SECT.9 優しさの不安
全身に水を浴びた炎蜥蜴は苦しげな息で地面に伏せた。
さすがアレイさんだなあ。
相性が悪いとはいえ、おれが手も足も出なかった炎蜥蜴を一瞬で沈めてしまった。
ベリスを魔界へ帰したアレイさんは、おれの隣に降り立った。
「怪我はないか?」
「うん、平気」
フェリスもゆっくりとこちらに降下してきた。
「旦那さん、すごいなあ。一瞬だったじゃん。グレイスは役に立ってないけど」
「うるさいなあ」
仕方ないじゃん。
横たわる炎蜥蜴は、全身を小刻みに震わせている。その隙に、狩人たちが手慣れた様子で捕縛していった。頑丈な鉄縄を張り巡らし、蜥蜴が暴れないように地面に縫い付ける。
大仕事を終えた狩人たちはおれたちの姿を見つけて駆け寄った。
「交魂だったんだな。初めて見る妖魔だ」
「おれたち、大陸の外から来たからね。怪我はなかった?」
「大きな怪我をしたヤツはいない。ありがとう、助かった。儂らの力では無理だった」
壮年の狩人はそう言って笑った。顔に深い傷が何本も刻まれている。狩人という職業がどんなものなのか、それだけで推し量れようというもの。
フェリスは弱った炎蜥蜴の鱗に触れながら遠慮なく言った。
「こんな妖魔が頻繁に来たんじゃ、こんな小さな町、つぶれちゃわない?」
その言葉に、狩人さんは首を横に振る。
「まさか、森の主が頻繁にこんな場所へ来ようものか。儂が生まれてからは初めてだ、こんなことは」
「そうなの?」
やっぱりそうそうある事じゃないんだな。
さりげなく炎蜥蜴の鱗を一枚、ぴっとはがしてきたフェリス。何勝手に盗ってるんだよ、というとまあいいじゃんといつも通りの答えだった。
「本当ならば森の奥深く、黄金の妖飛馬の住処と言われる洞窟を守る番人だ。何かのっぴきならないことでも起きない限り、洞窟の入り口を離れることはない筈だ。いったい、何が……?」
狩人さんは森の奥に目を向けた。
「違ウヨ」
と、その時、狩人さんの後ろから声がした。
不意に姿を現したのは、小さな影。
「洞窟デ何カアッタ訳ジャナイ。主ガ来タノハ、異分子ヲ見ツケタカラ」
ヒトのような形。でも、ヒトじゃない。
狩人さんの使い魔だろうか。
茶色く、固くなった両腕は緑の苔に覆われ、頭部を髪でなく蔦が覆い、足元はまるで大きな花のつぼみのよう。瞳もよく見れば、熟れた果実のように濡れた橙色だった。
この子はヒトではなく、きっと植物。
狩人さんはその子に向かって首を傾げた。
「アル。どうしてわかるんだ?」
「私モ同ジダカラ。キット、ヘル ト ジギア モ、同ジ。ソワソワスルノ。落チ着カナイノ」
頭部を覆う蔦をうねうねと燻らせ、その子はおれの方を見る。
ヒトのものでないその視線。
思わず息を止めた。
「ドウシテ、貴方タチハココニイルノ?」
その瞬間、おれは理解した。
そうだよな。
偶然なわけないよな。
「……ごめんなさい」
小さな声で謝るのが精いっぱいだった。
「ドウシテ謝ルノ?」
きょろきょろと、橙の瞳を動かしながらアルラウネは尋ねた。
「おれのせいなんだろ? 炎蜥蜴がこんなところまで来たのは」
誰も大怪我しなくてよかった、なんて気休めにもなりはしない。
街に甚大な被害をもたらすところだったのだ。
ソルアに来てから少し浮かれてたから、堪えるな。分かってた事なのに。
「ドウシテ悲シイ顔ヲスルノ?」
蔦がうねり、おれの髪を微かに引っ張る。
どうしていいか分からない、といったように。
この子がおれを困らせるつもりがない事なんて分かってる。おれが勝手に傷ついただけ。
狼狽えたアルラウネの代わりに、狩人さんが口を開いた。
「例えば――」
少し考えて、たどたどしく言葉を紡いだ。
どう言ったらいいのか迷っているようだった。
「そう、海で怪我をした人がいる。そこはサメが棲む海域だ。放っておけばその人の血に人食いザメが群がってきてしまうだろう」
「……?」
唐突に始まった例え話に、おれは首を傾げた。
「君は、そんな人を見たらどうする? 自分の方へサメが来ないよう、放って捨てるか?」
問われて、間髪入れず首を横に振った。
「そんなことしないよ! おれが一緒にいて、サメを追っ払ってあげる。そんで、安全なところに連れて行く」
「そう、そういう事だ」
その答えに、狩人さんは笑った。豪快な見た目と裏腹にとても優しい笑顔だった。
「例えば君が、妖魔を引きつける性質を持っていたとして、儂らは何ら気にせぬよ。もし、儂らを襲わせようとわざと血の匂いをまき散らしたというのなら話は別だが、違うだろう?」
狩人さんはぽんぽん、と炎蜥蜴の腕の当たりを叩いた。
「海を越えて遥々やってきた客人だ。君は儂らよりずっと強いのかもしれんが、少しくらいは恰好をつけさせてくれ。落ち着けば主も元の住処へ帰る。さあ、儂らも街へ帰ろう」
この場にいる街の人は皆、同じ意見のようだった。
「……ありがとう」
ああ、やっぱりこの国はあったかいなあ。
おれみたいなヤツでも、目を背けるんじゃなくて、ちゃんとそのまま受け入れてくれて。
でもどうしようもなく優しすぎるから、少し不安になるよ。その暖かさでこのヒトたちが傷つくんじゃないかって。
街に戻るアレイさんの服の裾を少し引っ張る。
「あのね、アレイさん。この街のヒトたちは優しいね」
「そうだな」
「でもさ、少しだけ、不安になるね」
そう言うと、アレイさんは足を止めた。
気づいたフェリスも足を止める。
うまく説明できるだろうか。この優しいヒトたちが傷ついてしまうんじゃないかって言う葛藤と、不安が。
「居るだけで周りの人に迷惑をかけちゃうのに、しかもとんでもない災厄なのに、それでもみんな守ろうとしてくれるんだ。そんなことしてたら……みんなが傷ついてしまうかもしれないよ」
コインの埋まる左手をぎゅっと握りしめた。
かつて共に剣を学んだヴィッキーは、それを『寒さと同じ災害』と呼んだ。寒さで風邪をひくのは仕方がない。その寒さを背負ったのは、お前が望んだことではないだろう、と。
でも、そう言っておれを受け入れてくれたヴィッキーは悪魔の気にあてられて倒れたんだ。
その時と同じ。
「きっとこのヒトたちは誰でも受け入れてくれるんだろう。おれだけじゃない、アレイさんだってアーディンだって。きっと何が来たって同じように優しく街に入れてくれるんだ。精一杯で守ろうとしてくれるんだ」
とても優しい。
だからこそ、とても危険だ。
この街を最初に見ていた時から感じていた不安感はそこにある。
「そんなことしてたら、いつかこのヒトたちは傷ついてしまうよ……!」
おれは戦禍を知っているから。
悪魔の力もその強さも知っているから。
何もかも蹂躙する理不尽な力が存在するって知っているから――
感情を吐露したおれの頭に、アレイさんは少しだけ笑った。
その笑顔を見たら、なんだか今すぐに大きな声で泣きたくなった。
「その感情が理解できたのなら、お前は一度シドに謝ったほうがいい」
「……え?」
何で、シド?
おれが首を傾げると、フェリスはけたけたと笑った。
「かわいそうなシドっち。シドっちは同じことをずっとグレイスに言ってたよ?」
いつも自分の身を大切にしろと口を酸っぱくして繰り返すシド。
私が案ずるのはいつも貴方自身の事です、と――
「……シドはこんな風におれの心配をしてくれてたのかなあ」
「それは、本人に聞くといい」
アレイさんが指示した先には、こちらに向かって駆けてくる藍色の騎士がいた。
「うん、そうする!」
おれはシドに向かって大きく手を振りながら駆けだした。




