SECT.7 狩人
でも、一つだけ分かったことがある。
伝え聞く昔話の中で、光龍は確かに、『死んだはずの少女を逝き返らせている』。
その言い伝えが本当かどうかはわからなかったが、ユールが何故、黒棺を引きずってまでヴィウィラに向かい、龍に会おうとしたのかが分かった。
『ねえさんを逝き返らせる』といったユールの言葉は本気だったのだ。もちろん、疑っていたわけではないが、ヴィウィラに連れてって欲しいと言ったユールの瞳の光の強さの理由を知った。
「ユールはさ、あの棺の中にいるユールの姉ちゃんを逝き返らせようとしてるんだ。生き返らせてもらうために龍に会いに行きたいんだって」
そう言うと、アレイさんとシドははっと息を呑んだ。
「今のお話を聞いて、やっとわかったよ。その物語の導きの龍だった女の子を逝き返らせたみたいに、ユールは光龍ライラに姉ちゃんを逝き返らせてもらいに行くんだね」
「……お伽噺だよ。死んだ人が生き返るなんて」
お姉さんがぽつりと言った。
「ああ、もちろん、こんな興醒め、子供たち相手なら言わないけどね。でも、そうだろ? 光龍ライラが死んだ人を生き返らせるって言うんなら、この世に別離の悲しみなんてないはずだよ。それはきっと、私より貴方たちの方がよく知ってる。だって貴方たちはまだ戦争が身近な場所から来たんでしょう?」
このお姉さんはとても聡明なヒトだ。
そして、とても正直でとても真っ直ぐなヒトだ。もしかするとお姉さんも、大切なヒトをなくした経験があるのかもしれない。
「そうだね。おれもそう思う」
もし、光龍ライラが死んだヒトを蘇らせるというなら、どんな対価を払っても、おれにはもう一度会いたいヒトがいる。
でもそれがおれの力では無理だってことは分かっていた。
「でも、ユールだけは龍の元に連れてってやりたいなあ」
亡くなったヒトが蘇るなんてお伽噺だ、と言われても納得してしまうほど、おれは大人になってしまった。
大人とか子供とかいう問題じゃないのかな。
おれは少しずつ、この世界で出来ることと出来ないことを知っていく。
出来ないなんて決めつけはしないけど、少なくとも『おれには出来ない』ことを知る。
悲しい気もするけれど、それは誇らしくもあるのだった。
お姉さんも少し悲しげににこりと笑い返してくれた。
その瞬間、けたたましい警鐘が鳴り響いた。
闇を裂く鐘の音で、店にいた全員がいっせいに立ち上がる。
「何?!」
「肉食の妖魔が近づく警報だ。貴方たちもどこかに隠れて!」
お姉さんが叫ぶより早く、お客は皆一斉に店から逃げ出していた。
「うちの『狩人』が出るから、邪魔にならないように宿の部屋にでも戻ってて。私もすぐに避難する」
言葉通り、グラスや皿をそのまま置き去りに、お姉さんも腰を上げた。
おれはアレイさんとシドを見る。
肉食の妖魔と聞いて、わくわくしている。
お姉さんたちが一目散に逃げちゃうくらいだから、きっと危険なんだろうなあということくらいわかるけど。
「駄目だ」
「駄目ですよ」
アレイさんとシドが同時に即答した。
「まだ何も言ってないよ!」
先回りされると言いづらいじゃん!
アレイさんとシドは厳しい。
フェリスだったら絶対一緒に行ってくれるのに……
と、店の扉が乱暴に開け放たれた。
そこに建っていたのはにこにこと笑う金色猫。
「グレイス! 妖魔が来たって! 見に行こうぜ~!」
やっぱりね!
「行くっ」
脱兎のごとくシドの脇をすり抜け――アレイさんの傍を通ると捕まる可能性が高いから――おれはフェリスと一緒に警鐘の響く方角へと駆けだした。
「アーディンは?」
「物好きだな、って送り出してくれたよ」
「ユールはどうしてる?」
「この音で起きたから、あのお医者さんが相手してんじゃね?」
律儀に寝ぼけたユールを相手にするアーディンを想像して思わず噴き出した。
警鐘の音は街外れから響いている。
ちょうど、最初に降り立った草原あたりだ。
「暗くてよく見えねぇや。グレイスは見えてる?」
「うん、このくらいなら平気」
「ちょっと分けてよ」
フェリスの言葉に感覚を喪失した瞬間の恐怖を思い出して一瞬迷ったが、まあいいかと思いなおす。
「ちょっとだけだよ?」
おれはアガレスさんの名を呼んだ。
黒々とした魔方陣が発動し、金目の鷹が舞い降りてくる。
同時にフェリスは第44番目のコインの悪魔シャックスを召喚し、背に片翼を広げた。相手の感覚を奪うこの悪魔に、おれは一度殺されかけている。
いまはフェリスがおれを傷つけないと誓っているから大丈夫だけれど、それでも心のどこかがざわめくのは隠しきれなかった。
その動揺が伝わったのか、金目の鷹が警戒して喉を鳴らした。
「だいじょうぶ」
アガレスさんをなだめて、おれはシャックスの支配を受け入れる。
かなり限定しているようで、前回のように視界が真っ暗になったり全身の皮膚がマヒしたり音が消失したりすることはなかった。
ほんの少し、感覚が揺れただけ。
視界もあまり変わらない。
「これだけでいいの?」
フェリスに聞くと、だいじょーぶという返答。
片翼を広げたフェリスと二人、ヒンヤリとした夜空に飛び立った。
警鐘の位置は空からすぐに見て取れた。
森に入る直前、草原の広がる丘の中央に櫓が立っていて、誰かがそこで警鐘を叩きならしている。
そしてその眼前。
森の中からちょうど姿を現したのは、炎を纏った大蜥蜴。
「すっげえ……」
その姿に、おれは言葉を失った。
燃え盛る炎を鱗に纏い、灼熱の爪を閃かす。長い尾の先には鋭い棘が飛び出していた。
「炎蜥蜴?」
フェリスが自信なさげに呟いた。
炎を操る大蜥蜴の妖魔の事をそう呼ぶらしい。
炎蜥蜴と呼ばれたソイツは、森から姿を現すと、凄まじい咆哮を上げた。びりびりと空気が震え、悪魔の気のような『何か』が全身を駆け抜ける。放牧されていた家畜が悲鳴を上げながら逃げ回る。
背筋を何かが駆け抜けた。
間違いなく、アレは強い。
フェリスが隣で肩を竦めて口笛を吹いた。
「すっげえ。あんなのが普通に森にいるわけ? ダイジョーブなの? この街」
確かに、この小さな町をこんな大きな妖魔が頻繁に襲っていたら、とてもじゃないけれどもたないだろう。
その証拠に、サラマンダの周囲を街のヒトらしき人間たちが取り巻いていたが、どうすることもできないようだ。
あれは、お姉さんの言っていた『狩人』だろうか。
おれとフェリスは、目で合図して狩人のもとに降り立った。