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月も朧に  作者: 喜世
第一章
9/23

〈08〉 御褒美?

 配役が決まってから、佐吉は必死に与えられた役である南郷力丸を全うした。

そのために、楽屋に入る時から家に帰るまで、上方言葉を封印した。


 行き帰りは永之助といつも一緒。

 それはまるで浜松屋の終わりの場面の稽古さながらであった。


 客はそれを見かけると喜んだ。


「……ほら、永さまよ」


「……ほんと。今日も吉さまと一緒。仲がいいわねぇ」


 しかしそんな黄色い声をよそに、佐吉は必死である。

上方言葉を出さぬよう。


 千秋楽の朝、二人の道行に割って入った者がいた。


「よ! 御両人! おはよう!」


「あ、利ちゃん。おはよう」


「おはようございます。利三兄さん」


 三人は一緒になって芝居小屋まで向かった。


「今日で終いだな。お永ちゃんの次の予定は?」


「三河屋さんのところです」


「吉ちゃんは?」


「藤右衛門兄さんと一緒」


「じゃあ、今度は三河屋の兄さんの方と一緒か」


「そう。初めてだから、緊張するよ。で、利ちゃんは?」


「俺は若旦那の仕事さ。仕入れで京の都まで。お義父さんについていかないといけない」


「そうか、大変だな」


 そこで突然利三は歩みを止めた。


「やっぱりなんか変だ」


「なにが?」


「普通に喋る吉ちゃんは、なんか変だ」


 とっさに永之助が反論した。


「はっきり言わないでください。兄さん必死なんですから」


「そうだ」


「でも吉ちゃんはやっぱ上方言葉のままの方がいい。一人ぐらい流暢に喋れる人いないと、与兵衛(※1)や忠兵衛(※2)が味気なくなる」


「やってみたいなぁ、両方……」


 父の吉左衛門と祖父の先代の吉左衛門、二人とも女殺油地獄の河内屋与兵衛と封印切の忠兵衛を得意としていた。

 舞台の袖で見た、父の与兵衛と忠兵衛ははっきりと覚えていた。  


「でも、新口村(※3)は藤屋さんのとこで掛けるとか言ってなかったか?」


「はい。藤右衛門兄さんが梅川で、お爺さまが忠兵衛です。観たかったのに!」


 むくれる永之助。

座組で一緒ならば稽古を見学できるが、今回は別。

 自分の稽古を削って見学になど行けるはずもない。


「よし、いつか一緒にやろうぜ、お永ちゃん」


「はい」


 永之助が余所見しながらそう言うと、

利三はムッとなった。

 それを見て佐吉はクスクス。


「その返事じゃ、俺とはやる気無いな?」


「だって兄さん、舞の稽古全然してないじゃないですか。こないだだって扇子で投扇興してたし……

ねぇ、佐吉兄さん」


「そうそう。上手いから驚いた」


「そりゃ若旦那だからなぁ」


「よ! 若旦那!」


 無駄話をしながら、彼らは楽屋へと向かったのだった。






 千秋楽。

満員御礼で無事に幕が下りた。

 主役を張った五人は、若手花形歌舞伎の主催者である藤右衛門と藤五郎に挨拶へ向かった。


 しかし、今、彼らはなぜか夜道を歩いているのであった。


「佐吉、あっちでは行ったかい?」


「はい。一通り」


 おぉと歓声が上がった。


「隅にはおけんなぁ」


「いやぁ、それほどでも…… でも、お父さん、なんで永之助も来るんです?」


 彼らは『ご褒美』と称し藤五郎に連れられ吉原へ向かっているその道中。

しかし、一行には永之助が当たり前のように居るのだ。

 吉原遊郭に女は入ることができない。それ以上に、遊郭という物は男の遊び場であって、

女には地獄のようなところでしかない。


 それなのになぜ彼女は付いてくるのだろうか?


「男ですから」


 にこっと笑ったその顔を見た佐吉は軽い眩暈を覚えた。

現時点で自分は婿候補第一位であり、彼女は将来の妻である。

 しかし、一度たりとも女の姿を観たことが無い。

 本当に女なのだろうかと日々疑問に思っていたが、さらにこの疑念が深まってしまった。


 藤五郎は笑った。


「佐吉、心配するな。仲のいい子が何人もいるんだよ。その子たちに会いに行くのさ」


「友達か」


「……秘密はきちんと守ってくれるからね」


 佐吉はその夜、初めて吉原に足を踏み入れた。




 そこは、この世とは思えない華やかな妖しい世界。

さまざまな格好の男が行き交い、赤い格子の奥に座っている女を品定め。

 きょろきょろ見ていると、又蔵が指をさした。

 

「佐吉、ほら、花魁道中だ」


「ほんまに外八文字(※4)や…… でも、内八文字(※5)のほうが上品やなぁ」


 妙な所に感心している彼を藤五郎は笑った。

 

「おいおい。どこを見てるんだ? 研究熱心なのも良いが、花魁の歩き方よりお顔を拝みなさい」


 言われるままに、彼は花魁の顔を観た。

しかし、彼の頭の中から芝居を追い出すことはできなかった。


『……宿へ帰るが、嫌になった』


「お前は次郎左衛門(※6)か」


 すかさず又造が突っ込んだ。

 

「いっぺんやってみたいわ」


「難しいだろうな。藤屋のお父さんでも、うちの父でも、まだやった事無いお役だからな」


「そうなんか?」


「あぁ。最後に観たのは、鈴屋のお兄さんの八橋に鳴海屋のお父さんの次郎左衛門だった。すごかったぞ」


「観たいなぁ……」






 花魁道中を見送り、一行はある店に入った。

暫く酒宴を楽しんだ後、藤五郎は自分の敵娼≪あいかた≫に相談を持ちかけた。


「佐吉の敵娼はどうしようか? いい子はいるかい?」


「さて……」


 彼女が答えを出す前に、永之助が即答した。


「吉野ねぇさんでお願いします」


「でも、あれはお前の……」


 『吉野』は永之助の敵娼だった。


「だって、ねぇさんは上方出です。兄さんの話聞きたいでしょうし。兄さんなら、悪いようにはしないと思います。

それに吉野と芳野屋っでいいじゃないですか」


「……そうかい?」


「はい。私は今日はお茶ひき(※7)の子たちと遊びますからお構いなく」


 藤五郎は小さくため息をついた。

娘は佐吉に恋愛感情を一切抱いていない。

 だからこそ、彼が吉原へ来ることに一歳難色を示さず、自分が姉とも慕う敵娼を佐吉に平気で引き合わせるのである。


「……先が思いやられるなぁ。佐吉、吉野でいいかい?」


「お父さんに従います」


「よし、じゃ、そうしようか。明日の朝、大門の前で待ち合わせだ、各自楽しみなさい」






 佐吉は別室で少し緊張しながら待っていた。

上方出の女、永之助が姉のように慕っているという女。

 興味があった。


「吉野でありんす……」 


 佐吉の前に件のその吉野が現れた。


「えっ…… お志乃ねぇちゃん!?」


 佐吉は彼女の顔を見たとたん、声を上げた。


「……バレたか」


 少しさみしそうな顔で、吉野ことお志乃はそれだけ言った。


「なんでこんなとこにおるんや!? 堺の米問屋の女将さんになったんとちゃうんか!?」


 彼女は幼馴染だった。

 歳は二つ上の少しお姉さんの幼馴染。

 最後に会ったのは、彼女が嫁入りすると挨拶に来た時だった。


「なったには、なった。でもなぁ…… 悪い人に嵌められたせいで店が潰れてな、借金背負って旦那さん、首括って死んでしもた。

借金余計増えてしもて、仕方ないから身売りしたんよ。で、流れ流れて吉原にってわけや」


 自分が知らないうちにそんなことが起きていたということに、佐吉は驚いた。


「佐吉ちゃんが江戸に来たんは、お客さんの噂で聞いてたわ」


 お志乃は煙草盆を引き寄せると、慣れた手つきで煙管に煙草を詰め始めた。


「みんな褒めてるわ。声よし、顔よし、姿よしってな。いっぺん見たいわぁ、佐吉ちゃんの芝居」


 すこしうれしくなった佐吉はそれだったらと身を乗り出した。


「だったら今度観に来んか?」


 しかし、帰ってきた言葉は寂しいものだった。

 

「あっちと違ってな、吉原はな、門の外には出られんのや……」


 出るためには、死ぬか、年季があけるか、身請けしてもらうか。

それしかなかった。

 脱出など試みた日には、厳しい罰が待っている。

 

「……籠の鳥って、ほんまなんや」


「そうや……」


 佐吉は何も言えなくなり、うつむいた。

 そんな彼にお志乃は煙管を差し出した。

 

 遊女の吸い付けたばこは遊女からの誘いの意味。

 彼女を性の対象として見たことがなかった佐吉は驚き、何を言っていいか分からなくなった。

 

「佐吉ちゃんがしたいならして相手してあげるえ」


「あ、あかん! 初回やし、ねぇちゃんに悪いし、永之助にも悪いし!」


 あわててそう言うと、お志乃は笑った。

 

「あら? まだ男じゃなかった? 佐吉ちゃん?」


「それはない!」


 あわてて否定した彼にお志乃は手を合わせて謝った。

顔と目は笑ったままだったが。


「堪忍。うちはもう女郎や。客を取るのが仕事や。それにな、永之助さんとは一回しかしたことないで」


「え……」


「かわいそうにな、お永ちゃん。女になるより先に、男にならなあかんて…… 

でも、立役として、一度は経験せんとあかんのやて」


 またも軽く眩暈がした。

永之助とお志乃が男女の関係になったという事実。

 本当に永之助は女なのだろうか。

 さらにわからなくなってしまった。


「……ねぇちゃん、永之助ってほんまに女なんか?」


 その質問にお志乃は眼を丸くした。


「……まさか、お永ちゃんに会ったことないんか?」


「……ない。男やと思ってたのに、藤屋のお父さんから女だって聞かされてはじめて知った」


「うそやろ…… まさか、ずっと男のまま?」


「そうや。どうしても戻りたくない言うて、ずっと男のままや……」


「そうか……」


 お志乃が不安そうに眼を泳がせていたことに佐吉は気付かなかった。






 早朝。一行は大門で待ち合わせをして家路に着いた。

 さっそく永之助が佐吉に近寄ってきた。

 

「どうでした? 吉野ねぇさん」


「大阪にいたころの幼馴染の姉ちゃんやったわ」


「え!? 知り合いだったんですか!?」


「そうや」


「じゃあ、今後も兄さんの敵娼は吉野ねぇさんで決定ですね!」


「え? あぁ……」


 結局昨晩は昔話に花を咲かせただけ。

しかし、またの再会を約束していた。

 こうして永之助にまで支持されたとなれば、また会える。

 それは嬉しかったが……

 

「では、兄さん。二人で協力して、早くねぇさんの年季を開けさせましょう!」


 許嫁候補と協力して一人の女郎を苦界から救う。

 誠に滑稽な事であった。

 

「お、おう……」






「遅かったねぇ。兄さん」


 玄関で藤五郎、永之助、佐吉を出迎えたのはお藤……ではなく藤右衛門だった。

 

「あ……」


 佐吉は藤五郎が女遊びを咎められえるのでは、と思い身構えた。

しかし、帰ってきた言葉に仰天した。


「兄さんずるい! 私も連れてって欲しかったのに!」


「だって、お前、昨日の晩は稽古だって、それに今日は顔寄せ(※8)だって……」


「そうですよ。稽古でしたよ。今日はこれから顔寄せですよ! でも!」


「すまん! 今度の座頭興行終わったら一緒に行こう」


 この夫婦もかなり奇妙である。

 妻が遊郭遊びを咎めるのではなく。うらやましがる。

 夫が妻を遊郭遊びに誘う。


「約束ですからね! あ、でも、その前に……」


 藤右衛門は藤五郎の袖を引っ張った。

そして二人に向かって口早に命じた。


「佐吉、稽古場で待ってなさい。永之助、三河屋さんによろしくと」


 そして藤五郎を引っ張り、奥へ消えていった。


「兄さん。お互い今日から頑張りましょう」


「おう。頑張ろ」


 佐吉は藤右衛門と一緒に。

永之助は三河屋の一門と。

 それぞれ別々のところで、各々の芝居が始まった。






「遅くなって御免なさい」


 稽古場で待つ佐吉たち一同の前に、藤右衛門が現れた。

 

「遅い」


 藤翁から一言お叱りが入った。


「仕方ないじゃありませんか。今月一杯ずーっと男なんですから、その前に女をめいっぱい楽しんどかないと」


「藤五郎は?」


「寝てます。明日らしいです巽屋さんのとこは」


「かわいそうに…… 昨日の今日で……」


「藤屋の婿、私の夫としての務めです。さて、痴話話はここまで」


 完全にお藤をおいやり、藤右衛門でその場を仕切り始めた。


「今回は、私、藤右衛門が座頭です。よろしくお願いします。そして、演目と配役は……」


 佐吉は自分がどんな役を任せてもらえるのか、わくわくしながら待っていた。

(※1)河内屋与兵衛≪かわちやよへえ≫

女殺油地獄≪おんなごろしあぶらじごく≫の主人公。

衝動的殺人をしてしまう若者。


(※2)亀屋忠兵衛≪かめやちゅうべえ≫

恋飛脚大和往来≪こいびきゃくやまとおうらい≫の主人公。

公金横領の咎で追われる若者。


(※3)新口村≪にのくちむら≫

義太夫節「冥途の飛脚」、歌舞伎「恋飛脚大和往来」などの最後の段。

映画「Beauty うつくしいもの」にて松嶋屋さん(梅川:片岡孝太郎×忠兵衛:片岡愛之助)で見られます。


(※4)外八文字≪そとはちもんじ≫

吉原の遊女勝山が行ったのが元祖。

外をぐるっと回り、足が八の字の形で地面に置かれる。


(※5)内八文字≪うちはちもんじ≫

京都島原での歩き方。

外八文字とは逆に内側に足を踏み出す。


(※6)佐野次郎左衛門≪さのじろうざえもん≫

籠釣瓶花街酔醒≪かごつるべ さとのえいざめ≫の主人公

痘痕面がちょっとこわい。


(※7)お茶ひき

なかなか客のつかない遊女。

仕事がなく、お茶をひいてばかりいることから。


(※8)顔寄せ≪かおよせ≫

関係者一同が最初に顔合わせをすること。

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