題があるんだ。中身は漫画みたいな物語ばかりなのに、文字と言う表現だけで小説と言う括りの中に置く違和感。反則イカサマ?な香りがしてしまう。
私はライトノベルが小説でそれなりにオリコンランキング中位で量産できてるのは微妙にインチキ臭いと思ってる。
なろうファンタジーは一般的な小説じゃないと言う意見は否定していたのでは?と言われるなら厳密に言うと私は、なろうファンタジーは小説というより漫画の方が近いと言っているんだ。
私が今言っているのは、ハードSFとSF全般の括り方の違いの様な話だと思う。狭義ならなろうファンタジーは小説として括るのは良くないと思ってる。広義では物語を語るものとして、小説となろうファンタジーは当たり前に多くの共通点がある。もっと言うと狭義で言えば現代小説っぽくないんだ。
広義と狭義を使い分けて良いなら、私はなろうファンタジーを小説から除外するのを特に否定し無い。だから私は以前のエッセイでライトノベルキーワードを作って小説全体から分離したほうが良いと書いたのだから。
但し、なろうのランキングはそもそも他のランキングの物語と比べたら下のレベルなんじゃないか?と思うところがある。だから多くの人の支持があっても当たり外れが大きいのではないだろうか。これがなろうランキングだけの特殊要因だと思う。
その上で言うなら、それでもこうした全員参加のランキングには上位作品でも数作品は、この作品1000位でも1万位でも良いわって過大評価にしか思えない作品がどうしても、どんな人間にも必ずあると言えるだろうと思う。
だが、その点について何かを考えても意味が無いと言っているんだ。そういう思考をやめようって話。それを根拠にしても全く意味が無いんだよ。
私は様々な感想を読み、私自身の感じた事と総合して、ランキング内のそういった作品についての過大評価にはそもそも理由なんて無いって結論付けた。
何度も書くけど、根拠のある過大評価はある。それは多くの人で話し合える内容だと思う。だが、どうしても説明がつかない、駄作としかその人個人には思えない作品が存在し多数の人間とのズレは必ずと言っていいほどおきるものなのだと思う。
何故このように考えることが重要なのか?と言うと、そのズレが特定の層を作らないなら、それはただの偶然的なものだと言う事でそのことについて考えても意味が無いからだ。
私はこういった作品がランキングに入ることが、偶然だと言い切ってるわけじゃない。考えても仕方ないと書いてるんだ。誰しもが生じる一定の割合で起こる駄作と感じる主観に意味など無い。ランキングとはそういうものだと思ったほうが良い。私が感じている駄作感についてなら黒い噂グレー疑惑などこういったものがつきまとう確率は別に高くない。
そして、多くの人が過大評価だとして取り上げる作品に法則性は全く無い。互いにバラバラなのだ。
過大評価として批判されやすい作品には規則性がある。だがそれさえもその事について話し合えるだけで、評価がインチキであると必ずしも決め付けられるような理由は無い。
ただし、なぜその過大評価が生まれているのかということを考える事は有意義だと思う。だが何度も言っているように同時に何の意味も無い過大評価だと考えられる作品がランキングに入ることとの主観のズレが必ず発生するのをしっかり考えたほうが良い。
最後にもう一度、なろうランキング上位でも数作は必ず何の意味も無く主観的に駄作だと感じられる作品は存在する。それは個人の好みとかそういう分かりやすいものじゃない。
だからそのことについて考えてもサイコロの目を当てるような無駄な思考にしかならない。