神様のカード
神様のカード。
それは噂というよりも、都市伝説に近い話だった。
神様からカードを引く。
それは運命のカードで、願いを一つ叶えるだとか、未来を暗示するだとか、それこそ十人いれば十人分、色々な説で巷に流布していた。
「あのカードって、本当にあったんですね……」
「ああ。やっぱり人間一回死んでみないと分からないってことだな」
彼はそう言ってニヤリと笑った。
「カードの種類はたくさんあってな。絵が描かれているんだ。勇ましい『騎士』の姿が描かれたカード、ローブを纏った『魔法使い』のカード、楽器を演奏している『吟遊詩人』、『王様』『牧師』『武道家』『天使』、他にも色々な種類のカードがあった」
そして彼は神様とカードゲームでもしたのだろうか。
私にはまだ、ルールがよく分かっていない。
「そして神様は俺に見えないようにそのカードを綺麗に並べた。俺はその中から一枚を引いた。そのカードってのが……」
彼が、私の前でカードを引くジェスチャーをする。一瞬前には何にもなかったその手には、一枚のカードが握られていた。
彼が手を返し、カードの表を私に見せる。そこにはポケット一杯に玩具の詰まった、だらしない顔の男が描かれていた。
これは、このカードはひょっとして……。
私は彼の目を見る。
彼はこくりと頷く。
「これは……『ポケットいっぱいに玩具を入れてはしゃいでいるだらしないニート』のカード……ですか?」
私は真剣な眼差しで彼に答えた。
彼の答えを待つ私。
彼の口が開かれる。
「…………ですか?じゃねえよ。それはボケなのかマジなのかそれともただの空気読めないヤツなのか、もう本当に分かんねえよ。いや、とりあえず、突っ込むけど。そのまんまじゃねえか!何で『騎士』とか『魔法使い』等のしっかり硬派なネーミングのカードのある中に『ポケットいっぱいに玩具を入れてはしゃいでいるだらしないニート』って名前のカードが混じってるんだよ!ゴロ悪いし!データバンクとかで整理する時に他のカードとのあまりにもの字数の違いで他のカードはフォント11とかなのにこのカードだけ6とか4とか凄く読みにくいぐらい小さな字になっちまうよ!」
突然興奮して捲し立てる彼を、私は冷静になだめる。
「ちょっと、落ち着いてください。冗談ですよ冗談」
「なんでこんな時に冗談言えるんだよあんた!何かすげえよ!逆にちょっと尊敬しちゃったよ。あんたやっぱり大物だよ!」
彼は私をお化けでも見るかのように見つめる。まあ実際お化け(半お化け?)なのだが。
冗談はさておいて、私は彼に答えを言う。
「そのカード、『道化』でしょ……」
彼は首を縦に振った。
「そう、俺が引いたカードは『騎士』でもなく『王様』でもない。『道化』のカードだった。そうして俺は道化として、あんたを助けることになったんだ」
「道化として……」
展開の速さと、その内容に目が回りそうな私を尻目に、彼の説明は続く。
「これは絶対的なルールなんだ。人の思念世界に入る者のな。言ってみれば人の家に入り込んで好き放題させない為の制約ってヤツかな」
なるほど。確かに私の内面世界を何の制限もなく好きにされたらたまったものではない。ゲームであり
、制限であり、予防線ということか。
「大変だったぜ。『騎士』ならあんたに直接干渉して生気を出させたり、死の衝動を退治したり出来る。『牧師』ならあんたの悩みとか本音とかを聞きながらあんたに生きる希望を与えたりも出来る。だがなんせ俺は何の因果か道化になっちまった。『道化』としてのアプローチしか俺には許されてなかったんだ。だからあんたを励ますことも出来なきゃ、死のうとするあんたの腕を引っ張ることも出来なかった。ま、そういうことだ」
つまりは、引いたカードに描かれた者の能力しか使うことが出来ない。そういうことなのだろうか。
彼は「道化」になってしまった。
だから、私を笑わせたり、一緒に遊ぶことしか出来なかったのか。
「どうした?あんまりにも現実離れしすぎて、信じられないか?」
彼が訊ねる。
その通りだった。
あまりにも突拍子がなさ過ぎる。でも……。
「……突然過ぎて、信じられないですけど、信じるしかないですよね」
受け入れるしかない。彼が嘘をつく理由もメリットも考えられないし、第一、私の周りで起きている事態に、すんなり説明がつくのだ。
「信じます。私はあなたを信じます」
「……そうか。ありがとうな」
そう言って、彼は笑った。
その笑顔を見て思う。
この人がもう死んでしまっているなんて、信じられない。
こんなに生気に満ちた笑顔なのに。
「現実の私が危ないことは分かりました。……それで、やっぱりあなたは?」
「死んでいるだろうな」
あっさりと彼が答える。
「神様は俺に勝てば天国、負ければ地獄っていう賭けを持ちかけてきている。現世なんて餌は聞いてない。それに、別に俺は現世には興味なんてないんだよ」
自分のことなのに、まるで他人のことの様に喋る彼を見て、私は何故彼が現世で自分の命を軽んじる行為に出たのか、なんとなく分かった気がした。
この人は今の私と逆なのだ。私は訳もなく死の衝動が強い。そして彼は訳もなく生への執着が弱いのだ。それはつまり、同じことだった。
違っていて、似ているんだ、私達は。
「まあ、とにかくあんたは自分のことを考えて…………って、おい。あんた…… 」
「……え?」
いつのまにか泣いていた。
不覚だった。
涙が次から次へと溢れ出し、止まらない。
目の前で笑っているこの人はもう、死んでいる。
そう思うと、とても悲しくなった。
あまりにも自分を棚上げした手前勝手な言い分だが、彼には生きていて欲しかった。
私の涙を見て、彼が溜息を漏らす。
「ほうら、だからばれたくなかったんだよ。俺は道化だぜ?あんたを笑わせる俺が、泣かしてどうするんだよ」
それに、と彼が鼻をかきながら続ける。
「あんた、俺が死んでいるって知ってしまうと、折角やっとこさの努力で出てきた生きる気力もなくなるんじゃないかなーと…………」
「私、生きます」
「へ?」
彼の言葉を遮る様に放った私の言葉に対して、彼が素っ頓狂な声を上げる。
「私は生きます。決めました」
私は、生きる。
自分で飛び降りて死のうとしておきながら甚だ勝手だが、その罪も後悔も……まだ間に合うのなら。
「私、頑張ってみます。どれだけ出来るか分からないけど……それでも、私の中の『死』と戦ってみます。どれだけ望みが少なくても、可能性にかけてみます」
「……そうか。まあ、それならそれで……俺はいいんだけどさ」
彼が拗ねたような声を出した気がしたが、多分気のせいだろう。
絶望の中のほんの小さな光。
私はそれに、賭けてみたくなった。
その為には何としてもこの世界を抜け出さなくてはならない。
彼に聞いたところ、私が死の衝動に打ち勝つことが出来れば現実に戻れるらしいが、それ以外の詳しいことは知らなくて、結局、この夢の勝利条件は彼にも分かっていないそうだ。
だが、敗北条件は分かっている。どのみち、私はまた明日になったら死にたくなるだろう。
死の衝動に負けて、この世界で死んだら、それでおしまい。
ゲームオーバーだ。
それだけは阻止しなくてはならなかった。
私の敵は、私自身なのだ。
その日の別れ際、彼が突然思い出したように口を開いた。
「ああ、それと、最後の質問の答えだな」
「え?」
「男の子は、好きな子を苛めることで、その子に好きって伝えてるんだよ」
そう言いながら、彼は私に缶コーヒーを渡した。
帰り道、彼の答えの意味を考えていたが、女の子の私にはよく分からなかった。
次の日、私は家にいた。いつもの様に制服で。
そしていつものように家を出て学校へ行くのだ。死ぬ為に。
今まで家には誰もいなかった。どんなに夜遅くでも、両親の姿を見ることはなかった。そして、それに違和感を感じることもなかった。今までずっと気が付かなかった。そんなことがあるものなのかと思ったのだが、それはこの世界がそうさせていることらしいと、彼が教えてくれた。
この世界は私が、厳密に言うならば私の中の「死」が作った世界だ。であるが故に、死以外の不要物を除外させ、私が死ぬことだけに特化する世界を構築しているのだそうだ。そして、そこに違和感を感じることもないように設定されている。
確かによく考えたら私はこの世界に来てから一度も両親に会った記憶も学校に行った記憶も、コンビニで買い物した記憶もないのだ。更にはそのことに違和感など全く感じていなかった。
ただ、夜に学校に死にに行くだけの日々。それだけしか行われていないこの世界を当たり前のように受け入れていた。つまり、この世界は私の「死」にとって都合がよく、当の私本人にとっては大変捻じ曲がって困った世界なのである。恐るべし、私の中の「死」。色々と私自身や私の周りの環境に細工をしおって。もう騙されないぞ。
そうして私が最初に考えた戦略は、この世界が勝手に作り上げたルールを壊す、ということだった。
私が家を出なければいいのでは?
家を出なければ私が屋上に行くこともない。
救われるのではないだろうか。
そう思い、いつもの時間になっても家を出ないでいた。しかし、すぐにいつもの様に私は死にたくなる。この死にたい衝動の謎が解き明かされた今現在でも、全く効果は薄まっていない。
――死ぬ為に学校の屋上へと向かわなければ。
強い思いに駆られる。しかし、私はてこでも動かない所存だ。この思いに打ち勝って、私は現実へと復活を遂げるのだ――。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
「というわけで今日も来てしまいました」
十分後、私はいつもの様に校門の前で彼と落ち合っていた。
結果から言うと、無理だった。
死にたい衝動に負けて私はおめおめと家を出てしまいましたとさ。ちゃんちゃん。
そこで私の作戦を彼に話したが、鼻で笑われた。
「まあ、そりゃあ来るわな。というかあんたは来てしまうんだよ。衝動的にな」
「それならそれで自動的にここに運んでくれたら良いのにさ。何でわざわざ私の『死』の為に自分で歩いてこないといけないんですか」
私の言葉を聞いて、更に輪をかけて彼は笑い声を上げる。
「そりゃそうだろ。そんなルール違反が出来たらあんたそれこそ自動的に死んでるよ」
「ああ、なるほど」
確かに、その通りだ。なんでもありなら、向こうも有利なのだ。
ただ私はどこででも死ねばいいわけではないらしい。
現実と同じ、屋上から飛び降りることでこの世界と現実がリンクし、それでやっと現実の私は死ぬということになるのだ。
「だったら、川で溺れて死んでやろうかな。そうすれば現実と違うっていって、この世界から抜け出せるかも……」
「やめとけ。夢でもここの川はちゃんと冷たいぞ」
経験者は語る、だった。
それなら今日、私がすることは決まっている。
「じゃあ、仕方ないです。散らしてもらうとしますかね。今日は何して遊ぶんですか、道化さん?」
「うむ、今日はずばり、ピンポンだ」
彼が指を鳴らす、途端にボンと音がして私の目の前で煙が上がった。煙の中から、卓球台とラケット、ピンポン球が現れた。私はびっくりして腰を抜かした。
「……こんなこと出来るんなら最初からやってください」
「仕方ないじゃん。黙ってるつもりだったんだから。でも、あんたにバレたからもう解禁だ。俺は『道化』!!。道化として、遊び道具なら何万個でも出せるぞ。明日はリアルブ○ミントンだ!」
変な方向にタガが外れた人間がそこにはいた。
「あ、じゃあ今日はピンポンじゃなくて、騎馬戦が良いです」
「よしきた!」
そう言い、彼が指を鳴らすと、学校のグラウンドに屈強な黒人男性が100人ほど現れた。
「ひゃっほう!!」
私は嬉しい悲鳴を上げた。




