世界の真実
彼は優しく、寂しそうに微笑んでいた。
それは初めて見せる表情のようで、実はいつもどこかで浮かべていたような、そんな印象のある笑顔だった。
「ねえ、あなたは、もう死んで、いるんですか?」
私は質問する。
彼に一体どんな答えを求めているのか、自分でも分からない。
だが、彼の口から返ってきた現実は、私のそんな曖昧な気持ちを打ち砕くのに、十分だった。
「ああ、死んでいる」
「………………」
私は深い溜息をついた。その答えだけで世界が終わったような錯覚を覚えた。
彼はもう死んでいる。
じゃあ、今目の前で立って喋っている、何度も遊んだ人物はつまり…………。
「――幽霊ってこと?」
「うん、まあ、そんな感じ」
私は彼に抱きついた。
「うおおい!何してんの!?」
突然の私の行動に慌てふためく彼。
手に持ったラケットをジタバタさせて抵抗する。
「ちょっと、なに、どうしたの突然。ちょ、ちょっと、恥ずかしいんですけど」
「…………触れるじゃないですか。幽霊なのに。……バカ」
「何がバカなのか全然分かんないんですけど。……ああ、もう離れなさい」
仕方なく、私は彼を解放した。
「まあ、色々と事情があるんだよ。少し、説明させてくれ。いいかい?」
私は素直に頷いた。
そして彼は話し始めた。
それは彼自身のこと。
そして、この世界についてだった。
「まあ、つまり、俺は、あんたの先輩さ。色んな意味でな」
「色んな意味?」
彼はバツが悪そうに鼻をかいて、苦笑いを浮かべる。
「学校の先輩であり、自殺の先輩」
ああ、と私は頷く。なるほど、そういう先輩か。
「今まで散々偉そうなこと言っておいた後じゃ恥ずかしいんだがな。まあ、許してくれよ」
そして彼は話し続ける。
「いや、今、自殺の先輩だって言ったけどさ、本当は自殺じゃないんだよ。ある日、俺は空き教室で遊んでいたんだ。その時は家がゴタゴタしていて、ムシャクシャしててな。教室のカーテンに輪っかを作ってそこに足を乗っけてターザンみたいに揺られていたんだ。もうどうでもいい。停学にでもなってやれってな。で、そうしたら足を踏み外して、丁度輪っかが首に引っかかって、そのまま宙吊りになったって訳だ」
「…………」
真剣な眼差しで世にも間抜けな死に方を伝える彼に、私は何も言えなかった。
というか、最低の死に方だ。
なるほど。数年前の自殺騒動は、そういうことだったのか。
「まあ自殺じゃなくても自殺行為ではあったから、文句は言えないんだけどさ。厄介なのはここからだった。俺が自殺するのを神様がたまたま見てたみたいでさ。呼び出しをくらったのよ」
突然、話の中に神様が現れた。
こんな時に不謹慎だが私は「そうか、神様っていたんだ」と妙に感心して、その事実を素直に受け止めた。
「凄い怒られたのよ。もうカンカン。コラー!って感じでさ。すっげえ説教してくんの。いや、説教っていうのとは違うな、あれは。なんか変な感じなんだけどね……。まあそれは別にいいや、神様の野郎のことなんて置いといて」
なんか神様の扱い悪いな。どんな人物なのか気になってくるではないか。
「で、このままだと地獄行きだと言われたんだ。俺は別に地獄だろうが天国だろうが、どうでも良かったんだが、神様にまで自殺と勘違いされるのは癪に障った。そんな俺の心を見透かす様に神様が賭けを持ちかけてきやがったんだ」
「賭け?」
彼は私の目を見て、しっかりと頷く。
「ああ。ある一人の命を救ったら、天国につれてってやる、ってな。まあどうせ暇だったし、だったらやってみてもいいかな、と思ってさ。んで、その救う命ってのが、あんただったってわけ」
「それで、私の死ぬ邪魔をしていたんですか」
目の前にいるのが幽霊で、私を助けるのが使命。それも神様との賭け。
にわかには信じられない話だった。
「でも、例えあなたが幽霊だったとしても、何で触れるんですか?それに私の周りで起きていることはどうなんですか?何で遺書が白紙なんですか?なんで私は理由もなく死にたいとか思っちゃうんですか?何で男の子は好きな女の子に限ってついつい苛めてしまうんですか?」
「何かシリアスな問いかけの中に一つ凄くどうでもいい、ただ普段から気になっていただけの質問がどさくさに混じっていた気がするが、あんた、今の状況に混乱してんのか、実はかなりの大物なのか、どっちなんだ」
彼が苦笑する。私は尚も真剣な顔で彼を見つめて、目を逸らさない。
「………………」
私の周りに起こっている不思議な現象。それは彼がやったことなのだろうか。もしもそうなら、本当に何でもありの幽霊だ。彼は私の質問に対し、言いにくそうに話し始めた。
「え、とな、それはだな。……いいか、落ち着いて聞けよ?」
「はい」
私は胸を張って答えた。
「これ以上驚くことなどないですよ。もうなんでもこいです」
「そうか。それなら単刀直入に言うけどさ、あんたもう屋上から飛び降りちまってんのよ」
「ええーーーーーー!!!!!!??なんですと!!!!??」
凄く驚いた。私が、もう屋上から、飛び降りているだって?
「だから、落ち着けって言ってるだろ」
「いや、でも。ええ?」
衝撃的事実だった。私がもう飛び降りた後。じゃあ私はもう、死んでいるのか。
幽霊なのか。
ああ、なるほど。
幽霊同士だから彼にも触れる、ということなのか。
確かにそれなら納得いく。
明らかに混乱している私を横目に彼が続ける。
「この世界はまあ、あんたの精神世界っていうの?まあ、夢みたいなもんさ。神様が無理矢理見せているな。というかあんたさ。考えてもみろよ?突然人間が全裸になったり、人が増えたり川に流されたり、現実なわけないだろう?」
「それは……確かに」
よくよく考えてみたら、その通りだった。
あまりに素直に受け止めていたが、あんなこと、現実にあり得る筈がないのだ。
「これがあんたがずっと探していた『答え』だ。あんたが死にたいっていうな。死の衝動が強いのも当たり前なんだ。だってあんたはもう現実で飛び降り自殺を図っちまったんだよ。本当に死のうとしたわけだから、その延長線上のこの世界なら現実のあんたの死へのベクトルが一番強い。それが、この世界であんたが死ぬ理由なんだ。もう死んでいるから、この世界でもあんたは死ぬ。理由なんていらないさ。死んでるんだから。『生きることに理由はいらない、だって生きているんだもの』の反対。それが、あんたが理由もなく死にたくなる『理由』さ」
あれだけ考えても分からなかった謎の答えが、次々に明かされていく。
「…………もう死んでいるから、私は死ぬ」
その言葉はストンと、まるでパズルのピースをはめ込んだ様に、私の胸に自然と落ちた。
「そういうことだ。だが――」
そこまで言った彼を私は手で制止した。
――今、「だが」と言ったな?
「『だが』ってなんですか。これ以上何があるっていうんですか」
「まあ、もう少しだけな」
彼は何ともバツの悪い顔で笑う。
「ちょっと待ってくださいね」
そう言って私は大きく深呼吸をする。
何度も何度も息を吸って吐いて、気持ちを落ち着かせる。
「……ようし。それではどうぞ。まあでも、これ以上驚くことなどないです。私は死んでいるんですから。もうなんでもこいです」
「そうか。それなら言うぜ。実は、あんたは正確にはまだ死んじゃあいない」
「ええーーーーーーー!!!!!!!!!?なんですとおおおお!!!!!!!!!??」
凄く驚いた。一体なんなんだもう。わけがわからない。
「もうーー。死んだとか、生きてるとか、一体どっちなんですか?はっきりしてください!!」
私は彼をポカポカ叩きながら言った。
つまりあんたは、と彼が答える。
「ドラマとか漫画でお馴染みな言葉で言う所の『生死の境をさまよっている』真っ最中だ」
そして、この世界は私の精神世界であり意志の世界。
この世界で私が死ぬと、現実の私も死ぬのだと、彼は教えてくれた。
それを知っていた彼は、神様との賭けで、この世界で私が死ぬのを阻止していたということだ。
「あんたに黙っていたのは、あんたが最初の状態から真実を聞いていたら間違いなく簡単に死ぬことを選んでしまうと思ったからだ。だから色々とあんたの気を逸らしては、気持ちを少しでも変えようとした。実際、効果はあったと思ってるよ」
「…………」
にわかには信じられない。
信じられないのだが、確かに今の彼の説明で、私が不思議に思っていたことへの辻褄はぴったり合う。
到底信じられないことではあるが。
ここが私の夢の世界だなんて。
「でも、真実なんですね?ここは現実じゃない」
「ああそうだ。そしてこの世界を抜け出せたらあんたは生き返れる。正直、あんたが生きようが死のうが別にどうでも良かったんだよ、最初はな。ただ、まあ色々やっているうちに……ちょっと面白くなってきてな。いつのまにかノリノリになっちゃったんだよ」
確かに、彼は本当にノリノリだった。最近では二人して遊びたおしていた。
しかし、彼の術中にことごとく嵌まった私が言うのもなんだが、私を死なせないと言うのならば、他にいくらでも方法があったのではなかろうか。
人助けとしては少々センスがぶっ飛んでいるというか……。それとも、それが彼の性格なのだろうか。
私は彼に正直に訊ねる。
「あれで私を救ってたって言えるんですか?そりゃあ、楽しいし気は紛れるけど……もっとなんかこう、分かり易く、格好良い感じで助けてくれても……」
「――さあ、そこだ!!」
待ってましたと言わんばかりに彼が両手を打つ。
――おいおい……まだ何かあるのか?
物語において、謎解きは徐々に明かしていくから効果的なのに、こうも一斉に種明かしばかりじゃ、全体の構成のバランスがおかしくなって駄作感が否めなくなってしまうではないかと、私は誰に向けてなのかよく分からない心配をするのであった。
そんな私の心配など勿論関係なく、彼は種明かしを進めていく。
彼もずっと喋りたくて仕方がなかったのだろう。
「さっきも言った通り、俺は神様に賭けを持ち込まれた。あんたの夢からあんたの命を救い出せたら天国。無理なら地獄ってな。そして俺はそれに乗った。そこで賭けらしく、神様が俺に何を差し出したと思う?」
「…………?」
分からなかった。私は首を横に振る。
そして、彼が胸を張って答えた。
「カードさ」
「カード?」
「そうカード。噂で聞いたことがあるだろう?神様が人間に一枚カードを引かせるっていう。あの、カードだよ」