SECT.4 シア
「フェネクス!」
悪魔の名を呼ぶと、熱風が吹き荒れた。
不死鳥とも呼ばれる第37番目の悪魔、フェネクス。真紅の翼、金色の目。炎を守護する巨大な悪魔は、おれたちの前に姿を現した。
フェネクスはおれの姿を見つけると、嬉しそうにすり寄ってきた。
「るーくだっ 元気? るーく 元気?」
「元気だよ。久しぶりだね、フェネクス」
すり寄ってきた頭をなでてやると、嬉しそうに喉を鳴らした。
と、フェネクスは視界にフェリスを捕えて警戒する。
「こいつ るーくをきずつけたやつだ!」
フェリスは黒ニットの下のセルリアンの目をキラキラさせながら、フェネクスを見た。
「大丈夫だよ、フェネクス。今は仲間なんだ」
仲間、という言葉に、シドは何か言いたげだ。
「アーディンはフェネクスに乗って。シドも、ユールと一緒に乗ってね。おれはアガレスさんの加護で飛ぶから、フェネクスはおれについてきて」
「わかったよ るーく」
巨大な鳥の風体に似合わぬ少年の声で返答したフェネクスは、背に乗りやすいように少しかがんだ。
シドは、フェネクスを前に硬直している。
「悪魔を間近で見るのは初めてです」
「そうなの? だいじょうぶだよ、フェネクスはラースやフラウロスさんと違って大人しいから」
「あんなヤツと いっしょにしないでよね るーく」
フラウロスと仲の悪いフェネクスは、比較されることにお冠のようだ。
ひょい、と軽くユールを抱えたシドは、そうすることに慣れているようだった。
「あれ、もしかしてさ、シドって年の離れた兄弟とかいるの?」
「え? ああ……はい。妹がいました」
少し困ったように笑ったシド。
手際よくユールをフェネクスに乗せ、自分もその背に乗り込んだ。
黒棺を担いだアーディンがそれに続く。
「……いました、か」
呟いて、ため息。
おれって、シドの事を何も知らないんだなあ。
元漆黒星騎士団員だってこと以外何も知らない。どこの生まれなのか、どうして騎士になろうと思ったのか、家族は。
本当に、おれと一緒に来てよかったのか、なんて。
うまく聞けないなあ。
前はもっと素直に聞けたはずなのに、空白の1年間を過ごしてから、普通のヒトの生活を知って、ウォルと結婚してから、おれは少しだけ臆病になってしまった。
怖いんだ。
おれが心の内を全部話すのが怖いように、きっと、ヒトには話したくない部分があるって知ってしまったから。
迷いを断ち切るように、紋章の入った右腕を高く掲げた。
「アガレス!」
名を呼ぶと、金目の鷹が現れた。
第二番目の悪魔、アガレス。ラースとリュシフェルを除けば、一番長い付き合いになる悪魔だ。人間に友好的な堕天の悪魔で、今は鷹の姿をしているけれど、本当は初老の紳士の姿をしている。
「遂に この地を訪れたか」
「アガレスさんは、ソルアについて知ってるの?」
非常に博識なアガレスさんは、きっとこの国についても詳しく知っているに違いない。
「吾に問うか 幼き娘」
楽しそうなアガレスさんは、おれの肩で羽を休めた。
「強大な力を持つ柱が 現世界と龍界を繋いだ 摩訶不思議 混沌 すべて柱が決定すべき」
「柱……」
ここでも、『柱』という言葉が。
柱、ってなんだろう。
「主らが目指す先に 龍が存在する 柱も存在する 龍は柱を選び 千年の安定を手に入れた すべては柱の意志のまま」
柱、か。
「ねえ、アガレスさん」
「何だ 幼き娘」
「柱って何?」
「以前も答えた 吾の口からは語れぬ それは世界の理だ」
アガレスさんはにべもなく答えた。
「じゃあ、ヒントだけでもちょうだい」
金目の鷹は、翼を揺らした。
少し迷っているようだった。
「何れの国も同じく 神と呼ばれる 者が在る その存在を 如何なる言葉で数える」
「神を……数える?」
アガレスさんはそこで言葉を終えた。
きっと、これ以上聞いても教えてくれないんだろう。
この先は自分で考えるしかない。
ハルファスを召喚し、背に大きな翼を広げたアレイさん。マルコシアスさんを召喚しなかったのは、おれとの反発を考えての事だ。
「じゃ、ちょっとだけシャックス貸してね、グレイス」
おれはずっと預かっていたシャックスのコインをフェリスに渡すと、フェリスは片翼の悪魔シャックスを召喚した。
「よし、行こうか!」
おれの合図で、全員がいっせいに飛び立った。
蒼天に、不死鳥フェネクスの真紅の翼が、第四十四番目の悪魔シャックスの紫がかった羽根が映える。
「どっちに行ったらいいの?」
「お前が先導すると迷子になるから下がっていろくそガキ」
アレイさんがそう言って、先頭きって飛んだ。
その後を、おれとフェリスは並んで追う。
「旦那さんは本当に頼りになるよね~。グレイスと違っていろんなこと知ってるし、頭もいいし、強いし、綺麗だし」
「うん、アレイさんは強くてかっこいいよ」
「オレっち、グレイスも好きだけど旦那さんも結構好きだな~」
「あげないよ?」
「盗ったりしないよ! それに毎日毎日あんな仲良しのところを見せられたら、さすがのオレっちにも無理だって分かるよ~」
けらけらと笑うフェリス。
「それに、オレっちにはシアさんがいるから」
そう言ってフェリスはセルリアンの瞳で笑う。
「フェリスとシアってコイビト同士なの?」
「違うよ~。シアさんはオレっちを拾って、育ててくれたんだ」
「拾って、育てた……? シアはおれと同じくらいの年のはずなんだけど」
「違うよ、グレイス。シアさんはグレイスよりずぅっと年上だよ」
セルリアンの瞳がきらめいた。
まさか。
言葉を失ったオレを見て、フェリスは笑う。
「そ、グレイスとおんなじ。シアさんは年をとらないよ」
シアは年を取らない。
それは、天使との再契約を意味している。
「そうなんだ……」
「先代のケテルもそうだし、今はいなくなっちゃったけど、ゲブラもそうだったはずだよ」
「ゲブラも?!」
峻厳の天使カマエルと契約した神官、ゲブラ。
あの戦争の時、おれと戦いたくないと言ったおかしな手品師。そして神官セフィロトとしてはあり得ないはずの悪魔の召喚を見せた。
最期に召喚して見せたのは、第一番目の悪魔バアルだった。
あいつは今、どこで何をしているんだろう?
天使と契約し、悪魔と契約したあのヒトは、いったいどんな過去を経てきたんだろう……?
「ケテルは新しくなったし、天使カマエルが吸収されたせいでゲブラはいなくなったし、セフィロトで今、不老なのはシアさん一人だけどね。最近はグレイスと旦那さんが国境を越えたこともあって忙しそうでさ~。オレっちとしては少しでも力になってあげたいんだ。だから悪魔とも契約したしね」
フェリスを拾って育てたってことは、シアはフェリスにとって、おれのねえちゃんみたいな存在なんだな。
「おれもシアのこと好きだよ。シアって綺麗だしね!」
「あげないよ?」
「盗らないよ!」
先ほどの会話を逆にして、おれたちはまた笑いあった。