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茄子戦線異常あり

作者: 青児

 曾祖父は戦時中、南の島で酷い目に遭った。祖父も終戦があとひと月先だったなら出征していただろうと生前述べていた。

 戦争は良くない。

 身内のそういう体験を抜きにしたとしても、苦しいことは単純に嫌なものだ。特に飽食の時代に生を受けた平成っ子にとっては、食べ物に苦労するなど論外だ。

 だが私は今、同居人と激烈な戦を繰り広げている。





 最初は手札の数から、圧倒的に私が有利だと思っていた。それが甘かった。甘過ぎた。流石ゆとり世代。というか相手が大人気なさ過ぎる。

 私が乃木大将の如き単純明快な突撃作戦を繰り出し続けている間に、相手は手を変え品を――多分品種を変え、奇襲によってこちらの砦を打ち崩さんとしている。まずい。いや、不味くはないけど、拙い。

 ぶっちゃけ美味い。

 ここだけの話。

「グラタンは卑怯だ……」

 誰も居ないキッチンで思わずうなだれた。

 丁寧にラップが貼られたグラタンはまだ火が入っていない。この辺りの配慮が小憎たらしい。とろとろの焼きたてを食えよということだ。何て奴だ。

 オーブントースターから出て来たグラタンは、中身が出生来の仇敵と分かっていても、はふはふあぐあぐしたくなる魅惑的な狐色のチーズで、つまり私の胃の腑を既に包囲した。

 案の定、べらぼうに美味かった。

 ホワイトソースは言わずもがな、間に挟まっているバジルソースが美味い。先日、ド定番のトマトソースとの組み合わせをスパゲティ……ではなく片焼きそばと一緒に出されて、それがまた衝撃的に美味かっただけに、この緑色の伏兵は効いた。

 また作ってくれないかな、と思ってしまったのも、ここだけの話である。

 実家の母が知れば泣くかもしれない。彼女も又、あれこれと手を尽くして茄子を食卓に上げていたから。尤も、誠に親不孝なことに、母の作戦は一つも成功しなかったが。





 布告はなかった。

 生活時間が真逆の正木とは、当初殆ど交流が持てず、下手な他人よりぎくしゃくしていて居心地が最悪だった。打開策として、私は夜寝る前に彼の朝飯を作り食卓に置いた。彼はほぼ毎日朝方に帰宅して、私が起きる頃には既に眠っている。朝、綺麗な食卓を見て、何となくコミュニケーションが取れているなと満足した。やや暫く経って、彼の方も私の食事を作ってくれるようになった。彼が出勤前に作ってくれる料理は私の夕飯になる。

 という、平和的なやり取りが続いたのは短い間だった。

 ある時、三日連続して茄子料理が置かれた。茄子焼き、市販の漬け物、味噌和え。副菜ばかりだったが、この三日は辛かった。仇敵とは言え茄子に罪はなく、生ゴミとして打ち捨てるのは非情というもの。無論、食べましたとも。

 その後も偶に茄子の連続攻撃があり、どうやらこれは作為的なものらしいと結論が出た。料理を出し合う他に接触らしい接触はなく、事務的な会話すらメールで済ませ合う程度の同居人なのに、何が正木の癇に障ったのか甚だ疑問だった。

 こちらの献立か?

 まさにそれだった。私のダイエットメニューに付き合わせた日の夕飯は茄子料理になる、という法則を突き止めた。

 私の敵は茄子。正木の敵は豆腐だ。私が買い込んだ豆腐を自分だけで消費し切れず、味噌汁や冷や奴等で正木の朝飯に組み込むと、彼は意趣返しとばかりに茄子を繰り出す。そもそも如何なる理由で私が筋金入りの茄子嫌いかを知ったのか不思議だが、シャーロック・ホームズシリーズの読み差しがソファに忘れられていたりするから、寧ろ私の方が常に個人情報を垂れ流している状態なのかもしれない。

 かくて宣戦布告もなく始まった茄子豆腐戦争で、私は手始めに冷や奴を一週間ぶっ続けで出した。すると奴は茄子のお浸しを一週間ぶっ続けで出して来た。しかも最終日は主菜が麻婆茄子だった。カチンと来たので、朝飯にしては重いだろうという常識もうっちゃり、麻婆豆腐を出した。その日の夕飯のおかずは、茄子の天ぷらだけだった。

 如何に相手ダメージを与えるか。戦争の、争い事の基本である。何せ残せば負けなのだ。別に勝敗の条件を設けた訳ではないけれども、豆腐が残っていれば私は快哉を叫ぶだろうし、自分がもう茄子は食えんという状況に陥れば、恐らく泣く。どうやって茄子の風味と食感を攻略するかも重要だった。嘗て茄子の配下として私を苦しめた納豆を粉チーズと黒胡椒とにんにくパウダーで降伏させた経験から、お浸しに同じ三種の神器を振り掛けてみたが歯が立たず、絶望した。仕方ないので、「噛まない」「長居させない」という姑息な手段で皿を空にすることだけを考え、フラストレーションの蓄積を許す他なかった。

 私も冷や奴、温奴、味噌汁、肉豆腐、すき焼き風焼き豆腐、豆腐ハンバーグ、おからサラダ、卯の花とひじきの煮物、豆腐ドーナツ等、打てる手は惜しみなく打ったが、綺麗に片付いた食卓を見るにつけ正木が涼しい顔で食事を終えている様子を思い描いてしまうのだった。

 半年以上もこんな食生活が続いた。最近は段々面倒になり、冷や奴か味噌汁かハンバーグかのルーティンワークになっていた。面倒と思いつつ止めないのは正木も止めないからで、それを端的に意地と言う。

 ところが、最近は反比例するように正木が茄子料理に凝り始めた。今までは、彼の方がルーティンでお浸しや天ぷら等、素材の味を嫌という程活かした献立ばかり出していたのに、カレーや春巻き、チーズベーコン揚げ、揚げ浸し、甘味噌炒め等、お初の調理法で攻めて来た。

 噛まずに飲み下す必要がなくなった。茄子だな、と認識する前に、美味いな、と思ってしまうのだ。自然、噛んでしまうではないか。

 蟻の穴から砦は崩れる、みたいな教訓があった気がする。まさにあれだ。ひと品、「あ、これ美味いかも」と気を緩めると、催眠術が解けるように「自分って実は茄子嫌いでもなくなくない?」なんて思ってしまうのだ。おぞましい色をした茄子の味噌汁だけは、まだちょっと抵抗感が強いけれども。

 茄子のバジルソースグラタンは手薄になった私の砦に大穴を開けた最後の砲撃。私は相変わらず意地で豆腐料理を出し続ける一方、口に出して降伏こそ出来なかったものの、正木の料理を楽しみにし始めた。

 やさきに、正木は茄子料理をぱったりと止めた。





「正木さん!」

 昼過ぎにもぞもぞと起き出して台所に立つ同居人に声を掛けた。物凄く変な目で見られた。

「あれ、今日って大学じゃないの?」

「大学です。大学でしたけど、気になり過ぎてサボりました」

「何が?」

「――正木さん、何で最近茄子料理出してくれないの?」

 しまった、間違った。これじゃ五歳児のおねだりみたいじゃないか。出さないの?で良かったのに。

 正木も気付いたのか、可笑しそうにふふんと鼻を鳴らした。

「出して欲しいの?」

「欲しくない訳ではない」

「へえ」

 そのままくるりとコンロに向かってしまうので慌てて、

「嘘、嘘です! 毎日じゃなくていいから、またあの茄子のグラタン作って。バジルソースの挟まってるやつ」

 彼は満足そうに微笑み、歳上らしい鷹揚な態度でそれを了承した。

 私はもう一つ、悔しいが同じくらい気になっている質問をした。

「私の豆腐料理は効きませんでした?」

「ああ――あれね。うん、言いにくいんだけど、別に豆腐嫌いな訳じゃないんだよね。何日も続いて出て来るから嫌がらせかと思って、仕返しに茄子をね」

 そして、彼は更に衝撃的な事を言った。

「でもダイエットには超効いたのよ。貴女が阿呆みたいに豆腐料理出すの、最初は辟易してたけど、お客さんから綺麗に痩せたねとか言われて凄く嬉しかったのよー。それでお返しに貴女の茄子嫌いを――ちゃんと知ってたわよ、浅漬けは胡瓜ばっかり減るんだもの――克服させてあげようと思ってさあ。ま、結果オーライよね」

 腰回り、ちょっと色っぽくなったでしょ?とくねくねする正木を見て、そう言えばこの人はゲイだったことを思い出した。




 了


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[良い点] めっちゃウィットに富んだ言い回しと文体と最後のオチで世の中の有象無象をすべて許せてしまえるような気分になりました。 読後、私の口はゆったりとした弧を描き、これを打っているいまこのとき、とて…
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