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死の衝動

 いつのまにか誘導されていた。

 この人、なんで私が死ぬつもりだと知っているのだ。


「そりゃあ分かるさ」

 私の心の呟きに彼が答える。

「なんで?」

「目を見ればさ」

 目?

「あんたは死にたいって目をしてる。どうしても死にたくて死にたくて仕方がないんですっていうな」

「ウソ。そんなことないです」

 私は彼の言葉を勢いで否定する。

「それこそウソだな。勢いで話してても始まらないぜ。取り繕っても仕方ないだろう?まずは認めなさいな」

――う、おっしゃるとおり。

 本当に全て見透かされている。


「…………まあ、確かに今のは売り言葉に買い言葉でウソつきました。私は凄く死にたいです」

 私は正直な意見を述べた。

 考えてみれば、知子でもない、特に知らないこの人の前でウソをつく必要もない気がした。

 今更何を守ろうとしているのだ私は。

「はっはっはっは、こいつは、正直でよろしい」

 愉快そうに彼は笑った。

 こんな話になっても雰囲気を変えない彼に救われている自分がいた。

 それに、もともとは私から彼に突っ込んだ話を振ったのだ。それで、近づきすぎて墓穴を掘った。

 それでも、今までの関係性を簡単に維持してくれている彼に、私は多分感謝しなければならない。


 ちらっと彼を見た。

 目があった。

 慌てて私は目を逸らした。あれ、なんで逸らす必要があるのか?あれ?

 ああ、そうだ、目だ。うん、それだ。


 彼の「目を見たら分かる」という言葉だ。

 目を見たらその人間が死にたいかどうか分かる?

 そんなバカな。


 私と彼に接点はない。それ以前に私が死ぬことは誰にも喋ってもいなければ私の日頃の所作にも影響を及ぼしていないつもりだ。いや、あくまでつもりだが。

 それが、こうもあっさりと露見するなんて。能天気な顔をして。一体なんなのだ。

 馬鹿。バナナマン。変態。


 そんな私の脳内など意に返さず、彼はまた私に質問をする。

「で、やっぱりあんたまだ死にたいのかい?」

「死にたいです」 

 私は正直に答えるしかない。

 だって私は死にたいのだから。

 でも。

「でも、最近はよく分からない。あなたと一緒に遊ぶようになってからは、そんな気持ちも……その……ちょっと、なくなってきたというか……」

 もじもじと呟きながら、私は何だか恥ずかしくなってきた。

 なんでこんな事を言ってるのか。これでは、まるでその……あれだ。こ、告白みたいじゃあ……ないか。


「そうか。ふうん」

 私の顔が赤いことなど意に返さず、彼は明らかに適当な相槌をうつ。

 それはそれで少し腹が立ったので、くたばれと心で呟いた。


「なるほど……」

 彼は何やら一人で考え込んでいた。小さな声で独り言を呟く。

「つまり、俺にもまだ……ってことか。いや、違う。違うぞ。まだまだだ。まだまだってこった、はは」

 何だか一人の世界に入り、ぶつぶつと言っている。

「ねえ、突然閉じこまらないでくれますか。失礼ですよ」

 私は彼の頬を指で突っつく。胸の中に抱いたなんだかよく分からないいくつかの感情もその人差し指に込めて。

「ああ、ごめんごめん」

 そこで今初めて私の存在に気がついたかの様に彼が横を見た。


「それじゃあ、これからだな」

――さあ、これからが本番だ。

 そんな雰囲気で、彼は言った。


「これからって?何がですか?」

 訳が分からず私が訊ねると、彼ははっきりと答えた。

「あんたは今ちょっと生きたくなってきている。生きることに前向きになってきている。それは間違いないだろ?」


――だからそれはさっきも言ったじゃん。適当な返事をしておきながら何を今更確認を取るようなことを言ってるんだこのニブチン。


 そう心で毒づきながらも私は頭を縦に振る。

 その答えに彼は満足げに頷く。


 そして再び口を開き、言った。

「だが、それと同時に、あんたは絶対に明日も死にたくなる」


 それは、断定だった。

「……どういうことですか」

 つまり、と彼は続ける。

「あんたは今少し生きる気力が湧いてきている。でも、必ずまた明日死にたくなる。そして夜になったらまたここにやってくる。何の為にかって?勿論、死ぬ為にさ。結構厄介な引力を持ってんだ、あんたの中にある死の衝動は」

「死の、衝動」

 それは初めて聞く言葉だったが、耳にした瞬間、胸が少し痛くなった。その言葉を受け取った心臓が、喜びと悲しみの感情を同時に抱いた、とでもいうべきか。それはなんだか、冷たさと暖かさとが混ざった感情だった。


「死の衝動ってのは、簡単に言えば『死にたい』っていう気持ちのことだ。あんたは今『生きてもいい』っていう気持ち、つまり生への執着を持った。それでもまだ『別に生きてもいいか』ってレベルだろ?そんなんじゃあんたの中にある死の衝動には太刀打ちできない」

「だから、明日も死にたくなるってことですか?」

「ああ」

 間違いない、と彼は再び断定する。

 確かに私は今までずっと毎日死にたくなっていた。それこそ彼の言っている通りである。

 それでも、彼の前でそれを認めるのはなんだか嫌だった。私は、自分で答えが分かっていながら尚、何度目かの悪足掻きをする。

「でも、そんなわけのわからないものの所為で私が死にたい、というのはちょっと乱暴なんじゃないですかね。話に脈絡もないし、無理があります」

 しかし、即座に彼が私に反撃の質問をする。

「あんた、何で自分が死にたいのか説明出来るかい?」

 ぎくり、とした。

 それは私が一番探していて、見つからないものだった。

「誰かに非道いことされた。嫌なことがあった。出生がどうだ。死にたいなら大なり小なり理由がある筈だろ?あんたはもうそんな所にはいない。なんて言えばいいのか……あんたそのものが死の概念、みたいな。死の塊って言ったら印象悪いけど…………なあ、俺の言っていること、分かるだろ?」

「分かんない」

 分かる。

 凄くよく分かった。

 ただ、死にたい。

 死ぬ為だけに死にたい。

 それが私の中にある上手く言葉に表せない、理由なき理由なのだ。

 黙りこんでしまう私に、彼は話し続ける。

「でもそれに俺は干渉出来ない。あんたが決めることだ。俺に出来るのはこうしてあんたと遊ぶだけ。助けてやることは出来ない。俺は『医者』じゃないんでね」

「どういうことですか?」

「つまり、俺にはあんたを手術してあんたの中にある『死』を排除したり、また逆にあんたの『生』を強くしたりは出来ない。俺に出来るのはあんたの中にある『死』を散らすだけだ。死にたいあんたを楽しませ、あんたの中にある『死』を一瞬散らせる。そして、また明日。でも、『死』っていうのはそう簡単に消えてくれない。すぐに宿主のあんたん所へ帰ってくる。そして、次の日もあんたは死を求めてここへやってくるってわけだ。んでまたもや俺はそれを散らして、また明日。また明日。また明日。子供の楽しく遊んでまた明日、なんてのとは全然違うけどな」

 そう言うと彼は特に面白くもなさそうに笑う。

「ちょっと待ってください……」

 私は突然の彼の話についていけない。

 訳が分からない。

 頭が痛い。


 何か大事なことを忘れている――。

 そんな気がした。


 ちょっと待て。

 そうなると、彼の今までの行動は全て私を死なせない為、ということになる。

 何故彼はそうまでして私を死なせたくないのだろうか。

 それこそ、理由が思いつかない。


「…………!」


 そこで私の意識は一気にクリアになる。

 世の理が脳内に飛び込んでくる感覚。

 私は全てを悟った。

 そうか!そうだったのか!

 ひょっとして。この男…………。


「さては、私に惚れてますな?」

「馬鹿言え」

 即答だった。

 そして彼は腹を抱えて笑い出した。失礼なヤツだ。

「何ですか?」

「いや、まさか今の雰囲気からそんな言葉が出てくるとは。ははは。やっぱりあんた面白いな」

 私は何も面白くない。正直頭の中は今でも色んな情報で混乱中だった。

 そのままおどけながら彼は私に言った。

「まあ、これは暇つぶしみたいなもんだよ。あんたには悪いが、俺は別にあんたが死のうが生きようが、正直言ってどっちでもいい。あんたの言うみたいに、惚れてたんなら別だがな。賭けっていうか、ゲームっていうか?トランプ?うーん、違うか?まあ、俺にもよく分からないけど」

 ゲーム?賭け?どういうことだ。聞けば聞くだけなんとも要領を得ない話である。

「だったら私にはもっと分からないや。それで、これから私はどうしたらいいんですか?」

 私は彼に一番聞きたかったことを聞いた。分からないことを今うじうじ悩んでいても仕方がない。彼が私の「死」をどうこうなんて話、どうでもいいのだ。一番大事なのは、これから私はどうしたらいいのか。それだけだ。

 私の真剣な眼差しを一瞥してから、彼は両手を開き、言った。

「まあ、あんたが本当に死にたくないんだったら、精々頑張りな。ただ大変だぜ。人間、死にたい理由なんて笑っちまうくらいにそこらへんに簡単に転がっているんだ。ていうか理由がなくても死にたい人間だっているもんな、ここに。でも、生きたい理由はな、しっかり考えないと見えてこない。まったく世の中、本当に生き難い訳だぜ」

 そう言って笑った彼の目が、全く笑ってなく、どこか悲しそうに見えたのは、月夜の光が私に見せた錯覚だろうか。


「あなたはどうするんですか?」

 そして私は二番目に気になることを聞いた。

「俺は変わらない。明日も俺はここにいて、あんたを遊びに誘う。精々道化(・・)らしくな」

 そして私の「死」を散らす、ということか。でもだったら……。

「だったら私は大丈夫じゃないでしょうか。あなたと遊んで楽しくなって、そのうち……」

 私の言葉は彼の大きな溜息でかき消された。

 優しく悲しげな彼の目が私を見つめる。本当に残念なんだが……とその目が語っていた。

「さっきも言ったろ?俺はただの道化だ。あんたを楽しませることしか出来ない。『死』を『楽』で散らせる。でもな、そこまでだ。散らせるのが『楽』の限界。頂点だ。『楽』が『死』に勝つことなんて出来ない。だって、考えてもみろよ。実際はさ、死ぬことがこの世で一番の『楽』なんだぜ」

 その時、心臓が変な音を立てた気がする。

 死ぬことがこの世で一番の『楽』。

 うん。彼の言う通りだった。

「『死』と『楽』をシーソーに乗っけたら、『死』が重すぎて、遊びにもならないよ」

 間違いなく、彼の言う通り。私にはもう何も言えなかった。

 心臓の音は、私の心が彼の言う「楽」を渇望して喉を鳴らす音なのだ。


「人間ってのは、家族全員で遊園地に遊びに行った帰りの車でそのまま海に突っ込む。そんなことが平気で出来る生き物なんだよ」

 そう言って彼は私に缶コーヒーを投げ渡した。


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